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質問概要
ファミコンはゲームが作りやすい機種だったのでしょうか?

詳細
ファミコンについての書物を紐解くと、ファミコンでゲームを作るときの苦労話がよく出てきます。
曰く
「1キャラに3色、透明色1色しか使えない。グラデーションを利かせたキャラなどが作りにくい」
「キャラを横並びにできるのは4コマで。それ以上並べると1個消えてしまうので、高速で順番に点滅させるなどしなければならなかった」
「背景画は8ドット*8ドットの画像を何パターンも登録し、それを並べて”タイル絵を作る要領”で作ることを前提としていたので、1枚絵を登録することはできない。またその8ドット*8ドットの中で使える色数が限られていたので、細かい背景画を描くことは機能的に難しかった」
「音は電子音3音とノイズ音1音しか同時に発声できない。音楽を鳴らす場合はメロディ2音、ベース音1音、リズム音1音に割り当てるが、効果音も鳴らす必要があるので、メロディに割り当てたうちの1音が”メロディか、効果音か”の二者択一になる。効果音を鳴らしたときに”音楽が寂しくなる”と思わせないような作曲テクニックが必要だった」
「何が大変かというとメモリが足りないのが大変だった。ROMカセットの容量も足りないし、本体のメモリも足りない。ドンキーコングレベルの移植作品ならならいざ知らず、業務用ゲームの移植には苦労した」
「本体内に文字データなどのフォントが入っていない。よってゲームのスコア表示やメッセージ表示などは、カセット内にグラフィックデータとしてひらがな、カタカナ、数字、英字を用意して、それらを表示させるしかなかった。平仮名の”り”とカタカナの”リ”、平仮名の”へ”とカタカナの”ヘ”など、
似ている文字は代用するなどしてメモリを節約した」

などなど、枚挙にいとまがありません。

開発者がそういう苦労話を言う割には、ソフトウェアは1500本も発売されています。
ゲームが作りにくいマシンであれば、開発者たちが敬遠してゲームをつくらなかったり、
開発してもできの悪いソフトばかりになるはずです。
しかし実際には前述のとおり、1500本ものゲームが発売され、ゲーム史だけではなく、昭和史、歴史に名を遺すゲーム機となりました。

ファミコンはゲームが作りにくいマシンだったのでしょうか?
それともゲームが作りやすいマシンだったにも関わらず、ゲーム開発者たちが手柄話や苦労話をしたいがために、
「苦労した」
「工夫した」
と口々に言っているだけなのでしょうか?

詳しい方、お願いします。

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A 回答 (9件)

今のCPUならCPUの能力でやってしまえることを、今と比べれば圧倒的に非力な6502で実現しなくてはならないので、グラフィックやサウンドを周辺チップ(PSG等)で実現していました。

なお、6502はアップル][にも使われたCPUでした。

開発キットがハードメーカーから正式提供されるようになったのはプレーステーションの黒いPS1からで、ファミコンの頃は『PC-8001』『IO拡張ユニット』『ファミコンエミュレータ』だけで、サードパーティーがそれぞれ開発環境を用意していました。なので、まず、それを用意することから始めなくてはなりません。仕様は任天堂から公開されていましたが、やってみなければわからないことだらけだったのです。

「音は電子音3音とノイズ音1音しか同時に発声できない」、これはFM音源ボードを追加していない初期のPC9801などもそうでした、音源は音階をコントロールできるブザーです。ファミコンにFM音源が搭載されるのはカセットに独自搭載を除けば、ディスクシステムからです。

「キャラを横並びにできるのは4コマで」これはVRAMが1面分しかなく、そこにスプライトを合成して表示する機構でした。VRAM上で直接キャラクターを動かす能力は6502は非力だし、それを実現するメモリ空間もありません、それを回避するためのテクニックです。

ROMの容量もなく、コンパイラがあるわけではなく、ニーモニックをハンドアセンブルしたり、16進を直接打ち込みました。大容量といっても単位はバイトではなくビットでしたから、増えたロムもグラフィックで使いました。

興味があればファミリーベーシックをお勧めします、片鱗はわかるでしょう。

ここにある、ハドソンのファミコン参入物語がわかりやすいかな、最後までだと結構読みでがあります。
https://kopenguin.com/category/retro-game/game-m …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>開発キットがハードメーカーから正式提供されるようになったのはプレーステーションの黒いPS1からで、ファミコンの頃は『PC-8001』『IO拡張ユニット』『ファミコンエミュレータ』だけで、サードパーティーがそれぞれ開発環境を用意していました。

うわー、ひどいですね。
「ファミコンソフトを発売する許諾契約はしてやるが、
 開発環境は自分で用意しろ」
って、酷いですね。
まあ、他社が作った市場で稼がせてもらうわけだから、それが普通なのかも・・・
契約条件を提示されて参入をあきらめた会社もあったかもしれませんね。


>興味があればファミリーベーシックをお勧めします、片鱗はわかるでしょう。

うーん、今の時代では経験したくとも機械が残っていないですね。

お礼日時:2022/03/18 18:51

#4



>>6509のカスタムチップですから

すいません、記憶違いでした。6502ベースでしたね。#5の方が正解です。2A03(1.79MHz)というもの。

>ゴジラ映画だと思って観たら、政治映画だった

政治映画だと思ったら人情映画だった、というお話もしておきましょう。

任天堂がアーケードゲームをアメリカに持ち込んだものの、暫くは売れずに倉庫を埋めてしまっていました。任天堂はそこそこ売れると思っていたので、期間契約していました。困り果てた任天堂はその倉庫会社のマネージャに泣きつき、期間延長してもらいました。

そのマネージャはイタリア系の人で、「マリオ」という名でした。任天堂は恩義を大事にする会社で、受けた恩をこういう形で返します。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
マリオの名前はイタリア系マネージャの名前からとったんですね。
もしこのマネージャさんの名前がマリオじゃなくて、
アルマーニとか
ベルサーチとか
バレンチノとか
フェラーリとか
デルピエロとか
バッジョとか
デカプリオさんだったら、歴史は変わっていたでしょうね。

お礼日時:2022/03/18 19:04

作りやすくはないだろうけど、参入はしやすかったんだと思う。


そして大当たりを引けば金持ちになれるし、夢のある時代だったのかと。
あと今より制限があるからこそ工夫のし甲斐もあったのかな。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

参入しやすかったんですね。
ま、ソフトウェア開発会社ではない、レコード会社とか出版社も多数参入していたから、参入しやすいといえば参入しやすかったのかもしれませんね。
もっともそういったレコード会社系、出版会社系は、会社の知名度をいかした広告宣伝と販売だけ行って、プログラム製造はソフトウェア会社に丸投げしていたかもしれませんね。

お礼日時:2022/03/18 18:53

ドットゲームも、3Dゲームも作ったことありますが、



ドットゲームの方が作るのは楽ですね。

マシンが進化しても、どのみち制約はでてきますから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2022/03/18 18:44

例えばPS2やPS3のようなSONYと東芝で共同開発したEEやCellなど、超高性能ながらあまりのクセの強さに開発者泣かせと言われたハードであれば、「ソフトを開発すること自体が難しい」と言う事になると思います



ファミコンはそういったソフトを開発する難しさより、やれる事が限られる中でいかに内容を詰め込むかとか、いかにユーザーに開発者側の意図を伝えるか、特に容量との戦いに苦労したハードだったように思います

ドラクエをファミコンの1からずっと遊び続けており、当時は週刊少年ジャンプで堀井雄二氏がよく開発秘話を語っていましたが、とにかく容量が少なすぎてカタカナが一部の文字しか使えないとか、キャラクターの正面だけの絵にする事で容量を稼いだり、キャラクターの絵を半分だけ描き、それを反転させる事で一人のキャラクターにしたり歩いてるように見せたりなど、大体は容量の問題の話題ばかりだったように思います

スライムの色を変えるだけでスライムベスと言った、容量を稼ぎつつキャラクターの種類を増やすと言う苦肉の策が他のゲームでも当たり前のように使われるようになったりなど、各サードパーティーがそれらを模倣したりされたりしながら出来る限りその中で個性を出す事に力を入れていたんじゃないかと思ってます

自分は昔からドラクエぐらいしか開発秘話を聞いたことありませんが、今でもゲーム雑誌やネットなどでも当時のクリエイターからファミコンはソフトの開発が難しいハードだったと言ったようなコメントを聞くことがないので、恐らくほとんどのサードパーティーが同じだと思いますけどね

なんかそう言う記事がなかったかと探してみたら、こんな記事を見付けました

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/spv/1801/07/news00 …

大体これまで聞いてきた事と同じことが書かれていました

こう言うのを読めば、ファミコンのソフトはアイデアを絞って開発されていた事が分かってくるかもしれません
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>ファミコンはそういったソフトを開発する難しさより、やれる事が限られる中でいかに内容を詰め込むかとか、いかにユーザーに開発者側の意図を伝えるか、特に容量との戦いに苦労したハードだったように思います

容量の少なさに苦労したんですね。

>ドラクエをファミコンの1からずっと遊び続けており、当時は週刊少年ジャンプで堀井雄二氏がよく開発秘話を語っていましたが、とにかく容量が少なすぎてカタカナが一部の文字しか使えないとか、キャラクターの正面だけの絵にする事で容量を稼いだり、キャラクターの絵を半分だけ描き、それを反転させる事で一人のキャラクターにしたり歩いてるように見せたりなど、大体は容量の問題の話題ばかりだったように思います

これはカセットに搭載するROMの容量に苦労したお話ですね。
後年発売されたドラクエ2,3,4はキャラクタは東西南北の各方向を向いた絵がちゃんと用意されているし、登場キャラクターもマップの大きさもどんどん増えていきましたね。それらはカセット搭載ROM容量が増えたから解決できたんですね。

お礼日時:2022/03/18 18:47

>ファミコンはゲームが作りにくいマシンだったのでしょうか?



自由度が低いので、作りにくかったと思いますよ。6509のカスタムチップですから、まぁ高が知れています。とはいえ、それより高価なチップを積んで売れなければ、任天堂自身が博打に参加するようなもので、ゲーム業界参入障壁を自分自身で下げなければならなかったのでしょうね。

ただし、ソフトを開発すれば、生産するのは任天堂というルールが当時はありました。売るソフトになればROMカートリッジへの焼き込み生産は任天堂が請負っていたのです。だからソフト会社のリスクはソフトの開発が完了するところまで。もちろん、ROMカートリッジと本体は不可分な関係で、そこには特許に基く非公開インタフェースもあったので、ゲーム会社が勝手にROMカートリッジは作れなかったのだけど。

自社でROMカートリッジを生産して販売していたのは、テンゲンだけだったように記憶しています。お陰で任天堂とは折り合いが悪かった。更に非合法な方向に目を向ければ、香港とかで売っていた99inとかの1つのカートリッジに沢山ゲームが入っていたものとか。ディスクシステムもあったけど、あれはQDだったのだけどジャケット形状に細工が為されていて、それを一般に流通させないことでプロテクトを施していた。

マジコンとかのコピーシステムが出てきて、とか、QDのジャケットだけを中国に製造発注して、とかは後日談ですね。必ず任天堂の法務部隊が出てきますけど。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

面白い話を読ませていただき、ありがとうございます。
いえ、何が面白いかって、一番最初のCPUがカスタムだからゲームが作りにくい、という話で、その後もハードの話が続くのかな? と思ったら、
「任天堂との契約上の制限によってファミコンのゲームが作りにくい」
という話にガラリと切り替わっちゃって、そこが面白かったです。
まあ、ハードウェアの制限の話も面白いですが、任天堂の
「サードパーティは生かさず殺さず」
「任天堂はこの世で唯一の大地主。その地主の田畑で働くのはサードパーティという小作人」
という話も面白いですよね。
任天堂の山内社長、TVゲーム業界の天下をとって、さぞ幸せだったでしょうねえ。(半分本心、半分皮肉です)

ゴジラ映画だと思って観たら、政治映画だった、という「シン・ゴジラ」みたいなお話ですね。

お礼日時:2022/03/17 23:51

お礼ありがとうございます。




例えば某ゲーム(●●無双)なんかは、本家以外にも色々なアニメの無双シリーズが出まくりましたよね。

あれはキャラクターやグラフィックとか変えただけで基本システムに少し手を加えただけだと思ってます。


ファミコン時代とかは他ゲーム機に移植するにしても、1から作り直すとか
他のゲーム機特有の無い機能とか改良が必要だったりしたと思います。

>これはいろんな意味に受け取れます。

→両方の意味があると思います。

全然違うシステムとかもあったと思いますし、同じ作品の続編だけども新しい試みもかなりありました。
今は、色々な演出を1から作ってるメーカーはまず無いと思います。

ーー
恐らく昔と今の大きな違いは
昔:限りある制限の中で創意工夫が要求された。
今:自由度がありすぎるが故に作り手の創造力の要求が昔に比べ段違いに大きい

かもしれません。
もっとも現在、一番冒険しているのは、日本メーカーではなく海外メーカーだと思ってます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

仰る通りですね。半導体ROMを比較して、極端に容量の大きいCD-ROMやDVD-ROMに何を詰め込めばいいのか、難しいですね。

>もっとも現在、一番冒険しているのは、日本メーカーではなく海外メーカーだと思ってます。

どんなゲーム作ってるんでしょうか?
テトリスとか?

お礼日時:2022/03/17 23:53

結論から言うと


①限られた容量で作らないといけないので盛沢山なアイデアを詰め込められない
②半導体を日本で生産できないので海外発注
③販売数を誤ると価格崩壊する
こういう壁が存在するので気安く手を出すと一気に破産まで行くような業界だった。
媒体がCDになるまでは困難に道だったと推測する。
スーファミで天外魔境ZEROを生産していたがまさかこのソフトがワゴン10円の価格崩壊を起こすとは予想もしていなかったw
全部こういう理由
①生産数を見誤って少数生産で小売りをもくろむ
②予想をはるかに超えて売れまくったため品薄
③焦って増産開始
④ロムが日本国内に届くのに3か月待ち
⑤ロムが届いて生産~出荷まで3か月かかる
⑥最初のロットが売り切れて半年たって再版される
⑦中古が出回ってて需要がなくなっていた
⑧結果再版したロットがすべて10円まで値が下がる
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
ROM時代は大変だったのですね。

お礼日時:2022/03/17 22:47

いや、当時は小中学生だったけど、ROM(容量)のせいでだいぶ絞られて作られた創意工夫なしでは駄目だった時代です。



 今とは違い、同じシステムの使いまわしとかも少なかったと思います。
個性的なゲームも多かった。

まぁ開発コストは今と比べるとかなり低かった点があって冒険できたとは思いますね。

 あと多重スクロールとか、今のゲーム機なら難なくできることも、
あの時代のゲーム機では表現するのは難儀だったと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>今とは違い、同じシステムの使いまわしとかも少なかったと思います。

これはいろんな意味に受け取れます。
現題のような続編ばかり(新しいゲームシステムを作る必要がない)やヒットゲームのシステムを真似するのではなく、ゲームごとに新しいシステム、新しいルールのものがたくさん出現した創造的な時代、という意味でしょうか?

それとも今はプログラムを作り慣れているのでサブルーチンやプログラムライブラリを使いまわせるが、当時はどこのサードパーティ社も初めて家庭用ゲームを作る時代だったので、参考になるソースプログラムなどが一切なく、せいぜい同じ会社の先輩が作ったプログラムを真似たり、任天堂が作ったファミコンカセットの内部を解析してプログラムを参考にするぐらいしかできなかった、の意味でしょうか?

それとも別の意味でしょうか?

>個性的なゲームも多かった。

個性的なゲームも多いですね、個性的過ぎるゲームも多いですね。

>まぁ開発コストは今と比べるとかなり低かった点があって冒険できたとは思いますね。

おっしゃるとおり、今は100人単位が関わって、開発費数億円、なんて珍しくないですからね。

>あと多重スクロールとか、今のゲーム機なら難なくできることも、
あの時代のゲーム機では表現するのは難儀だったと思います。

多重スクロールもできないですねえ。まあ、あの頃の機種ではたとえ1画面であってもスクロール機能を持っているだけですごかったのでしょうけど。
画面を上下に切り分けて、あたかも多重スクロール機能のように見せているゲームもありましたね。プログラマーの腕がよかったんでしょうね。多分、今の機種でゲームを作っている人はそんな手法を考えたこともないんでしょうね。

お礼日時:2022/03/17 22:45

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