
「知性」という言葉を例によって広辞苑で引きますと、
「頭脳の知的な働き。知覚をもとにして、それを認識にまで作り上げる心的機能。」とあります。
国語の一般的解釈としてはこれが限界ということになり、一般的にはこれで分かったつもりにならざるを得ないということになるでしょう。
しかし、哲学的志向の強い皆様にはこれでは不満足であるでしょう。私も、考えるほどに限りない深みに入ってゆき、まとまりがつかなくなります。
頭脳の知的な働きである心的機能?認識?
ここからは、哲学的思考が不可欠となります。
①過去の哲人たちが様々な結論を出していると思いますが、その主なものを簡単に教えてください。
②知性とは、頭脳の働きなのか、心的働きなのか?
③知性とは、知覚をもとにして、それをどう認識にまで作り上げてゆくのだと思いますか?
④その他関連することを。
A 回答 (10件)
- 最新から表示
- 回答順に表示
No.10
- 回答日時:
「何故選択出来るのか?」それについては科学(認知科学)で解明されていません。
というのも物質で構成されている細胞が古典物理学に従って機械的かつ確定的に振る舞っていますが、そうであるなら選択肢が一つしかないのです。
しかしながら選択肢が複数ある場合において常に同じ選択を剃るわけではありません。という事は脳細胞は働きそのものは古典物理学に沿って機械的に作用していても処理結果は不確定だという事です
これを物理的に説明できるのは古典物理学ではなくて量子物理学です。
個々の脳細胞それ自体が確定的に処理していてもそれぞれの脳細胞の選択肢がそれぞれ毎に確定していても、選択するまさにその瞬間にゆらぎによってそれに関わる脳細胞が作用することであるから選択結果に多様性をもたらすのです。つまりそれが選択です
これは物理的には奇跡なのです。
同一の遺伝子を持つ脳細胞がそれぞれ毎に選択肢を持っている。
マクロサイズである脳細胞がミクロサイズの物理性質=量子性質を獲得している
からです。つまり不確定であるが故に理性と言う働きがあるのです
言い換えるならば不確定さこそが理性の特徴でありだからこそ理性は多様性とグラデーションを生み出せるのです
曖昧さは理性が十二分に働いている証拠なのです。理性が衰え相対的に感性の働きが強まれば曖昧さが失われ単純化します
近頃は、ここにあまり時間をとることができず、返答もできないこともあり、申し訳ありません。
折角、科学的見解があるのに、理解すらせず屁理屈をこねているケースが見られます。
それは、哲学というものをも理解していないということだと思います。いたずらに自説に執着し、故に論理を曖昧にする、いや、曖昧にせざるを得ない。
これは、知性的退廃で、悪です。
簡単ではありませんが、論点を明確にし誤魔化さない対話をしなければ暇つぶしで終わることは明らかなのに。
No.9
- 回答日時:
感性と理性のそれぞれの役割
感性→判定
理性→検討
となります。この役割の違いは脳の基本的な働きの違いによるものです
感性を司る部位では機械的・確定的に働いていることから単純に「1か0」的な処理されからです
理性を司る部位では機械的・確定的な処理=単純な「1か0」的な処理だけではなくて機械的・不確定的な処理=「1でも0でもない」的処理がされるからです
この不確定的な処理によって「曖昧さ」が生じます。「曖昧さ」を例えるなら「境界が無い雲の塊」となります。それによってグラデーションや奥行き等が生み出されるのです。更にこれによって悩みや迷い等といった心象が生み出されるのです。それが「心理的な深み」を生み出すのです
因みにコンピューターは基本的には機械的確的に処理される事から脳とは根源的に異なっています。それは量子コンピュータにおいても同じです。加えてヒトは基本的な処理を不確定的な処理で行う術や理論を未だ持ち得ていません。
以上を踏まえて言えば細胞は奇跡としか言いようの無い働きをそれによって生み出された心もまた奇跡としか言いようがありません
なるほど。
ただ、私が思索してきた現時点での結論から見ますと、少々疑問があります。仰るところの「理性」の働きは結果として確かに曖昧ではあります。しかしそれは、理性の働きに限界があっての曖昧さではなく、理性の働きが十分になされていないからではないだろうか?ということです。
曖昧であった結論も、その後の思索の努力によって次々と理解が深まってゆくという経験を持っているからそう思いました。
その傾向は30代の後半から始まり、年々深まっていると思っています。ムカリンさんもそうではないですか?
理性の働きはひょっとしたら限界がないのかも知れないと思います。
No.7
- 回答日時:
知性とは感性と理性とが調和している様の事
心とは感性と理性との協調の事。
よって
知性→調和
心 →協調
となります
調和と協調によって理性と感性が統合されている状態それが自我です
よって
自我とは知性と心が統合されている事です。
理性と感性どちらも脳機能の一つである事から知性と心どちらも脳機能の一つです。
知性と心共に理性と感性の発現が必須である事を踏まえると、理性と感性の発現こそがそれらを生み出すためにトリガーとなりますね
分からんではないという感じですが、心というものをこのように論理的に説明されると、かえって分かりにくい気がしますし、不安にもなります、正直なところ。
No.6
- 回答日時:
知恵と人間性を備えた知性は、
理性、情熱と主に人格完成への
条件だと思います
哲学的とか心理学的とかはあまりわかりませんが
知識と知性の関係を少し考えました
「知識」は「知恵」を生むものですが
「知識」と「知恵」の混同があると価値は生まれない
「知恵」のない「知識」をいくら集めても、役に立たない
むしろ危険でさえある。
「知識」を記憶しているだけでは観念です。
それに対し、生活であり、生きる力であり、
生き抜く源泉が知恵であり、正義があれば知性と言えます、
知識イコール知恵と思い込み知識によって描き出された
ユートピアへの青写真 どおりに、強引に社会を作り変え
ようとした近代の急進主義の流れがありました、
その思考法に囚れている人の多くが陥ったのが、
抽象化の罠と言う落とし穴でした(マルクス主義など)
論理的に科学的分析により可能と思われた事が不可能になり
論理的に不可能と思われる事が、知恵によって
可能にしてきたのが人類の歴史でもあります
現実の問題を解決するのは、あくまでも
人間の(知恵)であって抽象的な理論や(知識)ではない
と言う事だと思います
知恵は何処から沸いて出て来るのかと言うと、
その源泉を訪ねて見ると
「真剣な一念」「大いなる希望」「信ずる力」「苦難との戦い」
にたどり着きます
ふむ、考えさせられます。
例えば、昨今の企業人は、大学等で、あるいは業界内で多くの知識を得ているが、それを「何」に使うか、その「何」が「これまでの流れで商品を作り、利益を最大化させること」あるいは「自己の保身」に使うことしか考えていない、と鋭く指摘する日本人の哲学者がいます。
哲学的「価値」の思考が全く欠落しているということです。これは、必ずしも学問の哲学をするべきだということではなく、何が個人と社会を「良くする」かを思索すべきだということになりましょう。
「知恵」「人間性」「理性」「情熱」「高い人格」ということはすべて、仰るように「良くする」目的がなければその言葉に値しないと思います。
その源泉は、
>「真剣な一念」「大いなる希望」「信ずる力」「苦難との戦い」
とのことですが、その通りと思います。ただ、これらの思いは一体どこから出てくるのでしょうか?
マルクスの誤りについて、その哲学者は種々論じていましたが、そんなに安っぽい理論でもない、とも言っていましたから、私なども「資本論」は読んでいないので、しっかり学ばねばなりませんね。
No.4
- 回答日時:
知識は脳 知性は道徳心で脳なら前頭前野
心臓にも記憶あるのだとか人体は個体で共有してる
視覚と触覚と感覚の判断
脳では納得出来ないから まやかしでココロと言う
脳科学の詳しいことは知りませんが、知覚から入った情報が脳内に蓄積され、分析され整理されていることは、科学的に確認されていることだと思います。
脳がそういうことに対し働いている、と。
ただ、個々の主体的意識が脳内に存在しているということは、科学的に確認されていないのだと思います。
なのに、すべてを脳内のこととして完結させようとしているのではないかと、常々思っています。それは、まやかし。
No.3
- 回答日時:
①過去の哲人たちに関しては 本なりYOU TUBEなりで勉強されたらいいと思います
②知性とは 性質と言う様に 心的働きのことを言っていると思います。
精神自体が性質で出来ていると思っているので
頭脳がハード 心がソフトと言う事でしょう。
③知性は まずは環境・周囲、自分から感覚器が視聴覚、嗅覚、触覚などから性質を持つ情報を受け止め 感覚神経を通して脳のシナプス系や脳漿や脳波、脳内物質などに作用して自我と言う主体化した存在に認識される
というような事だと思います。
速い話が 外の性質が中に入って来て 脳に伝わり 意識に認識される。
と言う事です。
④この「性質」と言う言葉がなおざりにされています
だから霊とか幽霊とか心とかが何なのかが分からないのです。
性質と言うものはこの宇宙全てに在ります。物質にも人間の心にも
「性質」と言う存在 働く存在が在るのです。存在するのです
人間精神 心 自我 と言うものが存在するのです。性質として。
知性とは、心的働きということですね?
知覚(=五感ですね?)から入った情報が脳内で蓄積され、それを「意識」が認識をする、と。
西洋哲学の「認識論」を知らねば、ここからの深い思索はできそうもないですね。
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
おすすめ情報
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
-
「を気づく」と「に気づく」の...
-
不認識?非認識?
-
理解と認識の違い
-
夢と現実の区別
-
SSDがマザーにHDDとして認識される
-
台湾人とのチャットで“很高興認...
-
USBメモリーを認識しまっせん。
-
「アプリオリな認識」の実例
-
ネットで付き合ってて、会った...
-
通常iPhoneに「hey Siri」と話し...
-
先験的とは?二種類の「先験的...
-
windows10パソコンでUSBフロッ...
-
納得が行きません。カントのコ...
-
家は誰が守るのか・・・主婦!家は...
-
認識とは何か?
-
カントの《認識が対象に従うの...
-
ノートパソコンへの4TBを超える...
-
教えてgooやっていて改めて『世...
-
SDカード認識しません
-
先天的総合判断は可能か、、、...
マンスリーランキングこのカテゴリの人気マンスリーQ&Aランキング
-
教えてgooやっていて改めて『世...
-
「を気づく」と「に気づく」の...
-
不認識?非認識?
-
世間の目は正しいか?
-
windows10パソコンでUSBフロッ...
-
SSDがマザーにHDDとして認識される
-
夢と現実の区別
-
「認知と認識」、「観念・概念...
-
通常iPhoneに「hey Siri」と話し...
-
台湾人とのチャットで“很高興認...
-
Razer Basilisk Ultimate な質...
-
ビスコは危険? ビスケット類は...
-
賢人求む:認識するものを認識...
-
納得が行きません。カントのコ...
-
ノートパソコンへの4TBを超える...
-
エクセルでマイナスを認識しない
-
知覚的世界と物理的世界のズレとは
-
理解と認識の違い
-
家は誰が守るのか・・・主婦!家は...
-
病人にとっての善力
おすすめ情報