アフリカの奴隷貿易についてお聞きします。
アフリカの奴隷貿易に関与していた国とその時期について
教えて下さい。

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A 回答 (2件)

奴隷貿易は白人が従事したと信じられていますが、実態はそう単純ではなく部族間の争いで捕虜になった敵をアラブ人の商人に売っていたようです。

後にヨーロッパ人がこれを利用して、部族間の争いを仕向け武器を売りつけ、戦争の捕虜を奴隷として新大陸に供給したようです。16世紀には新大陸(今日の中南米)の鉱山労働者として、17世紀にはカリブを含めた農業労働力として、17世紀ー18世紀には北米南部の大農場労働力として需要が高かったので、ヨーロッパ人のほとんどが何らかの形で(買い付け、輸送、市場での販売、使用人)奴隷貿易に関係したことになります。最盛期には自然供給では需要に応じられないので、突然村を襲って全員を奴隷として連れ去るような非道が盛んに行われたのでしょう。

フランス革命の影響で中南米植民地がスペインから独立すると徐々に奴隷制度の見直しが行われ(供給の問題もあったかも)ブラジル、アルゼンチンがいち早く奴隷制度を放棄しています。最後まで奴隷制度を維持したのは北米南部です。綿を中心とする大農場の働き手として手放せなかった事情があったからです。南部の奴隷依存州と軽工業と小規模農業の北部州の対立から南北戦争が起こり、北軍の勝利でアメリカの奴隷制度が終了しました。しかし、本当に黒人が市民権を得たのは1960年代なので、南部では100年以上にわたって奴隷時代の習慣が残っていたことになります。

詳しくは添付URLをご覧下さい。

参考URL:http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/kindai/30-syoku …
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 16世紀、スペインやポルトガルで始められ、17・18世紀になると、イギリスを中心にして、フランス、オランダが行うようになりました。


(参考)
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/akira16/dorei.html
http://www.infoaomori.ne.jp/~yappi/eiga/EC-08ami …
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Qなぜ、キリスト教の国アメリカ合衆国で、奴隷貿易が盛んだったのか?

表記の問いについてですが、イエスは隣人を愛せ、といい、おそらくすべての人類を隣人としていたため、奴隷貿易や人種隔離という発想はなかったと思います。

後世の人たちがイエスの隣人という概念に非・隣人という新たな概念を付け加え、黒人は非・隣人なので愛する必要がなく、人類として認めていなかったからでしょうか。

キリスト教の国で奴隷貿易が盛んだった理由を教えていただけないでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

ヨーロッパ人は、黒人は、当初は人間では
ないと考えていました。

その後、人間と動物の間の存在だ、ということに
なり、亜人間、と言われました。

その一方で、キリスト教は、人間は特別な存在であり
神は己に似せて人間を創ったのだ、
人間以外の動植物、いや総てのモノは、人間の為に
存在するものである、
ということになっています。

つまり、人間ではなく、かつ人間以外のモノは
総て人間の為に存在するのですから、黒人を奴隷にしても
何ら問題は無いわけです。

その後、黒人は人間だが劣った人間に
昇格しています。

Qイギリスの三角貿易によるアフリカの奴隷売買について

NHK・Eテレの「高校生講座世界史」でイギリスの産業革命を勉強しました。

その中で、イギリスの産業革命の頃、三角貿易が行われていて、イギリスは銃や火薬をアフリカに輸出して、アフリカから黒人奴隷を輸入してカリブ海の植民地に輸出した。そして、カリブ海の植民地からは砂糖を輸入したと説明していました。

イギリスがアフリカに輸出した銃や火薬は、アフリカでは何に使用されたのでしょうか?

奴隷を集めるため、それとも当時アフリカで戦争があったのでしょうか?

すみませんが、お教えくださいますよう、よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

よく白人が黒人を狩猟のように集めたと誤解されますが、
アフリカにおける大部分の黒人奴隷と言われる方々は、
戦争捕虜や、すでに現地で奴隷となっていた方々でした。
(狩猟によって奴隷となった方々も、少なからず存在します)
このあたりはWikiに書かれている通りなので、
一部を参照にあげておきます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%B2%BF%E6%98%93#.E6.A6.82.E8.A6.81
 「現実には奴隷狩りを行い、ヨーロッパ人に売却したのは
  現地アフリカの勢力である。」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%B2%BF%E6%98%93#.E6.AD.B4.E5.8F.B2
 「大航海時代のアフリカの黒人諸王国は相互に部族闘争を
  繰り返しており、奴隷狩りで得た他部族の黒人を売却する形で
  ポルトガルとの通商に対応した。」
 「売られた人々は、もともと奴隷、戦争捕虜、属国からの
  貢物となった人々、債務奴隷、犯罪者などだったが、
  コンゴなどでは、ヨーロッパ人に売却する奴隷狩りを
  目的とする遠征も頻繁に行われた。」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%A7%92%E8%B2%BF%E6%98%93#.E6.AC.A7.E5.B7.9E.E3.80.81.E8.A5.BF.E3.82.A2.E3.83.95.E3.83.AA.E3.82.AB.E3.80.81.E8.A5.BF.E3.82.A4.E3.83.B3.E3.83.89.E3.83.BB.E5.8C.97.E7.B1.B3.E3.81.AE.E4.B8.89.E8.A7.92.E8.B2.BF.E6.98.93.EF.BC.88.E5.A5.B4.E9.9A.B7.E8.B2.BF.E6.98.93.EF.BC.89
 「輸出された武器は対立するグループ間へ供与され、
  捕虜(奴隷)の確保を促すこととなった。」

このように、武器を供与して部族間抗争を扇動することによって、
経済的利益とともに、さらに捕虜を生み出すことになるので
黒人奴隷と言われた方々を集めることに利用されていったのです。

よく白人が黒人を狩猟のように集めたと誤解されますが、
アフリカにおける大部分の黒人奴隷と言われる方々は、
戦争捕虜や、すでに現地で奴隷となっていた方々でした。
(狩猟によって奴隷となった方々も、少なからず存在します)
このあたりはWikiに書かれている通りなので、
一部を参照にあげておきます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%B2%BF%E6%98%93#.E6.A6.82.E8.A6.81
 「現実には奴隷狩りを行い、ヨーロッパ人に売却したのは
  現地アフリカの勢力である。」

http:...続きを読む

Q奴隷貿易の終止符は?

奴隷貿易について質問なのですが、最近アミスタッドという映画を見ました。この映画はアミスタッド号という奴隷船の中で起こった西洋人にないするアフリカ人の反乱なのですが、1839年に起こったと書いてあります。しかし、私が認識する限り奴隷貿易はイギリスが1804年に禁止とし、続いて1815年の間でアメリカ、スペインなど数々の西洋国が禁止としたと思っていたのですが、この事件が39年に起こったとなると混乱してきます。19世紀の後半も奴隷貿易というのはまだ続いてたのでしょうか?

Aベストアンサー

現代でも人身売買は一部行われており、何をもって奴隷貿易は意思というかは難しいですが、労働力としての奴隷売買は需要がある限り潜在的に行われていたでしょう。
需要がなくなるのは、基本的には南北戦争が終わるころで、それまでは連邦法が南部各州で守られてはいなかった状態です。
基本的には密輸出となるわけですが、南北戦争が終わるまでは奴隷売買は、行われていたと見るのが正しいかと思います。

ただ南米各国まで視点を向けると、もう少し長いかもしれません。

Q古代の奴隷制と三角貿易頃の奴隷制の違い

世界史で分からないことがあります。
古代のギリシア・ローマの奴隷制と、19cごろのプランテーション経営を行っていたヨーロッパ(アメリカ?)での主に黒人の奴隷制の違い、またなぜ奴隷制はなくなったのかについて教えて下さい。

Aベストアンサー

前者は征服された地の人々を征服者が連れ帰って奴隷となったケース。古代ローマなどでは必ずしも悲惨で過酷な労働を強要されたわけではなく、身分制度の最下層という位置づけでしたので、実力のある人は、それなりの財を築けたりしたらしいです。
後者は、牛馬と同様、肉体労働の担い手としてアフリカなどで狩ってきた人々を集めてアメリカなどに販売する商品でした。当時、キリスト教にとって、異教徒は人間では無かったので、九州の日本人もキリシタン大名やキリシタンが手先となり、宣教師の指導のもとでインド方面などに売られていました。
こちらは「人」よりも「家畜」とみなされていたので、例えばアメリカから100人の奴隷を注文されると、奴隷船には2~300人を乗せて出港、途中、彼らが病気になると、他の奴隷に移らないように海に捨てました。最終的に納品場所に100人を連れて行ければよかったのですが、この行為は、牛馬でも同じことを行っていたので、欧州各国で法的にも認められていました。
アメリカでは、南部が奴隷を活用して綿の栽培で富を築いていましたが、北部では奴隷を活用する産業が無く、逆に奴隷によって白人の仕事が無くなることもあったため、南北戦争で北軍が勝利した結果、奴隷の活用が大きく制限され、奴隷制度も下火となりました。つまり、単に活用範囲が狭くなって下火になっただけで、当初は特に「人種差別」が問題視されたわけではありません。その証拠に、後年、国際連盟で日本が人種差別撤廃を呼び掛けた時、アメリカはそれに賛成せず、廃案としました。

前者は征服された地の人々を征服者が連れ帰って奴隷となったケース。古代ローマなどでは必ずしも悲惨で過酷な労働を強要されたわけではなく、身分制度の最下層という位置づけでしたので、実力のある人は、それなりの財を築けたりしたらしいです。
後者は、牛馬と同様、肉体労働の担い手としてアフリカなどで狩ってきた人々を集めてアメリカなどに販売する商品でした。当時、キリスト教にとって、異教徒は人間では無かったので、九州の日本人もキリシタン大名やキリシタンが手先となり、宣教師の指導のもとでインド...続きを読む

Q17世紀後半から始まった奴隷貿易が産業革命にどう影響を与えたのか教えてください。

奴隷貿易はその後にイギリスで始まる産業革命にどう影響をあたえることになったのか教えてください。

私がさす奴隷貿易は欧州、アフリカ、アメリカ間で行われていたものです。

Aベストアンサー

人を雇っていては、採算の合わないものは生産できませんし、人件費がかかっては、利益が少なくなるので、次の設備投資や開発にもお金が使えません。
この時代は産業用ロボットなんてものはないので、人を使うしかありませんが、奴隷がいればこれらが解決します。
それに奴隷商人もお金を作って、それを使いますので、ヨーロッパは金回りがよくなります。
金回りが良くなると、高級品や、嗜好品を求める人が増えます。
すると、面白いものを色々考え付いて、売る人が現れます。
ということで、蒸気機関なんかが生まれるわけです。
これが産業を発達させるきっかけになっていきます。

文化産業を育て、科学を発達させるのは、戦争と無駄金です。

Q奴隷制度で奴隷となったのはアフリカ人だけですか?

かつて奴隷制度が盛んでしたが、奴隷となったのはアフリカ人だけですか?
それとも中南米の人たちも奴隷となりましたか?

そもそもどうして奴隷が必要なったのでしょうか?
長い目でみると自分たちの仕事を失うことになるし、奴隷人口が増えれば、自分たちの文化の純度も失われてしまいます。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

アメリカ大陸にアフリカ人が連れてこられたのは
西インド諸島などの現地民(昔の言い方でいうといわゆるインディオ)が
酷使や疫病の結果として大量に死亡したためです。

また南米のチェピ族などは奴隷になるよりは
食われて死んだほうがましと考えていたので
捕まえて奴隷にしても(彼らは恥辱と考えて)働かなかったなどあり、
また偏見や差別感情から、農場を荒らす
害獣としてインディオ狩りが行われ、大量に虐殺されました。

その後、一部ではキリスト教に改宗させて農耕に
従事させましたが、ヨーロッパから持ち込まれた疫病で
南北アメリカ大陸の原住民は大量の死亡し、人口が激減しました。

それで安価な労働力としてアフリカからわざわざ
奴隷をアラブ人などから買ってきて輸入したのです。

奴隷は、単純作業、特に農耕や鉱山採掘、石切などに
従事させるための家畜化された人間です。
発展段階の低い社会で人類が好んで用いる方法で、
ようするに、嫌なこと、辛い仕事を他人を脅してやらせるわけです。

根本的には利益が生まれる限りは存在しますが、
工業化、近代化すると賃金雇用の形態をとるほうが
はるかに便利で、利益があがるので、
どこでも徐々に廃止されていきます。
奴隷制は結局、その人々を食わせて養わねばならないので
その分、面倒で、反抗や反乱の危険もあるわけで、
低賃金でその都度雇ったほうが都合がいいわけです。
これらはともに人権に配慮したものではありません。
この点に関しては利益だけが考慮されていると言って過言ではないです。
要するに、奴隷制は古臭く、もうからないので廃止されたわけです。
奴隷制のある社会は古く後進的な社会で、
資本主義の発展段階で消えていったということです。


”文化の純度”云々は根本的に考え方が
どこか間違っているんでしょうし、質問の意図と離れますが
純粋な文化などこの世に存在しません。
文化とは伝播し交流し発展するものです。
他とのつながりを持たない孤立した文化は滅びる運命にあり
また実際に十人十色というように、二人の人間がいたら
二つの文化が存在するわけで、
人間は常に他人との交流のなかで文化を更新していっているのです。


さて、安価な労働力の流入は常に失業を生みますが、
奴隷制でも不法移民でも、雇用者が呼び込むものであって
労働者がどうこうする問題ではないのです。
だからこそ世界中で移民問題が論議されているわけです。

アメリカ大陸にアフリカ人が連れてこられたのは
西インド諸島などの現地民(昔の言い方でいうといわゆるインディオ)が
酷使や疫病の結果として大量に死亡したためです。

また南米のチェピ族などは奴隷になるよりは
食われて死んだほうがましと考えていたので
捕まえて奴隷にしても(彼らは恥辱と考えて)働かなかったなどあり、
また偏見や差別感情から、農場を荒らす
害獣としてインディオ狩りが行われ、大量に虐殺されました。

その後、一部ではキリスト教に改宗させて農耕に
従事させましたが、...続きを読む

Q奴隷貿易について

奴隷貿易について調べています。イギリス人が、アフリカの人たちをアメリカに売りさばいていたようですが、イギリスに連れてこられた人たちはどのくらいいるのでしょうか?また、その人たちについて知っていたら教えてください。

Aベストアンサー

本の山ひっくり返してようやく現物を発掘してきました。
アフリカから英国へ送られた人々の実数については「新大陸よりは少ない」とあるだけで具体的な数字は提示されていませんでしたが、1764年にはロンドンだけでアフリカ系の召使が約1万人雇われていたという記述がありました。この中には英国で生まれた二世三世も含まれているはずですが、ある程度の類推が可能だと思います。

「大英帝国」長島伸一・講談社現代新書934
ISBN4-06-148934-8

Qアフリカの奴隷船について

現代ではゆるされない奴隷制度ですが、
1.アフリカから連れてこられた奴隷は奴隷商人はどのようにして捕まえたのですか。
2.奴隷船の中は、想像の絶するほどと思いますが、どのように
押し込めたのですか。便所やからだの衛生はどうしたのですか。

Aベストアンサー

奴隷商人は港で待っておれば奴隷を連れた商人がやってきました。
奴隷は彼らを捕まえる商人が部族間で獲得した戦争捕虜や適当に村や部落から略奪した男女でした。

ガラス玉や武器弾薬と交換された奴隷は商品として奴隷船に積み込まれ、足首を鉄鎖で固定され、体が密着するほど詰め込まれたといいます。

食事や水は適当に与えられたようですが、鎖につながれたままでの生活で、鎖を外されるのは死亡して海中に投棄される時だけでした。
航海中の死亡率は半分以上に達する程で強健な者だけが生き残れたといいます。
奴隷的な扱いはそれ以前にガレー船の漕ぎ手がありましたが彼らは労働が必要な為、鉄鎖でつながれましたが荷物扱いではありませんでした。(軍船の場合は漕ぎ手も戦闘員の為鎖につながれることはありませんが)  

Qなぜイギリスは世界の中で早めに奴隷貿易を禁止したのでしょうか?

今日歴史の本をぱらぱらとめくってたんです。
それでリンカーンの項目を読んでたんですけど、
リンカーンといえばあの「人民の・・・」の演説が有名ですけど
奴隷制を廃止したのは調べて見るとイギリスのほうが先に奴隷貿易を禁止してるじゃないですか
これはどの様な理由があったのでしょうか、
人道的といった理由の他に何か利益がでるといった理由がすこしでもないと帝国主義の国はそんな人道的なことはやらないといった偏見を私は持ってたんですが実際のところどのような理由があったのでしょうか?

Aベストアンサー

なにも黒人やアフリカンがかわいそうだから禁止にしたのではないのですよ(●^o^●)たまらん!

直接白人が原住民を管理監督するよりも原住民の傀儡リーダーに
間接的に統治させた方が効率的で良いかそうしたまででつ (^ω^) 
たまらん!

私は、海外旅行は、32ヶ国に行きました。
タイには、20回以上は行っています。
いろんな経験をしているからこそ分かるのですよ♪
また、なにか分からない事があればなんでもご質問してくださいね♪誠実にお答えしますので、ご遠慮せずにどうぞ(●^o^●)

Q敗戦国日本への関与

こんにちは。日本は敗戦国です。
アメリカとの付き合いについてはたくさん言及されますが、
他、イギリスやソ連などとの関与についてはあまり報じられません。
そういう国と日本はどういうふうに付き合ってきたのか、
どういう命令を飲んできたのか教えて下さい。
よろしくお願いします

Aベストアンサー

こんにちは。
戦後、(日本人は終でも敗でもこれを用います)
ネッ!第二次世界大戦とナゼ言うの?と
思ったりしませんか。
日本はアメリカ、イギリス、フランス、とは
植民地を奪取されて、権益の戦い。
ソ連、中国は戦勝国とは言えないだろ~
火事場ドロボーを働いたり、内戦か抗日かの
区別がつかない状況だったのに。
ソ連(現ロシア)は、卑怯にも日本との間の
不可侵条約を破って、終戦真近の参戦です。
北方4島とクルリ諸島を掠め取りました。
朝鮮人は、終戦と同時に降伏文章公布
の間隙をついて竹島を掠め取った。
中国はデカイ面し過ぎ、言動に現れて居ます
が、常任理事国とは言い過ぎ。
今の中国では無い中華民国(台湾)には
負けた感じは有りません。
と云うか内戦に懸命で今の中国になったのは
戦後4年ほど後でしたから当然か!
WW2は、大くくりで国連の5常任理事国と
日本ドイツ、イタリアが戦った構図になりました。
戦後、日本、ドイツ、イタリアに関して国際社会で
最貧国以下の扱いをしようと決議され、其の為に
造られたのが、現在も有効な国連憲章に、アメリカ
(連合国)の言う事を聞かなければ、今現在でも
5か国で叩いても良い事となって居ます。
そんな中、果敢に戦い抜いて来ました。
日本にドイツにイタリアに文句を言うのであれば
70年も時間が有ったのだから、国も人もマイナス
から始めた3国以上になれていない事は恥じて、
「全面降伏とは?」を良く理解して、と心から願う
モノです。

こんにちは。
戦後、(日本人は終でも敗でもこれを用います)
ネッ!第二次世界大戦とナゼ言うの?と
思ったりしませんか。
日本はアメリカ、イギリス、フランス、とは
植民地を奪取されて、権益の戦い。
ソ連、中国は戦勝国とは言えないだろ~
火事場ドロボーを働いたり、内戦か抗日かの
区別がつかない状況だったのに。
ソ連(現ロシア)は、卑怯にも日本との間の
不可侵条約を破って、終戦真近の参戦です。
北方4島とクルリ諸島を掠め取りました。
朝鮮人は、終戦と同時に降伏文章公布
の間隙をついて竹島を掠...続きを読む


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