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鎌倉殿の13人を見ていたら、罰としてマゲを切り落とされて、悶絶せんばかりに苦しむ公家の姿が描かれていましたが、
明治維新期の日本人はマゲを切り落とすことに、あそこまで恥辱を感じて葛藤したり苦しんだ様子はなかったようですが、日本人はどの辺からマゲをそこまで重要視しなくなったのでしょうか?徳川時代ですかね?

イザベラ・バードの朝鮮紀行を読んでいたら、日本支配期の朝鮮人にマゲ禁止令を出したら朝鮮人は暴動を起こしたとのことなので、ずいぶん意識が違うなと感じました。

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A 回答 (3件)

中国で清朝が辮髪令を出して漢族に辮髪を強制した時、「蛮族」の髪型である辮髪への抵抗が非常に強かったので、「頭を残す者は、髪を残さず。

髪を残す者は、頭を残さず。」と首を切るか髪を切るかと強要しました。清朝末期になると、逆に辮髪が中国的なヘアースタイルと認識されて、清朝が倒れた後も辮髪のままの漢族が沢山いました。

自分の文化に誇りを持っていれば、その象徴である服装や髪型を変えることに非常な抵抗を覚えます。
日本みたいに極東の最果て地で、古代から文明圏の端っこであることを自認していると、ビックリするくらい卑屈な根性が染み付いてあて、平気で己のアイデンティティをかなぐり捨てるんです。
「鬼畜米英」が一晩で「ギブミーチョコレート」になるなんて他の国じゃあり得ません。
この卑屈な国民性が、明治での西欧化をすんなり受け入れる素地となったのです。
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太平洋戦争後でも田舎では髷のままで生活していた人は、かなり少ないとはいえ、高齢者では珍しくありませんでした。


暴動を起こすほどではないにしても、断髪令が出た後も、高年層ほど髷のままであった人は多かったと思われます。
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明治の世になってから、わざわざ断髪令が出ているところをみると、髷を切ることに抵抗があった人が多かったと思われます。



なお、公家が髷を切られて大騒ぎするのは、烏帽子が被れなくなるためです。
烏帽子は他人と会う時は必ず被るもので、紐で髷に固定していたので、髷がないと人前に出られないことになります。
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