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最近読んだ本で、古代日本において秦氏の貢献した役割は大きいとあります。

愛媛にある秦氏ゆかりの神社ないし寺を教えて頂き、神主ないし住職に率直な質問をしたいと思ってます。

考古学なんて大それた意味ではなく身近な郷土史に触れたい程度です。

でなければ近県で秦氏関連の神社ないし寺で電子メールで問い合わせ出来そうな所が知りたいです。
(あくまで出来そうで結構なんです)

A 回答 (4件)

愛媛県松山市にある木野山神社ではないでしょうか。



参考URLによると、日本書紀の記述から、秦氏が神と崇めた稲荷とは実はオオカミと推定しており、古代の狼信仰の名残を伝える数少ない神社の1つに、愛媛県松山市にある木野山神社をあげられています。

また、稲荷神社が秦氏の氏神ということだそうです。
(ということは京都の伏見稲荷をはじめ、全国の稲荷神社は秦氏のゆかりの神社といえると思います。)

神社の連絡先は分かりませんが、おそらく市の観光協会で教えてもらえると思います。

松山市観光協会
〒790-0012 愛媛県松山市湊町7丁目5番地 松山市総合コミュニティセンター1F
TEL 089-935-7511  Email:matukan1@topaz.ocn.ne.jp


また、神社のとりまとめをされている組織として都道府県ごとに神社庁があります。
そこで教えていただくことはできないでしょうか?

愛媛県神社庁
〒790-0934 松山市居相町337伊豫豆比古命
089-905-0315

参考URL:http://homepage3.nifty.com/yahoyorodu/hatasi.htm
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#2.#3の回答者です。

時間ができましたので、再質問の残りに対して回答します。

「失われた十字架」は梅原猛氏の法隆寺論で、イスラエルとは関係がありません。でも、法隆寺は原始キリスト教のテラですから、梅原氏が知らないでふさわしいタイトルを付けてしまったのです。こういうのを「神の御手」と言うのでしょう。ちなみに、テラの語源はセラであり、セラのラテン読みがテラとなります。セラはヨセフの孫娘で、セラピストのルーツの女性ですが、彼女が創った癒しの施設がテラ(寺)となったのです。なお、仏教はイスラエル12部族のダン族から出ています。ダンナとはダンのという意味です。

さて、アークですが、これは伊勢神宮にあります。飛鳥氏が神道の元締めの八咫烏のドンに会って確認しています。イエスの磔刑の十字架もあります。内宮と外宮を結んだ線を、ダニエル書の1335日という記述に従い3.7倍すると伊雑宮に至ります。
また、神武や崇神などの神が付く名前は、同一人物の別名を意味します。高天原は太陽神の御座である太陽そのものを指します。これらは、飛鳥昭雄氏の一連の著作で確認して下さい。検索ですぐに出てきます。その中の、『失われたカッバーラ・陰陽道の謎』には当方の資料も使われています。ただし、飛鳥氏と僕では立場が異なりますが。

邪馬台国ですが、飛鳥氏の説が正しく、大和にあったと思われます。西日本を、九州を中心に約90度時計回りに回転させると、西日本は垂直に近くなります。この地図上で魏志倭人伝の旅程を再現すると、見事に一致します。飛鳥氏の「西日本は中国大陸から分かれた」とする説は、日本と中国のムツゴロウの生息地の関係を説明します。

この説に関してですが、僕は、ソロモン神殿を飾ったオフルの金は古代日本から運ばれたと考えています。聖書学者はオフルがどこかは特定できていませんが、巨大なタルシシの船で古代日本に来た可能性は高いのです。それが、日本列島が動き回るので、地図上から消えてしまったのです。古代大和民族は、そのような情報を持っていたので、日本を最終目的地としてやって来たのです。決して、偶然に日本に住んだのではありません。そして、ヤコブとヨセフのエジプト名パネアから、二人の頭文字を取ってJapanと命名し、イタリアのメーソンを使ってジパング伝説を流布させたのだと思います。あるいは、マルコ・ポーロはイスラエルの分かれた民かもしれませんが。

さて、これらは、すべて一つの方向を指し示しています。それはエゼキエル書にあるイスラエルの集合という預言です。日本は、イスラエル12部族が集結した地であり、そういう意味では預言は成就されました。これからの日本は、アークと聖十字架を保持する国として、世界に対して責任を問われるのです。それは、国としてだけではなく、国民一人一人が責任を問われるという意味ですが、大半の人はその重みから逃げようとします。逃げない人には大きな祝福があるのですけどね…

        
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#2の回答者です。

新たな質問がありましたのでお答えします。

まずアセナテと伊勢の関係ですが、アセナテのナテは女性を指す人称代名詞のようなもので特別な意味はありません。また、アセナテのアセは焦るの語源で、急ぐとかの意味があります。アの字をヒエログリフ表記すると、鷲か葦になりますが、アセの音に近い葦で書かれたと思います。ところが、葦のヒエログリフはイと読むのが普通なので、ここからアセはイセとなります。アセナテはイシスのモデルとなった可能性が高く、イシスから派生した女神の一つにアマテラスがあります。ですから、アマテラスはイセが別名となるのです。

さて、伊勢の伊の字ですが、分解するとヨ・ノ・人となります。ヨノ人とはヨセフの人(妻)を意味しますから、漢字の形成にもヨセフの子孫が関わったのは明白です。

アセナテはたぶん白人系ですが、伊太利亜の頭文字に伊の字が用いられていることから、イタリア出身と考えられます。伊勢にしても、井の字が用いられていなくて、伊の字が用いられていることに特別な意味があったのです。

また、高天原の語源については朝鮮半島説もありますが、僕の守備範囲外です。古代史で成果を上げるには、できるだけシンプルで分かりやすい道を選ぶことです。それが常識とは反しても、あるいは定説と異なっても、難解な定説や常識の方が往々にして間違っているのです。何事においても、分かりやすくないものは本質を外しているのです。ですから、誰にでも、まだまだ新発見が期待できるでしょう。質問に関しては、当方のサイトからメールを頂けたらお答えできると思います。ただし、時間的にすぐにとは行きませんが。エフライム工房主催 平御幸
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#1の回答者が興味深いことを書いていましたので補足します。



稲荷に祭っているのはオオカミということですが、これはローマ建国神話がルーツと考えられます。秦氏は古代ローマと切り離すことのできない部族なのです。秦氏は古代イスラエルのユダ族の出自であると飛鳥昭雄氏は述べていますが、ヘブライ語のイェフダの転訛でハタになったという説は間違いです。真相は、ヤコブの祝福でユダ族は獅子と表現されており、それで獅子のヒエログリフの読み方であるハタが部族の名前となったのです。

秦氏の代表である服部は、ハタのトリベが語源で、トリベはラテン語で(イスラエル12)部族を意味します。秦の字で古代ローマを意味する大秦との関係を暗示し、オオカミでローマ神話に注意が向けられるように企んだのだと思います。要するに、自分たちがイスラエルのユダ族であることを、様々なシンボルを用いて堂々と曝していたのです。古い神社を訪れるのなら、柱間などに聖書の神聖キュビト(52.5cm)尺が使われているのを発見できるでしょう。もっとも、0.8尺の42cmや、2/3の35cmが尺度とされている可能性もありますが。

なお、愛媛の旧名の伊予は、ユダ族と祝福を二分したヨセフと妻アセナテを意味します。伊がアセナテで、予はヨセフを表します。伊勢・志摩は、アセナテ(別名イセ)とヨセフ達が住んだテーベ(別名シマ)という意味です。
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この回答へのお礼

有難うございます。読んで感激。
もっと具体的に質問したくなりました。また日本人は漢民族?という質問箇所も一気に読みました。

頭の中で、いろんな事が交錯し整理しながら日を置いて二、三質問させて下さい。
早朝勤務で遠方まで松山から宇和町まで走らなければならず、コーヒー飲みながら、うまく書けません。

まず当面の質問は、旧名の伊予は伊がアセナテとありましたが、イのどこにアセナテの重なるのか分かりません。
予はヨセフのヨと解釈できますが・・・。

それと日本語のルーツに関心持ちました。ある本では「隠された十字架」だったと思いますが、(正確な本のタイトルは失念)神話の高天原は古代北イスラエル(パレスチナ・カナン)に、タガマ州ハラという地名があり、チグリス・ユーフラテス川を下って、イザヤという預言者がアークを所持して東方に去ったというのです。

実際にタガマ州ハラという地名があるのなら古代絵図にそれらしき地名ないでしょうか?。いわゆるウラをとりたいのです。

なら崇神天皇はローマ字でSUMERAスメラノミコトと読ませますが、英語風に読めばシュメールとも読み替え出来ます。
ミガドがヘブライ語で開拓者という意味があるとあり、ならば崇神天皇はシュメールから来た開拓者でありクニハツシラスという別称は深い意味にもとれなくもないのです。

また卑弥呼の邪馬台国は九州説を信じているのですが、倭国大乱の際の王(武力を持って勢力拡張した王)は、語弊がありますがその・・・。
馬鹿馬鹿しい妄想発言で恐縮ですが、返答できそうな所だけお聞かせ下さい。

お礼日時:2005/03/30 04:41

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