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シベリア抑留では日本人の子供の犠牲者はいなかったのはなぜ。というか、スターリン政権においては、ロシア人が日本人の子供にまで手を出すことがなかったのはなぜ。

質問者からの補足コメント

  • プンプン

    じゃぁ子供は全員生還したのですね。一人も暴力を振るわれたりもしなかったのですね。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/04/13 19:53
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A 回答 (6件)

労働力にならないから連れて行かなかった。

だが殺し、犯した。№5さんが何度も書き込んでくれてるのにことさら無視をするのは、ロシアびいきが見え見えです。
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葛根廟事件」=1945年8月14日午前11時過ぎ、興安から葛根廟に逃げていく非武装の婦女子・老人たち1千数百名に対して、ソ連軍の戦車隊が1時間半にわたって砲撃・銃撃を続け虐殺した。


日本本土に引き揚げようとする民間の日本人避難民に対し、ソ連軍だけではなく満州人・中国人・朝鮮人らによっても言語に絶する暴行・略奪・殺戮が行われ、それが日本敗戦後の当該地域の責任ある統治機構によって黙認・助長されたことである。

●引き揚げ者の告白(月刊誌「潮」昭和46年8月号)…

◇「2人の子供を背負い、昼間の狙い撃ちを避けて夜通し歩き続けました。年老いた人たちは、足手まといになってはと自ら濁流に身を投げ、幼い子供を絞め殺した婦人も少なくありませんでした」(5歳と3歳の子を持つ主婦)

◇置き去りにされ、狼の餌食になったと思われる子供たちもいた。栄養失調で死ぬ子供が続出した。

●「ソ連軍も満人や中共軍までが日本の女を要求した。集団の生命を護るために身を犠牲にした娘もあった。子供を養う為に身を売らなければならぬ母親もあった。…ある娘はこんな穢れた身を祖国にもち帰っては申し訳ないからと、両親の勧告をさえ切って、満州の土となるべく帰らなかったという」(壬生照順「真理」第11巻第5号 昭和21年12月)

●「北朝鮮に入ってきたソ連軍は…白昼、妻は夫の前で犯され、泣き叫ぶセーラー服の女学生はソ連軍のトラックで集団的に拉致された。反抗したもの、暴行を阻止しようとしたものは容赦なく射殺された」(若槻泰雄「韓国・朝鮮と日本人」) 満州も北鮮も情況は全く同じだったと言ってよい。

●ソ連軍占領地におけるソ連兵の無法行為に対して、ソ連軍の憲兵は全く取り締まろうとしなかったし、将校も先に立って悪行を重ねた。個人としてではなく、ソ連占領軍当局も日本人会に対し現金・貴金属などの金品の供出を強要し、また日本人の会社の建物・個人の住宅を家具ごと接収した。

●占領軍はまた、必要に応じ日本人を強制労働に動員し、施設の撤去、土木工事、個人の私用にまで酷使した。施設の撤去というのは、工場の機械はもとより、事務所の机・椅子、工業原料や食糧の貯蔵品をソ連に運び込むことだ。病院では寝ている患者を床におろし、寝台から毛布まで運び去った。

●在留日本人の中でも、最も悲惨なのは満州の僻地に入植していた開拓団の人々である。若い男たちは軍隊に現地召集されて既にいなかったので、老人・女・子供たちは荷物を担いでひたすら南へと歩き続けた。
ソ連軍と暴民はこれに襲いかかり、また略奪暴行、殺戮をほしいままにした。一時に200人以上が殺され、または自害した事件だけでも21開拓団もあり、殆ど全滅したものも7つを数える。

●幸いに日本居留民の多い大都市にたどりついた集団は、手荷物がないのはもちろん、文字通り一糸まとわず、やせこけた体をさらしている男、素足で麻袋に穴をあけ首と手だけを出して、新聞紙にくるんだ赤ん坊を抱きしめている婦人、それはまるで「幽鬼の行列のよう」であった。

●これら難民の収容所では、毎日のように何十人もの人が息絶え、ついには死体を片付ける体力のある者もいなくなった。そして収容所のまわりには中国人がむらがった。日本人の子供を買うためである。しかし、この親をどうして責められようか。もし子供を手放さなかったら、数日のうちにその子が飢え死にすることは明らかだったからである。

●こうして満州では20万余、北朝鮮では2万6千人が殺害・自殺・餓死・凍死・のたれ死したのである。
これは一体、誰の責任なのか。日本軍のせいにする者が多いが、日本軍は既に降伏して武装解除しているのである。この責任は占領軍たるソ連軍にある。ヘーグ条約には占領軍は「公共の秩序維持」「占領地の住民の保護」「その名誉、権利の尊重」「略奪の禁止」その他が詳細に定められている。

  《若槻泰雄 「売文業者たちの戦後責任」》
   (他著書「『在中二世』が見た日中戦争」)

●米軍が占領した内地はよかったが、ソ連が担当だった満州は悲惨だった…
彼らは争うようにして日本人を襲った/殺人・強姦・略奪・暴行/日本人の家だけを狙い小銃を突きつけてはやりたい放題/「近いうちにまた連れ戻しにきますから」と言って子供を預ける親がたくさんいた。子を殺すより預けた方がよかった。

●満州では、開拓団単位で集団自決した所が数多くあった。(服毒・ピストルを互いに撃つなど)
   《半藤一利 「ソ連が満洲に侵攻した夏」》
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日本人の子供はどこから連れて行かれたのでしょうか?


私の叔父は、樺太でロスケと戦い、捕虜になり、シベリアに連れて
行かれました、その、叔父の話では、子供達は真っ先に内地
(北海道)に避難させたそうです。
私の母は、17歳で、満州で日本が負けた事を知り、徒歩でハルピン
から釜山まで来て、日本に帰国しました。
母から聞いた満州での話は悲惨です、親は死を覚悟した人が多く、
子供を助ける為に、満州人に養子として貰らわれ、家族と一緒に、
逃避行した子供は、ロスケの戦車に追い回されて、殺されたか、
行方不明になった子供は数知れずです、養子になった子供と行方不明
になった子供が日本の親族を探しに、来日して、一時、新聞紙上を
賑わしたのが、残留孤児と呼ばれた人達なのです。

鴨緑江の北側には、沢山の遺骨が眠っており、未だに、数は把握
されてませんし、遺骨の収集も僅かです。
東京オリンピックのお金の一部を遺骨収集の費用に廻したら良いのに
と思いませんか。

開拓団の逃避行の人達は年寄りと、女と子供で女は強姦された後、
殺され、年寄りと子供は、想像の通りで殺されました。
私の母は、満州人の友人に、別のルートを教えられたので、惨劇は
直接見ていないのですが、博多湾で2か月間、船内に留め置かれ、
その時に、鴨緑江の惨劇からからくも逃げ延びた人と知り合いに
なり、聴いた話です、母には、銃撃を受けた傷が左肩に有りました。

北方4島の子供達は、家族と一緒に、北海道に送還されてます。

ソ連に抑留された、子供はいなかったと思います。
一番の理由は、労働力にならないからだと、考えています。
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日本兵に少年と呼ばれる人はいません。

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シベリアに連れ去られたのは、殆どが元日本軍の兵士だ。


ドイツもそうだが、日本が降伏すると、兵士を帰還させると言って貨車に乗せて、気がついたらシベリアだったという話しだ。
遙かな昔から、ロシア人というのは嘘しか言わない民族なのだ。
戦争が終わったのだから、兵士を帰還させるのが当たり前なのに、兵士を奴隷労働に駆り立てた。
奴隷労働は、賃金を払わないで良いし、いくらでもこき使えるので、やる方は最高だろうが、やられる方にとってはたまったものでは無い。
ろくな食事も与えられずにこき使われて、たくさんの日本軍元兵士が死んでいる。
ロシア人というのは、奴隷労働が大好きな民族でもある。
ソルジェニーツィンというロシアの作家が書いた様々な奴隷労働の話しは有名だが、自国民ですら奴隷労働をさせるという国なのだ。
今、ウクライナから大量の人が連れ去られているが、これも奴隷労働を強いられるのでは無いかとウクライナの人々は心配している。
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労働力にならないから、連れて行かなかった。

この回答への補足あり
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