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イーロンマスクがTwitterの現状は言論の自由を守ってないとして買収にのりだし、
『「疑わしきは意見を述べさせ、(投稿は)残すべきだ」』と主張しています。
私も正しいか間違っているかは別にして、意見は公に公開して批判に晒すべきだと思っているので
トランプのアカウント削除したりウクライナ侵略に関連してロシア側の弁明tweet『だけ』を一方的に削除するとか、Twitterの現状は言論の自由を守ってないと思います。
もちろん反論する側の
『言論の自由とは常に保証されるべきではない。既に完全論破された主張なら残しておくのは有害だ』という考え方も理解はできます。
しかし。たとえばガリレオ裁判当時のガリレオの地動説は、宗教裁判で天動説によって完全論破されましたが、後世、正しかったことは証明されました。
そのときは完全論破されていた考え方が、後で反証が確認されて実は正しかったというケースはたくさんあると思います。
法律の判例も例えば死刑の判決に対して賛成の解釈と反対の解釈のように両方解釈は必ず残されていて、後で同じような事件が起きたときに判例の反対解釈を適用して無罪判決をくだすことも(滅多に無いけど)あるわけです。
政治評論家の三浦瑠璃さんだったかが、
『世間で流行っている『はい、論破』という風潮じたいは良いけれども、論破されたからその主張は今後主張してはいけないとか、削除する、公には公開するな!みたいな考え方は害悪』とコメントしてましたし、私もそう思います。ガリレオ裁判の例もありますし。
皆さんはどう考えるか?ご意見色々聞かせてください。

A 回答 (3件)

「疑わしきは意見を述べさせ」で良いですが、


「疑わしき」と「意見」というところがポイントで
「明らかな嘘」を「事実」として伝えようとする
いわゆる「もう一つの事実」(alternative facts)は
排除しなければならない場合があると思います。
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例えば、事実無根の言論があって


それで名誉を著しく傷つけられた。

そんな場合はどう考えます?

後で、間違いだった、と訂正するだけで
その傷が完全に治癒されるでしょうか。

一度刷込まれると、修復するのは難しい
ですよ。

訂正する前に自殺した、なんて場合だって
出てくるでしょう。

人間は信じたいことは信じてしまう
のです。

そして信じたくないモノは、どんな
証拠をつきつけても、信じようとは
しません。

そういうことを考えると、
どんな意見でも公開して良い、
という考えは躊躇します。
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全面的に同意です。

いかなる理由があっても一方的な削除・排除は許されないと思います。反論があるなら、その反論へのリンクを付加すれば済む話であって力付くでねじ伏せるような野蛮な現状の言論弾圧は許されないと思います。デマ・嘘・でっち上げ・虚構・不潔・不道徳な言論もあるでしょう。しかし、それが削除を正当化する口実にはならない。そういうノイズを乗り越えて真実をつかめる人こそが民主主義を支えることができると考えます。メディアに誘導された人には主権者の資格がない。
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