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1. 何も デ・ユーレ・スタンダードをつくってそれに従えというためのものではない。

2. そうではなく この標準となるような規格についてさえ その根拠や全体としての成り立ちをも 哲学は 迂回してでも考察しておくこと これが つとめではないのか?

☆ これを問います。


    *


4. 例示による――しかもまわりくどく迂回した――説明をほどこします。

5. たとえば 言葉の問題として音声が はひふへほというように発音されるそのかたちを精確にしらべるのが 音声学とすれば その発音がどのように日本語なら日本語においてまとまったかたちを成しているかを考えるのが 音韻論であると言われます。

6. すなわち 事実上(デ・ファクト)の発音としての音声と それらがひとつの言語においてどのように音韻組織をかたちづくっているか――しかもつまりは その音韻がそれぞれどのように語の意味と対応しているか――を問い求めるときの音声とは 別です。

7. ▲ (ヰキぺ:は行) ~~~~~~~~~~~~~~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AF%E8%A1%8C

 §  清音

 「は行」各音の頭子音の音素は / h / である。
 音声学上の発音は
  「は」、「へ」、「ほ」の頭子音は 無声声門摩擦音 [h] (IPA)、
  「ひ」の頭子音は 無声硬口蓋摩擦音 [ç] (IPA) 、
  「ふ」の頭子音は 無声両唇摩擦音 [ɸ] (IPA) である。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

8. つまりたとえば日本語で:

  はえ(蠅)  [ hae ]
  ふえ(笛)  [ ɸue ]
  ひえ(冷え) [ çie ]

のごとく頭子音の音声は互いに違っているようです。

笛は 上下の唇を軽く合わせて発音する。
冷えは のどの奥のほうで息の音を遮るように調音する。
蠅は ふつうに息の音を出すかたちである。
 
ところが これらは それぞれの違いにかかわらず ハ行の子音として同等の役目をになっている。と音韻論は見る。ゆえにそのように組織立てる。つまり 音韻ないし音素としてはみな / h / のひとつで表わす。これが 事実を超えてしかも大きくつつむ理論である。
 
9. 音声は [ ] というシルシで 音素は  / / というシルシでそれぞれ表わす。

つまりは たとえば

  ほ〔火 cf. ほのほ(火の穂=炎)〕→ ひ(火)
  ふ(経)⇒ へる(経る)

というように語の変遷があるのなら ホもヒもフもへもいづれも 頭子音が ――音声として違って来ているとしても―― / h / という一つの音素と見なすのが 妥当である。




10. というふうに 事実(ファクト)をそれとして認識する学とその事実がいかに――全体の世界にあって――成り立っているかを考える学とは 別である。
 
11. 哲学は 後者をつとめとすることを外すわけには行かない。
 
つまりむろん 事実認識を基礎としてそこから始めるのであるが 哲学がそれだけにとどまっているということは あり得ないではないか。




12. ♪ 現実は 人間は互いに平等ではない。自由であるとも限らない。自由意志などをヒトが持っているわけがないではないか ♪ ・・・といった実情認識がとなえられるが そのような事実認識のみの思考は 果たして 哲学を成すであろうか。

それとも このように思弁的に考えるのは 現実にはきわめて不毛な《哲学的》な観念のお遊びであるというであろうか。

13. ヴラヂーミル・ヴラヂーミロヴィッチ・プーチンが たとえ頭子音の多様性――[h] と[ç] と[ɸ] との異音性――をあらわしていても では哲学は それをどう捉えるか? お知恵拝借です。

質問者からの補足コメント

  • 14. たとえば祖国愛という共通項でくくれるだろうか? ――いや。他の国の祖国愛をふみにじる愛は むつかしい。か。

      補足日時:2022/04/25 11:00

A 回答 (1件)

このように思弁的に考えるのは 現実にはきわめて不毛な《哲学的》な観念のお遊びである。



ヴラヂーミル・ヴラヂーミロヴィッチ・プーチンは哲学でも何でもなく人間である。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


ざんねんながら そりが合わないと結論づけました。

お礼日時:2022/04/25 17:15

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