プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

例え話ですが
戦争の生活しか知らない人にとっては
ご飯を食べられるだけでありがたい。
屋根があるだけでありがたい。
しかもその生活しかしらないから
それが当たり前でそれは凄く幸せなことだと思う。

そういう人が
戦争のない世界を目の当たりにし
そこには
家があり、暖かい食べ物がいつでも食べられる
好きなことができる。
そこで初めて自分の環境の過酷さを突きつけられ
自分の世界というものと
そうでない世界を知る。
その時に
新たな世界に飛び出したいと思うことは
他人の芝生は青いのでしょうか?

また飛び出したあと
その環境はあまりにも自分には
不釣り合いと感じて
こんな幸せな気持ちでいいのだろうか。
この世界にいていいのだろうか。
戦争の世界が自分には適切な気がする。
苦しいと思っていた世界にまだいる人たちがいるのに自分だけ飛び出して幸せになっていいのだろうか。
と思ってしまう。


自分の作り出した世界は
戦争の状況のような世界でした。
そしてそれしか知りませんし
それが当たり前。それが幸せだと本気で思っていました。が、
そうでない世界を目の当たりにし
今しかもうチャンスはない。と飛び出し時間がたつと
その世界は自分には不釣り合い、不適切、
こんなところにいていい存在ではないのでは。と
心が追いつきません。

どうすれば
頭と心が一致するでしょうか?
何かアドバイスをいただきたいです。

A 回答 (8件)

本人の考え方とか、育った環境とか、育てられた環境とかというものが関係していると思います。



要するに本人が受け入れられるか否かが問題と思います。この意味は十人十色の人格に、十人十色の環境が混じり合って、各個人がいます。

ですのでその納得の仕方がそれぞれ違うからです。

順応性がとても良い人なら、どちらの世界でも直ぐに馴染めると思います。ですが順応性が悪い人(例えば我儘が強い人)なら、馴染む事が出来なくて長い間苦しむかも知れませんが、そう云った苦しんだ人こそが、後々は安楽に過ごす事が出来ると思います。

我儘に育った人で頂点に立つ人が居ますので少し語ってみます。王様の長男で何一つ不自由なく育てられた人が居ます。その人の名は釈迦です。

幾ら何不自由なく生活で来ていても、しっくりこなかったようです。自分自身とか人生とかに違和感が生じまして、その暮らしが出来なくなったからです。

今の世で云うなら『精神障害とかノイローゼ』と云うものの様です。自身の心の中に違和感が広がってしまって、生活がままならなくなってしまったからです。

悩みと言い替えた方が良いのかも知れません。或いは疑問と云っても良いのかも知れません。『生病老死』或いは人生そのものが一切皆疑問符になってしまって。生きる事自体が全て疑問になってしまったのかも知れません。

今の貴方のようです。生きる事自体が全て疑問になった状態の事です。或いは『一切皆苦』の状態です。

全てが苦になって、全てが不安になって、全てが恐怖になった状態と云っても良いかも知れません。その状態で生きる事が『一切皆苦』の状態だと思います。

生きた心地がしなくなった状態『意識地獄』という状態です。うつとか恐怖症になった状態です。

今から2,600年も前の時代です。各地を転々として死を探し続けて、難行苦行を行った果てに、自らの苦しみの原因を解き明かして、自らその謎を解き明かして、人間の安楽になる方法を発見した事によって、人類に光をもたらせる事が出来たようです。

それは、『人間の苦しみは、その本人が自ら作りだしているものである、その苦しみが分からないで、その苦しみから抜け出す事が出来ないでいる理由は、無明の故である。』と発見した事です。

長くなりそうですので結論を書いてみたいと思います。

釈迦の教えは、人類の救いの一つだと思います。死んだら楽になるという類のものではありません。今まさに苦しんでいる自分自身が救われるために必要な事を教えていると云う内容です。

その方法とは『悟りを開く』というものですが、大変分かり難いものですので、かいつまんで説明します。

人間の苦しみとは、同じ苦しんでいる人の頭の中に苦しませているものが居ながら分からないでいる事が原因と云う意味です。

この事を端的に云い表している言葉が『無明』です。

結論として書いて置きたい事は、今の日本の仏教界では大変に沢山の釈迦の弟子が存在しています、処が日本で最大集団である曹洞宗であっても、『悟りなど無い』と云結論を出しているようですが、釈迦から悟りを取ったな等、何も残るものが無くなってしまうと思います。

また釈迦の弟子達が、毎日励んでいる修行であっても、悟りに至る為の日課の筈ですが、残念な事です。

人間を苦しめている元凶を、当の本人が知らないでいる事を無明と云っています。その元凶と出会って仲直りをする事が悟りと云われているものです。

神経症ならその症状を起こしている者の事です。うつだとしても同じですが、うつだとしてもウイルス性のものは、ウイルスを退治するなら治る様です。
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戦争のような環境にいた自分、過酷な環境だったと気づいた自分、今幸せな環境にいる自分、その時々に生まれた感情に、いろんなことに気づいたよ、気づかずごめんね、ありがとうって感情を受容してくことでしょうか。

今、まだ過酷な環境にいる人たちには、心で、気づきがあるように、苦しみがなくなるように、祈ることですかね。戦争のような状況にいた自分を労って許してくことでなにか変わるような気がします。
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いや、感じ方は一〇人十色


育った環境にもよるので
一概に言えない。

まあ深く
考えないことです。

平和が一番
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良くは分かりませんが、外国の人と結婚して其処に馴染もうとする人も



同じような気持ちかもしれませんねえ

其処には知らない言葉や表、裏や其処の人にしかわからない習慣があるでしょう

それに馴染むことは出来ると思います。

年齢にもよるかと思いますが、帰国子女とかそのような思いをしているのではないでしょうか?
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誤字の訂正です



真面目→惨め
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その、飛び出した先の幸せな世界が貴方には相応しいから、その世界に行く機会が来たのだと思います。


飛び出してください。そこがあなたの居場所です。居場所が変わったと言うより、あなた自身が新しくなったのだと思います。
ヤゴの住処は水中ですが、羽化してトンボになればその暮らしの舞台は空中に変わります。
あなた自身が、変わったので、住む世界も変わったのだと私は思います。

過去に生きていた世界を真面目だと思うことはありません。そこにはきっとあなたの根があり、そこで永く忍耐を培ったのだと思います。

私も今までは私自身が恵まれているのだと思って生きて来ましたし、自分のことを賢いと長く思ってきましたが、その実は、そうでは無かったと言うこと、普通にずっと良い人々、ずっと良い生き方がある事、そう言うことを知って、生き方も考えも変わりました。私の今までの生き方はヤゴ(トンボの幼生)の様なものだったのだと思っています。

人生の季節がいつ変わるかは予見できません。ただ、時期が来れば、人もセミやトンボのように羽化して、これまでとは別の生き方をし、別の世界に生きるようになるものだと思います。
それは、トラウマの解消だったり、自分の悪しき欠点の克服によって起こるのでしょう。
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そこにいるものには そこにいる理由がある。


在るようになった過去があり 在るようになった流れがあり 現在がある。
ゆえに 在るものは全て 在るべくして在る。

その存在が 「相応しい」かどうかはわからない。
それを決める存在がいないからだ。
ゆえに 貴方が感じているのは 「相応しくない」という不安ではなく「居心地が悪い」という不満であり その本質を 意図的に見ようとしていないのだ。

人間とは 経験によって人格が作られるがゆえに 「これで良い」と思っていた経験が 貴方の核に根付いている。
だから その経験がこう語る。
「それは変だ まやかしだ」
「騙されているんだ」
「きっといつか裏切られる 失う 捨てられる」と。

それらの正体は 麻薬狂いが再び麻薬に手を出すように ギャンブル狂いがまたギャンブルに手を出すように 「どうせ自分は」という 戦いを放棄する負け犬根性だ。
なぜならば 自分の悪を 庇っているから 自分の愚かさを 庇っているから。

本気で過去の不幸と決別したいのなら 「自分は愚かであったゆえに間違い 間違ったゆえにこれを知り 知ったがゆえに守るべきものを得た」とならなくてはならない。
それで初めて 「ああ 自分はこういうものだったのだ」という本質と出会える。

過てば改めるに憚ることなかれ。
今の楽に溺れることなく 過去の苦に溺れることなく 正しき道を見極める努力を。
人生はその繰り返しだ。
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人間、青年期〜壮年期、にかけては「冒険」をしたくなる生き物だそうですよ。


「冒険」を安心してするには「帰るところ」が有れば良いそうです。
失敗しても帰ればまた新しい冒険に出発できる、それが人間にとって重要な事です。
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