出産前後の痔にはご注意!

こんにちは。

昔の学校の呼び方を教えていただけないでしょうか。

たとえば、よく本などを読んでいて、著者略歴の中に、
「旧制第一高等学校(現在の東京大学)卒業」
などと書いてあります。そのような呼び方がよくわからないのですが、
(1)現在の大学
(2)現在の高等学校
(3)現在の中学校
(4)現在の小学校
はどのように呼ばれていたのでしょうか…?
現在大学と呼ばれているものが、昔は高等学校とよばれていたのですか?
現在の高等学校と呼ばれていたのは中等学校でしょうか?では、現在の中学校は何と呼ばれていたのでしょう?

現在では
小学校(6年)→中学校(3年)→高等学校(3年)→大学(4年)

ですが、

旧制だと、
「???」→ 中等学校(4年)→高等学校(3年)

…でしょうか?
旧制の高等学校が現在の大学に当たるのならば、
旧制の中等学校とは現在の中学と高校でしょうか?

昔は現在の6年分を4年で??
それとも、中等学校が中学を示すのならば、現在の高校はどこに行ってしまったのでしょうか?

とにかく、要するに、よくわかりません。

ご存知の方いましたら、教えていただけないでしょうか。できれば、
「 現在 」 ⇔ 「 旧制 」
「大学1年」 ⇔ 「高等学校2年」
「高校3年」 ⇔ 「中等学校4年」

みたいな感じで教えてもらえることが可能ならば、助かります。(システム自体が違うので無理だと思いますが、大まかでかまいません。)

なんだか長くてまとまりのない文章になってしまい済みません…

よろしくお願いいたします。

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A 回答 (8件)

 正確にはご自分で調べて頂くとして、あくまでも普通科での目安を上げてみました。



年齢 学年 1944年時           1949年(学校教育法施行時)
  6  1 国民学校初等科       小学校 
  7  2 
  8  3
  9  4
 10  5
 11  6
 12  7 尋常科   中学校      中学校
 13  8 
 14  9 
 15 10                   高等学校(全日制)
 16 11 高等学校  大学(予科)   
 17 12 
 18 13 大学    大学        大学
 19 14
 20 15 
 21 16 (大学院)
 22    大学院             大学院
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/04/01 23:24

学校の制度や学年(年齢)との対応は、今までの回答にあるとおりです。


個々の学校がどう変遷(名前が変わった)したか 「旧制」⇔「現在」を対応させると、
(例外は多いですが、おおむね)

「旧制」     ⇔    「現在」
小学校      ⇔   小学校

中学校      ⇔   高校
商業・農業学校など⇔商業・農業高校など

高校       ⇔   大学(教養課程 1・2年生)
専門学校など   ⇔   大学(大学の各学部など)
大学       ⇔   大学(専門課程 3・4年生)

となります。#6の方の回答にある通りです。

ちょっと不審に思われるかもしれないのは、「現在の中学校」です。
これは、戦前には対応する学校が「ほぼ、ありません。」
(厳密に言うと、旧制の中学の一部や青年学校が新制中学に移行した場合もあります。)
戦後0(ゼロ)から誕生した場合が多いです。
そのため地域の古い「小学校」「高校」は創立100周年記念!などということがありますが、
ほとんどの「中学校」は創立50数年の歴史しかありません。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/04/01 23:23

皆様の回答で事実関係についての論点は網羅されておりますが、参考として学制の変遷図を含むURLを添付します。


#3さんの御回答のように、昭和でも戦前と戦中で変遷があります。
参考URLでは、第4図が戦前期、第5図が戦中期に概ね該当します。
(戦前から戦中への変更点は、小学校が国民学校に名称が変わったことと、青年学校が義務教育化されたことなどです)

参考URL:http://www.tabiken.com/history/doc/D/D185C200.HTM
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/04/01 23:23

戦前と前後の学制は大きく変わっていますので、なかなか把握しづらいでしょうね。

正確には下の回答者の方々の記述のほうが正確だと思いますが、おおまかな把握は次のとおりでいいかと思います。

〔考え方〕戦前の名称と戦後の名称は1ランクずつ「インフレ」化している。

(初等=義務教育)
戦前は旧制小学校→戦後は、新制小・中学校

(中等教育)
戦前は、旧制中等学校または職業学校(商業、工業、農業学校など)
戦後は、新制高等学校(普通科または商業、工業、農業高校などの実業高校)

(高等教育)
戦前は、旧制高等学校または実業専門学校(高等商業、高等工業、高等農林学校など)
戦後は、新制大学(教養学部、文学部、理学部、経済学部、工学部、農学部など)

なお、戦前は、このうえに旧制大学があり、旧制高校3年と、旧制大学3年をたした6年間の高等教育修業年限は、戦後の新制大学になって、教養課程2年、専門課程2年、大学院修士課程2年の計6年と対応しています。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/04/01 23:24

既に前の回答にあったようにさまざま変遷があったのでそれを克明に説明すると混乱されると思いますので、戦後新制の教育制度が始める(直前)の所謂旧制での概略に絞って説明させていただきます。



1.義務教育としての小学校(6年)を終了後

a.将来の上級学校への進学を目的とした中等学校(5年)

b.職業能力を身に着けるための、商業学校、農学校、工業学校、師範学校(5年)
c.女性教育を目的とした女学校(5年)

2.上記a,b,c の卒業後

d.将来の大学進学を目的とした、高等学校(3年)又は私立大学の予科(3年)

e.専門的職業能力を身に着けるための専門学校(医専、薬専、農専、工専、高等師範、士官学校、私立大学の専門部)(3年)

f.女性の高等教育を目的とした 高等女学校(3年)

3.高度な専門知識、学識を身につけるための大学(所謂総合大学の7帝大、東工大、一ツ橋大、文理科大学等の単科大学等の国立大学、早稲田大学、慶応大学等の私立大学)

以上ですが

昔の中等学校は、現在の中学校と高等学校に相当するといえます(特に現在の中、高一貫教育校に似ているといえます。

又、旧制大学は一部のエリートしか進学できず、希少価値から言えば現在の大学院以上と言えます。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/04/01 23:24

#1さんの参考URLで、解るように、昭和も、時期によって、かなり、複雑で、簡単には、書ききれないですよ。


昭和も初期なのか、大平洋戦争中なのか、とか、全く異なります。

全体の流れとして、要するに、昔は、ある時期に、たとえば、高等小学校進学と中学校進学と、学校へいけないグループに、分かれるという、今のように、小学校の次が、中学校という風に、連続して進学するものでなくて、中学校の同級生が、年齢が、違うのが普通だった。
勉強が出来ても、中学校へ、行かせてもらえるのは、長男のみとか、裕福な家のみとか、家庭の事情で、進学をあきらめる(子どもは、労働力なので、早く就職してほしい)
という感覚が強かったこと。職業軍人学校(士官学校)と職業教師学校(師範学校)というコースが、国策として、確立していたこと。高等専門学校を卒業して高等学校へ入ったり(今なら、OO大学の理学部を出て、**大学の医学部へ行く)ような、同格の学校を、個人の希望で、いくつも行くケースも多かった(教育に熱心な家庭があった)
など、ちょっと、現在の、誰でも、次次と進学する状況では、なかったことなど、です。
戦時小学校、など、戦時中は、特に、複雑になったこと。
など、昭和24年までは、色々、学制は、かなり入り組んでいたようです。

昭和24年以降、士官学校制度が無くなり、防衛大学くらいしか、残っていません。

また、戦争前は、航空大学校など、陸、海、空軍に寄与できる、学校が、優遇(成績優秀だと、学費免除とか)がありました。

私も戦後生まれなので、聞いた話なので、ご自分でも、図書館等で、学制の変遷等で検索してみてください。

中学も、何年から次の学校という今で言う飛び級もあり、人によって、学制時代を終わって、就職するまでの年齢が、かなりまちまちだったようですね。

直接の回答では、ありませんが、ご自分で、調べないと、この欄で、簡単に、回答できるほど、簡潔な回答では、無いことが、お伝えしたかったです。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/04/01 23:24

戦前の教育制度は複線化というか、「行き止まり」の部分もあったので言葉で表現するのは難しいですね。


例えば小学校卒業後、高等小学校に進めば、そこから先の進学はないときいています。
単純化するなら現在の高校に相当するのが旧制中学(五年制)です。
義務教育が六年(小学校まで)。だから年齢に違いはありますが、社会的な見方とすれば戦前の小学校卒と戦後の中学校卒が同じ見方と捉えていいのではないでしょうか。
先人の話(昭和一桁世代)を聞くと、旧制中学の進学率は、クラスで半分もいなかったそうです。学制切り替えの時に旧制中学校に入学した先輩は、同じ学校に六年いたことになります。
制度的には6・5・3・4制ですが、進学率等を勘案すると、旧制中学校への進学率が現在の大学進学率。旧制高校の進学率はいまの大学院進学率って感じで捉えると、つかみやすいと思われます。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/04/01 23:25

そういう,学校の体制を「学制」と言います。


学制は時によって変遷するので,一言では言えません。
また現在の学制においても,高等専門学校や短期大学など複雑なものがあります。

下の参考URLは明治時代の学制についてわかりやすく表にされています。
大正や昭和初期ではまた違った物ですが良かったら参考にしてみてください。

参考URL:http://www.edinet.ne.jp/~oars-man/history/school …

この回答への補足

ありがとうございます。
中々参考になりますが、ちょっと明治時代と書いてあるのが気になります…。すみません…書き忘れてしまいましたが、昭和を希望しております。
後からこんなことを書き込んでしまい、本当に申し訳ありません。どうかお気を悪くなさらないでいただければ幸いなのですが・・・すみません。
URLのご紹介どうもありがとうございます。

補足日時:2005/03/26 06:33
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/04/01 23:25

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となっています。勿論、個人によって違いはありますが。

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結果が下記アドレスです.
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz198102/hpbz198102_2_185.html

ご質問の趣旨を含めて全ての情報が記載されて居るので,
詳細な解説は必要ないしていたしませんが,
ご質問に関連する部分は,
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参考URL:http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz198102/hpbz198102_2_185.html

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昔は数え年で年齢を数えていました。
生まれたときが1歳、その後正月が来るたびに年齢が上がります。
小学校へ入るのは毎年4月です。
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☆小学校

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1~3月生まれは「早行き」とか「7つ行き」といって、数え年7歳で入学、それ以外は「おそ行き」とか「8つ行き」といって、数え年8歳で入学でした。
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それぞれ何グラムぐらいなんですか?困っています教えてください。私はさじを持っていないので測れないのです

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Aベストアンサー

はじめまして。

1.「いう」は以下のような、使用区別があります。

言う:
(1)心に思うことを言葉で表します。
(2)「~と呼ぶ」「~と名づける」の意味で使います。
(3)物が音を立てる(戸ががたがた言う)時などに使います。
例:Aが~だと言った。

云う:
(1)「伝える」が語源です
(2)人から聞いたことを「云う」
(4)伝承・伝説として伝わることを指して「~と云われている」
例:昔から~だと云われてきた。

謂う:
(1)「謂」は「理由、わけ、事情」という意味があります。
(2)「謂れ」=「因縁」「由緒」と考えるとわかり易いです。
例:この家の謂れは~


2.「きく」は以下のような、使用区別があります。

聞く:
物音や人の話を耳でとらえます。
例:人の話を聞く。

聴く:
「(限定的に)身を入れて聴くこと」を言います。
例:音楽を聴く。国民の話を聴く。

訊く:
(1)「訊ねる=問いただす」から来ています。
(2)意味は「尋ねる」ということです。
例:道を訊く。詳細を訊く。

以上ご参考までに。

はじめまして。

1.「いう」は以下のような、使用区別があります。

言う:
(1)心に思うことを言葉で表します。
(2)「~と呼ぶ」「~と名づける」の意味で使います。
(3)物が音を立てる(戸ががたがた言う)時などに使います。
例:Aが~だと言った。

云う:
(1)「伝える」が語源です
(2)人から聞いたことを「云う」
(4)伝承・伝説として伝わることを指して「~と云われている」
例:昔から~だと云われてきた。

謂う:
(1)「謂」は「理由、わけ、事情」という意味があ...続きを読む

Q人間の3大欲とはなに?

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教えて下さいっ!
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どちらでもいいってことでしょうか?

Aベストアンサー

「いずれか」が正しいです.
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Q「今日も今日とて」の意味を教えて下さい

「今日も今日とて」の意味を教えて下さい。
前後の文章から、単純に「今日も」という事かなと思ったのですが、「今日とて」がひっかかります。
「今日」は「キョウ」でいいんですよね?

宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

同じ意味の重ね合わせで、強調してるのです。

「今日も」、今まで通りなんだ、
「今日とて」明日になれば変わるかも希望をもっていたとしても、「今日とて」変わらない。という事ですね。

音を踏んで、何も変わらない事を強調表現しているのです。

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「わかりづらい」  と  「わかりずらい」
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「わかりづらい」が正しいとおもって使っていたのですが、
最近「わかりずらい」もよく目にします。

二者択一だったら皆様はどちらを使うべきですか?

アドバイスを頂きたいと思います。

Aベストアンサー

goo 辞書より

づら・い 【▽辛い】
(接尾)
〔形容詞型活用([文]ク づら・し)〕動詞の連用形に付いて、その動作をすることに困難を感ずる意を表す。…にくい。
「老眼で辞書が見―・い」「読み―・い本」「無愛想で話し―・い」
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%C5%A4%E9%A4%A4&jn.x=24&jn.y=14&kind=jn&mode=0

ずらい
検索結果に該当するものが見当たりません。
キーワードを変更して再度検索をしてみてください。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%BA%A4%E9%A4%A4&jn.x=29&jn.y=11&kind=jn&mode=0

私は辛い(つらい)→づらい、と考えて「づらい」を使っています。

参考URL:http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%C5%A4%E9%A4%A4&jn.x=24&jn.y=14&kind=jn&mode=0

goo 辞書より

づら・い 【▽辛い】
(接尾)
〔形容詞型活用([文]ク づら・し)〕動詞の連用形に付いて、その動作をすることに困難を感ずる意を表す。…にくい。
「老眼で辞書が見―・い」「読み―・い本」「無愛想で話し―・い」
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%C5%A4%E9%A4%A4&jn.x=24&jn.y=14&kind=jn&mode=0

ずらい
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Q旧制中学を卒業すれば大学に行けた?

戦前の日本では、
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高校の立場はどうなりますか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>旧制中学を卒業すれば大学に行けたのでしょうか?

戦前といっても太平洋戦争末期とそれ以前では制度が違うため微妙ですね。
ただ「大学の本科」に限れば答えはNoでしょう。

戦前は数多くの学校(種別)があり、現在と比較するのは難しいです。
単純に「小学校⇒中学⇒高校⇒大学」というようなストレートな順番だけでなく、多岐にわたる選択肢があります。
小学校(国民学校)卒業後だけを見ても以下のように多岐にわたります。(太平洋戦争末期)
国民学校高等科:2年制(12~14才)
実業学校:4年制(12~16才)
青年学校普通科:2年制(12~14才)
青年師範学校予科:3年制(14~16才)
師範学校予科:3年制(14~16才)
高等女学校:4年制(12~16才)
中等学校:4年制(12~16才)
高等学校尋常科:4年制(12~16才)

大学(本科)に行くための進路だけに限定すれば以下の2ルートが正規ルートでしょう。
・旧制中学→旧制高校→大学
・旧制中学→大学予科→大学

なお旧制高校の定員は帝国大学の定員とほぼ同数だったため、専攻を選ばなければ帝国大学への入学は約束されたようなものだったようです。
逆に言えば一部の一部の帝大に人気が集中すると定員割れを起こす帝大や公立大学が出てしまうようです。

その対策として各大学が大学予科を新設して学生の確保に力を注いだとのことです。(大学予科は特定の大学の付属学校のため、他の大学には進学できません)

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%88%B6%E5%AD%A6%E6%A0%A1

>旧制中学を卒業すれば大学に行けたのでしょうか?

戦前といっても太平洋戦争末期とそれ以前では制度が違うため微妙ですね。
ただ「大学の本科」に限れば答えはNoでしょう。

戦前は数多くの学校(種別)があり、現在と比較するのは難しいです。
単純に「小学校⇒中学⇒高校⇒大学」というようなストレートな順番だけでなく、多岐にわたる選択肢があります。
小学校(国民学校)卒業後だけを見ても以下のように多岐にわたります。(太平洋戦争末期)
国民学校高等科:2年制(12~14才)
実業学校:4年制(12...続きを読む

Q戦争に行かなくて済んだ人達って?

昭和10年代後半、大学生でさえ召集されたあの時代に五体満足で健康な20~30代の男子で
戦争に行かなくて済んだのはどんな人達なんでしょうか?
わざと徴兵回避して村八分になった人達を除いて召集されなくても
堂々としていられた人達の場合です

Aベストアンサー

『軍事板常見問題』のキャッシュより
http://mltr.free100.tv/index02.html
(現在、上記サイトの項目が閲覧できないので…)
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08k03.html#draft

【質問】軍に召集されなかった人には、どんな人がいますか?

【回答】旧日本陸軍に於いて、召集を担当するのは、各県にほぼ一つ配置された連隊区司令部です。この連隊区司令部で、参謀本部、陸軍省と言った中央が決定した動員計画に基づき、該当者を召集令状を作成します。
 これは、充員召集令状と言い、前年度に作成し、予め警察署に保管、動員令が下令されると発行するものです。
 また、中央とは別に、その地区を管轄とする師団から、戦死、戦傷、戦病などの要員で人員の不足があった場合、管轄地域で召集令状を発行しました。
 これを、臨時召集令状と言い、師団毎に随時作成されています。
 比率から言えば、日中戦争勃発後、後者の令状が多く発行されています。

 この発行の基礎資料になったのが、各市町村役場の兵事課から提出された在郷軍人名簿です。
 これには軍隊の経歴、召集回数、健康程度、家族関係、思想関係、治癒見込(病気の場合)などが記述され、このほか体格等位に徴兵検査の結果を記入、役種に兵役種類が記入され、更に特・分業、特有の技能が記入されています。

 充員召集令状を発行する場合、特・分業、特有の技能に注目し、中央が作成した動員計画の必要技能召集する部隊の練度、任務の軽重なども勘案して、召集を決定します。
 他に、体格等位、健康程度などを重視して必要兵を抽出していきます。
 海軍の場合は、更に思想関係も重要視されたようです。

 さて、召集記録の欄の末尾に「召集延期者」略して「召延」という朱印が押されると、召集対象外となり、召集令状は来ることがありませんでした。
 これには甲、乙と二つの区分があり、甲は絶対召集しない人、乙は人がいない時に初めて召集対象となる人です。
 この召集延期の制度は昭和2年から開始され、制度が年ごとに拡大していっています。
 ちなみに、この規定は、陸軍動員計画令(永年動員計画令)に記載されたものです。

 例えば、1943年当時の戦時召集延期者は以下の通りです。

1.侍従、侍医、東宮傅育官、皇宮警察官吏、皇宮警察部消防夫
2.陸海軍部隊に在職し余人を以て代うべからざる者、及び特種の雇用人、工員にして必要欠くべからざる者
3.鉄道又は通信業務に従事し、必要欠くべからざる者(一般国民対象)
4.船舶(50t以上のもの)乗組員にして必要欠くべからざる者(一般国民対象)
5.民間航空乗組員にして必要欠くべからざる者(一般国民対象)
6.国土防衛に直接関与する業務に従事し必要欠くべからざる者
7.陸軍大臣の指定する工場又は事業上に従事し必要欠くべからざる者(一般国民対象)
8.都道府県、地方事務所、警察署、市区町村の官公吏にして兵事事務を主管する者各一名(一般国民対象)
9.帝国外の地に於いて執務を執行する帝国官吏中、必要なる者、並びに外地最高司令官、朝鮮台湾軍管区司令官
10.帝国議会の議員
11.国民学校教員中必要なる者(一般国民対象)
12.上記の外、国歌総力戦遂行の為に緊要なる業務に従事する者にして、必要欠くべからざる者

 つまり、一般人は輸送、通信関係の職員、陸軍大臣指定工場技術者、兵事係などの召集業務担当者が全面的に免れ、教師も一部が召集対象から外れています。
 また工場の熟練労働者も対象となっています。
 但し、工場などに於いてその選出は各工場に任されていた為、工場幹部の親戚が事務屋として入っていて、召集延期者として選出させた事例もあります。
 この場合は、発覚すると即座に召集されるようになっていました。

 1944年からは、臨時召集延期制度が始まります。
これは、航空機工場、特に重点機種(疾風とか飛燕とか言った戦闘機、飛龍などの爆撃機)の生産従事者は全員この対象となって、召集を延期されています。
 また、これ以外の航空機生産従事者、交通関係従事者、鉱山技師、炭坑夫、造船関係従事者、特攻兵器製造従事者は、例え徴兵検査で入営することが決まっていても、一定期間その入営を延期する「入営延期制度」対象者となっています。
 この制度も1944年から開始されています。

 これより先、1943年3月からは、既に入営した人で、軍需生産に必要な人でなおかつ、「軍の統率、団結、軍の士気上差支えなき範囲内に於いて」召集解除し、職場に復帰させると言う「特別召集解除制度」がありました。

 また、本土の食糧不足が深刻化していた1945年には、根刮ぎ動員があった反面、「召集要考慮制度」というもので、軍需生産だけでなく、農林水産業従事者も対象にしています。

 これらの総数がどれくらいあったかと言うと、召集延期制度が、1941年には10万人程度だったのが、1945年には85万人、臨時召集延期制度は不明、入営延期制度は、1944年で20万人、1945年で6万人、特別召集解除制度は1943~45年で4。3万人、召集要考慮制度は160万人が対象となっています。
 戦時中の在郷軍人数は約500万人、召集要考慮制度を除くと、総数で115万人以上に上っています。
 また、充員召集計画で召集令状を発行されていたのに、その充員召集計画自体が取りやめとなった為、結果的に召集されなかった人も多かったようです。(眠い人 ◆gQikaJHtf2)

うちの母方の祖父。福井出身で戦争当時大阪にいた。
薬剤師だったので徴兵されずに済んでいた。(戦局が悪くなっても製薬する人が内地に必要だったので)

 休みの度に薬をたくさん持って福井に帰り、薬を配って換わりに越前米をもらう。
 ↓
 福井から船でまだ稲作技術が発達していない北海道へ渡る。
 ↓
 米を売ってお金に換えて大阪に戻る。

と、いうのを延々とやっていたそうです。(生活板)

『軍事板常見問題』のキャッシュより
http://mltr.free100.tv/index02.html
(現在、上記サイトの項目が閲覧できないので…)
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08k03.html#draft

【質問】軍に召集されなかった人には、どんな人がいますか?

【回答】旧日本陸軍に於いて、召集を担当するのは、各県にほぼ一つ配置された連隊区司令部です。この連隊区司令部で、参謀本部、陸軍省と言った中央が決定した動員計画に基づき、該当者を召集令状を作成します。
 これは、充員召集令状と言い、前年...続きを読む


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