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愛は平和ではない
愛は戦いである
武器のかわりが
誠実(まこと)であるだけで
それは地上における
もっともはげしい きびしい
みずからをすてて
かからなければならない
戦いであるー
我が子よ
このことを
覚えておきなさい
(ネール元インド首相の娘への手紙)

1970年代のテレビドラマ「愛と誠」の冒頭で、この文章が紹介されているそうです。

あなたの「愛」の定義を教えて下さい。

教えて!goo グレード

A 回答 (16件中1~10件)

試しに5分聞いてくれただけでも


(  ̄▽ ̄)にっこり!
感謝ですよ!

受け付けなかったですか
残念です

愛について

昨日聞いてた話だと

SFチックな話なんで、リアルな話ではないから、話の内容は置いといて

その話の中で出てきた台詞だけを話すと!

「友情は我慢できるけど、愛情は我慢できないから、要らない」

なんてな言葉が出てくる話でして

失う事を恐れたり、失うくらいなら必要としない

そういった一風かわったヒロインが出てて

愛をそういう風にとらえる事もあるなぁ~なんて

考えたりもしてたんですよ

無い物ねだりだから
愛を必要とするはずだけど

我慢したり、失ったりする苦しみをかんがえると
無ければ、無い方がいい

てな考え方から、微妙に変化していく話であって

最終的には、星になる運命を
主人公とヒロインがわかち合う

ここら辺はSFなんで、ノスタルジックに受け止めてくださいね
死ではなく、本当に星になるから
作者の発想がすごすぎる

話を愛に戻して
愛というものが無いと困るけど
あったらあったで、我慢したり失ったりして困る


個人的には、困る事って人生の楽しみでもあるから
てか、否が応でも困ることが付きまとうから、困ることを楽しむすべを身に付けたんですけどね( ^∀^)(笑)

愛とはもしかして
困るものでもあるのか?
困るくらいのものが愛なのかも!

この困るってのは、自分自身の感情にとっての成長に必要な養分?
何が成長なのか、成長てな言葉を使いながら明確には出来ないんですけどね

なんてな考え方にもたどり着いてて

愛とは、お互いを想いやる気持ちではあるけど
愛とは、自分自身の成長にも不可欠な要素でもあるんじゃ無かろうかとね

いまだに、愛とはなんぞや
色んな考え方があって
【愛はお金で買える】
てな話を、さらに掘れば
お金の為に、誰かを愛する
ここら辺は生き抜くための術なんだとも思えますね
その人が生き残るためなら
そういった考え方もあるのかも?

死んだように生き残るために誰かを愛してるとするならば

流石にワシでも、そのような愛は否定してしまいますけどね

愛する事を否定する考え方や
生き残るために誰かを愛する考え方

生まれ持った無垢な愛もあれば
生まれ落ちて、育つ環境によつまては
生き残るために愛をどのようにとらえるのかって

ちと、興味深くもあるんですけどね

金の為にでも、偽りなく相手を愛してるとするなら
生き残るために愛してるてな自己保身ではあるんだけど

生き残るために、愛というものを必要としてるとするなら

それもまた、保身になるのかも?
( ̄~ ̄;)ちと、暴論投げ掛けてみますね
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この回答へのお礼

5分でなく、20分くらい聞かねばならない羽目になってしまったようですね(笑)。
ムリと言うのは時間的な意味が主であって、若者の文化を無視しているということでは毛頭ありません。寧ろ深く知るべきかと思っています。何故かと言えばその文化の中に、決定的な誤りがあると考えているからです。

>「友情は我慢できるけど、愛情は我慢できないから、要らない」

このセリフなどから、自分にとって不快なものは不要なものとして排除するという考え方が窺われます。
仰る通り、社会生活の中で不快なものというものは、自身の成長のために必要なものであったり、社会の為に必要なものであったりすることが多いと思います。
ですから、それらを排除するということはよくないことになります。

愛、特に男女の愛は、双方の精神にとって重要なものであると、経験上思います。男女はお互いに相手を重要な存在であると無意識的も認識していると思います。
ですから、相手からの愛は、自信にもなるし、安穏をもたらすものでもあるし、生きる活力にも通ずると思います。そんな重要な存在ですから、金のためにお前を愛しているふりをしているんだよ、なんていう心は、相手を深く傷つけます。相手を不幸にしますし、その傷ついた心が更に他の人の心を傷つけるということは往々にしてあることです。

社会に不信、憎悪の輪が拡がるでしょう。いや、広まっていますね。

お礼日時:2022/05/15 13:42

感性や感情が愛を受け止めるべき箇所だとして



ストーカーのような歪な愛なんかもあるから

感性や感情だけに特化してしまうのも危険ではあるけどね

自己中なんかだと
相手が拒絶を示しても
照れてるだけとか、嘘を付いてるとかとか

相手を想いやってはいても
自分自身に都合のよい想いやりを投げ続けたりしてて

そういった話の朗読もあるんだねど
三時間越えなうえに、恋愛てな話でもないから

添付は控えますね
(  ̄▽ ̄)にっこり!


精神の安定の為の愛

与えないと攻撃的になるのは確かであるけど

与えすぎても毒になったり

与えられる子の方が、愛を理解できなくなったりとしてて

愛はこうあるべきだ
なんてな思い込みから

人それぞれの愛ってのが考えられなくなるのかも?

ここら辺の話は、独身のワシには
なかなか到達できない問題でもあるんですけどね
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この回答へのお礼

ストーカーやる男の心理は、同じ男として分からんではないです。純情で真っ直ぐで心が幼い。それが、嫉妬と自信喪失で人としての軌道を失ってしまった、と。その時点でもう「愛」ではないですけれど。

しかし、わしやけどさんはよく勉強してますね。3時間越えですか…

私も若い世代の心をまだ分かっているとは言えないと思っていますので、もう少し勉強しないといけませんね。

お礼日時:2022/05/14 22:46

人類文明が精神的な崩壊をひきおこしてるのか!



文明が発達して、たしかに感性てなものを重要視しない風潮が感じられるのは確かでありそうですね
感性が乏しくなる現代とまで言い切ると、かなり恐くはなりますね

愛をどのように感じるのか?捉えるのか?
感性や感情で愛を捉えるべきであるけど
現代だと愛の形すら、お金なんかで求められたりもしますもんね

個人・個人での違いなんかもあるから、何が正解で、何が間違いなのか
ワシ的には言い切れないけど

この頃、ワシのマイブームなんだけど
YouTubeで朗読の動画を聞き流してて



この話なんだけど

愛ってお互いを思いやる事なんだとは、思いましたね

2ちゃんねるに書き込まれて
かなり話題を呼んだ話を朗読してくれてて

今から15年くらい前の書き込みだと思うから

こういった話が求められた時代なのかとも!

二時間は軽く越える話だけど
内容はかなり濃くて

メインの話は、男女の恋愛話なんだけど
そのなかで、色んな家庭の親子の愛情
家族とはってな話から!
貧困や生活保護
お金の考え方
学校や友人関係
生きるってどういうことか
ヒシヒシと伝わってきてね

ワシの人生では、感じることもない話が多かったですよ
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この回答へのお礼

「愛はお金で買える」ってよく言うけれど、ハッキリ言ってそれは愛じゃなくて、お金が欲しいから演技をして愛に見せている。自分さえも騙して。嫌なこと言うようだけど”本当に”そう思いますぜ。

わしやけどさんお気に入りのお話を紹介してもらったのに何ですが、怒らんでくださいね、5分聞いて嫌になりました。

私とは歳がひと回りくらい違うと思うんですが、私たちの世代ではこういう話は受けないと思いますよ。つまり、お涙頂戴の現実離れした話だということです。
何が現実離れしているかと言えば、ここに出ている女の子の男の子の言葉や行動に僅かでもイラッとくるものがあれば、その時点で聞くことを皆やめるだろうということです。

僅かでも気に入らないものが混ざっていたら、受け入れないし、勿論感動なんかしないというのが、今の40代以前の世代の感覚だと思うんです。

15年位前のものだということですが、今でもこんな感じは同じではないでしょうか?

テレビでもネットでも、若者向けあるいは女性向けに作られた話があまりにも多いと思う。

全部聞けば、色々なものがあったんでしょうけれど、すまんですね、ムリです(笑)。

お礼日時:2022/05/14 22:37

愛を育める環境てのが失われてるのかも?



人も環境に左右される生き物であるから
環境が悪ければ、愛というものを認識してる暇すらないのかも!

そのような考えを言うと
環境の責任にしてるだけであって
人間は無責任なんてな話にもなるけど
人類の数も当然、環境のなかのひとつの項目になるのは事実であって

日本てな範囲のなかで考えても
昭和の頃なんかだと、高齢者の数が少なかったから!高齢者に対する思いやりは確実に存在したとは思うんだけど
平成以降になると
高齢者の数が増えてしまい、高齢者に対する思いやりなんかも薄れてしまってますもんね
老害なんてな言葉が生まれたのも
人間は環境に左右される生き物であると言えてしまいますね

着飾る愛や見せる愛てのも
SNSが広く普及してしまった環境てなのも考えると

飾ったり、見せたりするためだけに特化してしまうのも
環境の変化の一因でもあるんじゃないでしょうか?

ストーカーのような偏愛も、身勝手な自己中てな話にも思えて
愛は自分自身だけで自己完結させてしまうと
相手の気持ちを考えもしないで、他人から見たら、愛とは思えない行動や発言なんかも存在はしてますもんね

そんなこんなを考えると

愛とはなんぞや?
よくわっからんのがワシの現状での答えになってしまうんですよねぇ~

環境によって左右されやすくて
自己完結してしまう危険性もある感情だとすると

自分自身から自発的に産み出される感情であるのか?

環境に左右されない感情であるのか?

なんてな事も考え込んだりしてしまうんですよ
人それぞれが満たされたり、豊かであれば
愛を育む必要性はなさそうでもあって、育まなくても自発的に愛とは産み出されてる
そういった環境が、愛って尊いものであると言えるんだけど

満たされてなく、豊かでもなく
だからこそ、助け合って
愛を育む環境にするべきてのが
昭和の頃なのかなぁ~

( ̄~ ̄;)愛とはなんぞや
なら、その時々の環境論なんかも考えないと難しいですね
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この回答へのお礼

動物だって、集団を作っている場合、子どもを大事にすることは勿論、仲間を大事にし、いたわり合っている部分はあるようです。その、大事にしたり、いたわり合ったりということが「愛」といっていいでしょう。
ということは、愛は集団の維持・繁栄のために必要なことと言えると思います。更に、それぞれの個体にとって精神を安定させたり、安穏を感じたりするために必要なことではないかとも思います。
動物だって、親の愛がなければ、攻撃的になったりしますから、人間まではゆかずとも、精神というものがあるということになると思います。

人間も文明が発達して物質的に豊かになる前は、この愛によって精神の安定や安穏を感じてきたのでしょうが、モノに囲まれ、安全になり、便利になり、快適になるにつれて、かつての王侯貴族のような精神状態になり、つまり、自分は「偉い、尊い」と思いすぎることによって、愛なんてのが馬鹿々々しいものに思えてきたのではないだろうか?

愛の代わりに法だとかシステムだとかによってによって人間同士がつながるようになり、現在のような冷たい社会になったものと思えます。
人類文明の精神的な世界では、恐ろしい崩壊が起きているのかも知れませんよ。

お礼日時:2022/05/13 19:20

お話しいただきありがとうございました。


久しぶりにニャンポコさんとお話しできて良かったです。
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この回答へのお礼

お話したいことが次々と頭に浮かんできましたが、あまり長くなりすぎてもバランスが悪いと思い、またの機会にしようと思いました。

お礼日時:2022/05/07 23:57

思考実験で


好きと愛の違いを考えると

好きってのは
人や食べ物、趣味や趣向にまでおよんで使われるけど


愛ってなると
食べ物に、私は牛丼を愛してる
てな評言はこの頃は使われてるけど
食べてしまうものに、愛を語るのは
ちと、大袈裟すぎてちと笑えたりもしますもんね

でも、同じ食べ物でも、育てる物なんかだと愛情込めて育てるてな評言は、違和感を感じないから

愛とは受け止めて貰えるものなのかとは考えてはしまうんだけど

対人関係なんかだと

成立してた愛が脆くも崩れるのは
良くあることであって

愛を与えるものと、与えられるものとの共通認識に置いてしか成立しないとも思えるですけど

だがしかし!

粗暴な人や、サイコパスな人の
彼氏や彼女なんかだと

第三者目線で、愛を与えられてないと認識できるような行為でも

受けとる側が、愛を受け取ってしまってたりと

それって愛情評言ってより
たんなる、暴言や暴力ですら

愛情だと理解してたりして

( ̄~ ̄;)悩み

愛てのが、明確に解りやすい物であるなら

相互理解しやすいはずであるハズなんだけど

惚れた相手の行為は、すべて愛だとか盲目になってたりとしますもんね

とりあえずわかりきってる事を考えると

愛とは目に見えない

これだけはハッキリとしてて

相手に一方的に与える事も可能なものでもあって

また、相手から、勝手に勘違いして受け止める事も可能なものでもある

わかってるのはここまでであって

愛は地球を救うなんて言葉を使ってた番組は!

しっかりとお金儲けもしてたなぁ~
とはとは思い出しましたよ
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この回答へのお礼

外国人の文化のことは実感としてよくわかりませんが、我々日本人の感覚ですと、家族に対する思いと、他人に対する思いは一線を画していて、家族のことは心から心配するけれど、他人に対しては実はそれほどでもない。他人を愛していると言っても、家族に対する愛には及ばないと言えます。

まして、会社、国家、地球を愛していると言っても、あんまり信用できないですよね。ただ、子どものように純な心を持った人はごくたまにいるとは思います。

ストーカーなんてのは、ただの自分勝手、わがままですね。それと似たような自分勝手さが鼻につく昨今ですが、要は自分を飾るために愛があるふりをする人種が増えていると思います。

お礼日時:2022/05/07 23:55

人生をかけて探求するものの


ひとつです!

いまだによくわからないですね
( ̄~ ̄;)
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この回答へのお礼

私も分かっているのかどうか自信はないですけれど、真実って意外と簡単なことであって、「ああそんなことだったのか」ということが多いと思いますよ。

お礼日時:2022/05/02 08:43

愛は不思議です。

なぜ自分のところに舞い込んだのか、因縁によると言うしかありません。国家の善き指導者も、名も無き縁の下の力持ちも、彼ら自身が何かの縁で愛を知ったことがあるのは明白です。具体的に、彼ら自身の人生の中で、誰かとの出会いをしているはずです。

世の中には社会的地位の高低に関わらず、”爬虫類脳”で生きている人間もいます。乳幼児期に心身の脅威に晒されると、人の心の一部が爬虫類の段階にとどまると言うトラウマの研究があります。この爬虫類脳の機能は、フリーズです。凍ると言う事です。こころを凍らせて核を護る防衛本能です。これが解凍されている人でも、少年期に脅威に晒されると、哺乳類脳でこころの一部の発達がとまってしまいます。哺乳類脳の機能は、闘争と逃走です。さらにこれらをも解きほぐした先にあるのが人間脳で、人間脳の役割は社会性の発揮です。
他の人と心の交流を為し、円滑に社会活動を行えると言う人本来の機能が発揮されます。心が開かれている状態です。

私の推測ですが、戦争や乱、家庭崩壊などが起こると、信頼と安心が失われて、この人間以前の発達段階の脳機能で生きざるを得ない状態に人々が追い込まれ、それが負の業となって孫子の世代に継承されて行くのだと思います。
この継承を断ち切るのも愛しかありませんが、閉じた心の扉は内鍵で、その本人しか開くことが出来ないのです。その本人自身が、他の人を愛そうと言う気が起こらない限り、心は解けない。

ニャンポコさんもご存じの通り、愛は自分勝手とは反対です。
なので、どの様な種類の愛にせよ、自分が欲しいと思うのではなく、相手の幸せを自分が叶えたいと思うのが愛です。尽くしたいと思うと言う事です。
その相手が国民であれば国の指導者足り得、家族なら家長足り得、異性なら伴侶足り得、子供なら大人足り得、友なら友足り得ると言う事だと思います。

その愛が公的で広範に及ぶか、私的な範囲で留まるかは愛の対象の違い、自分が誰を、何を愛したいかに帰するのであり、愛の本質が変わるわけではないと私は思います。

ただ、愛は平等では無いとは思います。
人としては皆を尊重するけれど、愛する人は基本的におそらく一人になると私は思います。
青年期には恋人・伴侶であり、成人期には自分の子供であり、壮・老年期にはどうなるのか知りません。もしかしたら、壮・老年期になってやっと、他の多くの人を”適切な距離感”で愛せるようになるのかも知れません。
相思相愛から片思いになり、最後は思っていることすら相手には知られない境地に至るのかも知れません。


私もまだ多くの事が分からないではいます。が、

青は藍より出でて藍より青し

愛もまた伝わるごとに紅さを増して、人々の生命の象徴となるのだろうと思います。

愛を知ったなら、自分が愛を発揮する場に立つと言うのは、やがては出藍の誉れと言われるようなことを目指すようになるのでしょう。
あの人のように・・・という気持ちですね。

私が男性だからかもしれませんが、愛を行使できるのは女性の方が圧倒的多数の様な気がします。母性が原型なのでしょうか。

力で負けてもこころで克つので、高貴さを伴う。
爬虫類脳や哺乳類脳で人生を終えると言うのは、いくら才能が輝いたとしても、その血は青いままであったり、濁ったままなのです。哀しいことです。
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この回答へのお礼

あほなさんの深い思索が感じられるご回答です。

私は、「愛の対象」が人生の中で自分の前に現れてくるものだと感じています。それは仰る通り「縁による」こと以外には考えられません。

これまでの人生で私は二人の女性を深く愛しました、「愛そうとした」と言った方がいいかも知れません。
それは、早乙女愛の愛に近かったかもしれません。そして、お互いの宿命の螺旋を越えたのかどうか?それは分かりません。

>世の中には社会的地位の高低に関わらず、”爬虫類脳”で生きている人間もいます

強烈な言葉ですが、正に仰る通りです。仏教の十界論をご存知かどうか分かりませんが、十界論で説くところの「餓鬼、畜生、修羅界」です。
要するに利己的な欲望に支配されている精神状態のことです。

哺乳類はそれでも家族や仲間に対する愛があるようです。しかし、爬虫類になると仲間や子であっても捕食の対象になったりします。
恐ろしいことにそういう人間が増えていると私も強く思います。

何故そういう現象が現れるかと言えば、幼少期の体験が強く影響しているとは思いますが、私はその人の考え方=哲学が強く影響していると思います。

例えば、歴史上多くの権力者が戦争を起こしました。その背景には、我ら王侯貴族のみが人であり、庶民などいくらでも湧いてくるものであるという考え方が間違いなくあったと思います。

もう一つは、世の中は弱肉強食であるという考え方です。これらの考え方=哲学がある限り、戦争(武力行使のみではなく)はなくならないと思います。

長くなりましたので、ここいらで。

お礼日時:2022/05/02 08:40

愛とは、壊れるかも知れない大切な物を、守りたいと思う気持ち。


(例)
妻を愛する。
夫を愛する。
家族を愛する。
国を愛する。
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この回答へのお礼

なるほど。

お礼日時:2022/05/02 08:04

愛とは 活かし合うことだと思います。



母性のように無償の愛も在りますが

互いが活かしあって燃え上がるのでしょう

愛と誠 は読みましたが それこそ愛だと思います。

色んな愛の形が在ると思います。
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この回答へのお礼

>愛とは 活かし合うこと

そうですね、それでこそ意味があると思います。

早乙女愛の愛は一途ではあるのですが、どうも宿命に縛られた感じがします(テレビ版では)。それも、確かにあること、強くあることだと思いますが、
それを脱しなければ、そう努力しなければ宿命の螺旋から抜け出せないと思います。

テレビ版は昨夜から今朝にかけて一気に見てしまいました。

早乙女愛と大賀誠にはとても興味を持ったので、コミックを全巻(中古の安いやつ)買ってしまいました。

お礼日時:2022/05/02 08:03

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