No.5ベストアンサー
- 回答日時:
利通は武士の平民化を断行したのですから、武士に恨まれたのは当然でしょう。
恨まれることを覚悟して断行した覚悟は相当なものでしょう。政争に敗れて下野した大物の多くは地元に帰り、利通に不満を抱く士族の領袖となって乱を起こしたのですから、士族たちの恨みは実際に相当なものでした。
西郷が利通をどのように思っていたのかは分かりませんが、彼自身は維新政府から巨額の俸禄を得ていたので、下野後も鹿児島の不満士族の経済的な面倒を見ることは容易だった。それで他地の士族のように早期の暴発を抑えることができた。ある意味、可能な範囲とはいえ、利通をサポートしていたとも言える。
利通は結局、紀尾井坂で横死してしまったが、「おのれの名誉と権力の為、政治を動かし」というのはどうだろう。そういうのは普通は己の富貴も実態として伴うものだが、利通の死後に残っていたのは巨額の借金だった。
貧乏政府ゆえに予算が限られている中でも、必要と思われる政策を実行するために自分個人が大借金していたり、鹿児島のために借財していたしていたようだ。そういう行動を見る限り、「おのれの名誉と権力の為」と糾弾するのは如何なことかと思う。
しかし、平民化され、自分たちの恒久的収入を一時金に換えられた武士たちが、そのように思ったとしても無理はないと思う。
武士の秩禄処分と平民化(=解雇)が当時の日本にとって絶対的に必要な政策だったとしても、それは文字通り自分の命を張ることだった。世界中を見渡しても武士という名の地方公務員を全員解雇するような過激な政策はない。再雇用された武士はいたが経理職や警察官などわずかであり、大半の武士は一瞬で無職になったのだ。
利通以外の誰がそれを断行できただろうか。果たして隆盛にそれができただろうか。恨みを持った武士たちの評価としては質問文のような評価はあるだろう。とはいえ、歴史的評価としては、そう単純に利通を評価することは出来ないと思います。
No.6
- 回答日時:
大久保の「30年構想」が事実かどうかはおいておいて、彼が無私だったことはたしか。
彼の死後財産が整理されたが、貯金はほとんどなく膨大な借金があるだけだった。
その借金も自分の為でなく、国の赤字を埋め合わせるために借り入れたものだった。
かつて古代ローマの皇帝も蓄財に走ると市民や元老院の顰蹙を買い最悪暗殺されたというが、同じ程度のデューティ感覚を持っていた、とは言えそうである。
だからこそ「30年構想」も真実味を持って語り継がれるのだろう。
権力欲があるのは政治家なら当たり前である。
権力がなければ自らの構想を実現できない。
誰かの恨みを買おうとも、権力を手放すことはできない。
名誉については何とも言えない。
西郷についてはよく知らないけど、西郷自身の問題というより、子分の暴発を抑えられなかったゆえの末路ではないかと思う。
大久保のように国のためには自分の財産も旧友も切り離す、そういう権力者には必要な、頼朝も家康も持っていた「冷徹さ」というものを西郷は持てなかった、そういうことだと思う。
No.4
- 回答日時:
大久保利通はそのとおりですが、西郷隆盛については矮小化されています。
彼は、もっと凄い人物でまさに敬天愛人の人です。西郷隆盛は明治維新後の発展の礎を築いた人です。
海外に行ったこともなく、写真に撮られることを怖がった昔の人なのに、世界情勢を看破しており、留守政府のトップとして彼が断行したことは驚異的な事ばかりです。
一例を上げると、一夜にして旧暦から新暦に変えて一か月ほどカレンダーを進めています。
実務を担当した人たちは優秀な人たちでしたが、彼らが思う存分力を発揮できたのは西郷がトップにいたからです。その証拠に、大久保らが物見遊山の海外旅行から戻った後の西郷の辞任とともに多くの人々が辞任してしまいます。この時、大量に失業した武士の救済策がつぶれてしまい、後の西南の役に繋がります。
残念だったのは、朝鮮開国の直談判に西郷が行けなかったことです。歴史にもしもは無いですが、これができていれば、日韓との関係は今のようにはなっていない可能性大です。
その後の西南戦争は西郷の意志ではありませんが、新しい時代に適応できない人々を道連れにして、その後の発展に支障ないようにしています。
No.2
- 回答日時:
そういうのって、へぇ~そういう説もあるんだね、くらいに見てます。
そもそも戊辰戦争が大政奉還して王政復古したんだから必要なかったって人もいるし。
そうなると両人とも偉人?ってなってくる。
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