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朝鮮出兵での日本軍の敗因の一つは秀吉が防寒対策をしなかったため兵士達が寒さで凍死してしまった事だという話を聞いたのですが、秀吉は本当に防寒対策をまったくさせていなかったのですか?

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A 回答 (5件)

食料の調達が難しかった方が大きな要因でしょう。

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11年前のYAHOO知恵袋に、一語一句変わらない質問が投稿されていますが、同じ質問者さんですか?




sak********さん

2011/9/7 22:56

3回答

朝鮮出兵での日本軍の敗因の一つは秀吉が防寒対策をしなかったため兵士達が寒さで凍死してしまった事だという話を聞いたのですが、秀吉は本当に防寒対策をまったくさせていなかったのですか?

日本史・510閲覧

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ベストアンサー
mne********さん

2011/9/8 13:40(編集あり)

朝鮮出兵で、日本が防寒対策のために持ち込んだ唐辛子(つま先などに入れて使う)が、朝鮮に唐辛子が伝来したきっかけだという話もありますから、まったくなにもやっていなかったという事はないでしょう
ただ、こうした対策は、個々人、あるいは武将の心がけのレベルではあったでしょうね。

朝鮮出兵がうまくいかなかった理由は、前線への補給に苦しんだといわれる事が多いように思います。
後期の方になると、日本も朝鮮半島南部の各地に拠点をつくり、補給を確保しつつ長期戦の構えをとっていましたから
秀吉の死を期に撤退したのは、朝鮮が苦労に見合う土地ではないと判断されたからかもしれません
ナイス!
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いいえ、主な要因は兵糧を現地調達する時代だったので


朝鮮国内での調達が難しく長期戦が困難だったからです。

実際に文禄の役では明との正面決戦となった碧蹄館の戦い
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A2%A7%E8%B9%84 …
で明軍に大損害を与えたため、明は積極的な戦闘は行わず
日本軍は兵糧が乏しく勝機が見えないため講和しました。

慶長の役では文禄の役より侵攻が思わしくないように見えますが、
前回の教訓から地盤確保を優先したためで、明と朝鮮が乾坤一擲で
全勢力を結集させた四路の戦い(四路並進)において閔朝連合軍は
第二次蔚山城の戦い、泗川の戦い、順天城の戦いの三路の全てで大敗、
秀吉の死で撤退が決まっていた日本との講和を受け入れました。

明史 卷三百二十 列傳第二百八 外國一(朝鮮伝)で
 自倭亂朝鮮七載、喪師數十萬,糜餉數百萬,中朝與屬國迄無勝算,
 至關白死而禍始息。
 (倭が攻めてきて7年で、将兵数十万を喪失、兵糧数百万を浪費したが
  中国と朝鮮に勝算は無かった、関白(秀吉)の死で終息してくれた)
と書かれていたくらい、日本は勝っていました。

防寒対策は戦術的は要因の一つかもしれませんが、
戦略的には殆ど影響していません。
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防寒対策をしなかったというよりは、温暖な日本と違って冬の寒さが厳しい大陸の気候に慣れていなかったことが大きい。


ただ、つま先などに唐辛子を入れるなどの対策はしていたが、日本人には大陸の冬は厳しすぎたいうことだろう。

だから秀吉軍の快進撃は春から初秋までで、冬場は城砦に立て籠るパターンとなった。おそらく大陸兵と同じ冬装備をしていたとしても、日本兵は冬に進んで野戦に持ち込もうとは考えもしなかっただろう。

大陸の冬の厳しさを知った後半戦では、夏場に京城に迫って脅しをかけている最中に、後方に城砦を築いて冬の防御戦に備え、冬になると主力軍を九州に戻して休養させ、翌春にはいよいよ朝鮮全土を制圧する作戦で戦っていた。その間に秀吉が死んでしまったが…。
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そんなわけないでしょう。



朝鮮出兵は敗戦したわけではなくて、戦術的には勝っていたんです。ただし途中で秀吉が死んでしまって継戦する意義を誰も見いだせなくなって、戦争が自然消滅したに近い。

最近の例だと米軍がアフガニスタンから撤退しました。軍事的にはアフガニスタン統治を続ける事は可能だったけれども、統治を継続する意義を誰も見出だせなくなっての撤退でした。
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