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見事にふたつの言語をネイティブレベルに使いこなす、「バイリンガル」の人もいるが、どっちもあまりうまくできない人もいる。「日本語カタコト、英語は喋れない」みたいな状態になってしまう人もいる。なぜこう違いが生まれるんだろう?
YouTubeで、上に書いた「〇〇語はまったく喋れない、でも日本語もカタコト」という人がいて、正直、なんか悲しい気持ちになってしまった。言葉って人間としてわりと欠かせないツールだと思うけど、それがひとつでもまともにできないって、なんか…。

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A 回答 (6件)

仰る「二言語とも年齢相応よりかなり低い」状態をダブルリミテッドと呼びます。

身もふたもなくセミリンガル(セミ=半分)という言い方もありますね。
多言語話者が多いヨーロッパではよく知られた話だそうで、こういった言葉でググると
なぜこれが起きるのか?の仮説と、
どうやったら回避できるのか?のある程度のメソッドは立てられているのがわかります。

原因としては、幼少期の初期教育が行われる時期に
・二つの言語を覚えなければならないので、母語だけで済む他の子に比べて単純に語彙力が半分になる
・思考する言語が定まらないので、言葉の概念が入ってきづらくなり、国語能力が育たないばかりに結果的にすべての学習が遅れる→喋る内容にも反映され、余計に流暢でなくなる
の2つが大きいようですね。

こうなる原因には
・子ども本人の能力の問題のため(仮にIQが高くても言語方面が不得手な個人もいる)
・親が多言語学習におけるメソッドを知らず、独りよがりな方法で中途半端に多言語漬けにしてしまったことで子に十分な「思考の苗床」を与えないため
などなど、こちらも複合的な要因が絡むようです。

多言語だから悪いという単純な話でもないです。
言葉には意味があって、意味には必ず概念が含まれているわけです。
そして言語にはその言語が成立した文化的・歴史的背景が必ず含まれます。
「犬とDog」という単純な単語なら簡単です。
ですが、日本語で責任という言葉は英語だと10いくつあってそれぞれ使い分けが…という話になると、かなりややこしい。
どちらかの言語で責任というものの概念を理解していることがとっかかりとして必要になります。

ダブルリミテッドは、人生の初期に概念を理解し獲得していくプロセスそのものにつまづいたため、より複雑、高度な概念の理解・獲得が難しいと考えられるケースもあります。
単に言葉だけの問題じゃないというのが怖いですね。
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知ってる人で母親が日仏の両親から生まれ、その母親がフランス人と結婚して生まれたフランス人ですが、母親の家筋が由緒あることからか母親は癖は少々あっても完璧に日仏語を話してましたし、息子はただ下品ではないだけの日本語でしたけど。

  もう一組、日伊の夫婦の場合ですけど、おそらく現在の日本のミーちゃんハーちゃんよりは俗っぽい話し方が下手かなと感じています。
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この回答へのお礼

いや、もちろんそういう人もいるだろうけど、どっちもまともにできない人もいるって言ってんだよw

お礼日時:2022/05/13 01:57

経験的に思うのは、訓練の質と量、それから頻度じゃないかと思います。



私はプロファイルの様な在米の長い隠居爺です。
ウチは夫婦どちらとも日本生まれ日本育ちの日本人で、二人とも日本語ネイティブです。

そして、子どもたちは当地で生まれ、当地で育ちました。
学齢前に一時的に日本に長期滞在したことはありましたが、それ以外はずっとアメリカで育ちました。
アメリカでは小中高はずっと公立の現地校に通い、土曜日の午前中だけ、日本の文部省が開いている日本語補習校に小中高と通いました。

結果的には日本語は特に問題なくマスターしてくれました。
ただ、明らかに語彙は不足気味です。
これは日常的に日本語のコミュニケーションや書物などに出会うことが無いからだと思います。

それは、こう言えばわかってもらえるかもしれません。
彼らの日本語は『昭和の日本語です』と。
つまり、親である我々から、我々との会話内容を通してだけ覚えたものなんです。

我が家では日本の首都圏のテレビは全チャンネル普通に見れますが、子どもたちはテレビっ子ではないのでそこからはあまり語彙を吸収出来てこなかったということですね。

一方、こんなこともありました。
現地校に通っているので、英語とスペイン語も日本語と同様にネイティブになりましたが、それに加え、フランス語と中国語もほぼほぼネイティブになりました。
友達と言うか、近所付き合いの結果です。

我々が暮らす町は、小さな町ですが、州立大の旗艦校を中心にしたところで、外国からの教員や研究者もたくさんいます。
たまたまウチの近所にそういった方々が居り、子どもたちと同世代のお子さんをお持ちだったということで、スクールバスでの行き帰りに知り合い、家族ぐるみで付き合うようになりました。

当地では 12 歳までの子どもを家に置きっぱなしにすることはできません。
その一方で、女性が仕事を持つことも多く、子どもの世話をどうするかは何かにつけて問題になります。

その観点から、お互いに子どもを預かりあうということをよくしていました。
その時、預かってもらうときには、預かってもらうお宅のやり方でと言うことにしていたので、子どもたちは、他の家で使われる言葉や生活習慣を覚えてしまったということです。

そういった方々が故国に一時帰国するときに子どもたちを連れて行ってもらったことが何度かありましたが、現地では現地の子どもたちと何の問題もなく遊んでいたそうですから、言葉は使えるレベルになっていたのだと思います。

子どもたちは大学の時にダブルメジャーをしていました。
その場合、取らなければならない単位が半端ではありません。
特に医学系と工学系だったのでなおさらでした。

なので、夏休みには毎年他の大学も含めた夏の集中講座をとってたのですが、その中にはフランスの大学も入ってました。
現地の子に交じって講義や実習をフランス語で受けてたと言いますが、別に問題なかったと言ってます。

これらから想像するのは、最初に言った、訓練の質と量と頻度、それに加えるなら『本人の興味』といったあたりが言語習得のカギではないかと思っています。
それから、言語の習得、とりわけ発音の習得には幼少期に耳から入れて訓練するというのが必須のように私は思っています。
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親だけでなく、周りの様々なその言語を扱う人々が、その子とその言語を通し、関わることによって、その言語を習得して行くのであって、周りでその親1人だけが、その言語を使えても、かなり意図的に教える・指導するなどしなければ、習得はできません。

日本語がカタコトなのも、乳児・幼児期なども含め、その言語を習得する環境が、十分でなかった可能性も少なからずあったのかもしれません。
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そうですよね、一つもまともにできないって端から見ると、なんだか切ないですよね、でも、割と本人は子供の頃からの事なので気にしていないケースが多いみたいですよ。



2人知っているのですが、1人は内向的な性格で、子供の頃アメリカで育ったのですが、友達がほとんどいなかったみたいです、それで10才だったか13才くらいまでに日本に来ましたが、やはり内向的で友達と話さないで、
完全に受け身だったそうです。どちらもまともに話せないと言ってました。

要は、日本語だけ話す日本人だって、頭が悪かったりして自分の感情を上手に表現できない人がいますよね? 本人的には、それと同じ感覚らしいです。


頭が悪かったり、発達障害の人って、語彙力が低かったり、
日本語もろくに話せないって、他の人からは見えるけれど、
本人は、気にしていないじゃないですか、あんな感じの酷い版らしいです。


本人は、ぺらぺらと気持ちよく、自分の気持ちを上手に表現したり
できた経験が全くないんですよね。

だから、人生こんな物だろう、って思っているわけで
不自由を感じている程ではないんですよね。
(両方とも、全く話せないっていうなら、別ですけど)


目が見える人が、15才で突然失明したら、ものすごく悲しいけれど
生まれつき目が見えない人だったら、見えた経験がないから
そこまで悲しいとか、思わないみたいな


極端にいうと、そんな感じなのかな? と、
その友人と話して感じました。


この件に関しては、アイデンティティーの問題としても
僕も考えてしまった時期があったので
ちょっと書いてみました。

上手く伝わる自信ないし、
全然、的を得てない回答ですけど、
読んでくれてありがとうございました!
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この回答へのお礼

そうなんだ…。僕は、頭の良さ、表現力と、「基本的な言語の運用能力の習得」って別次元のものだと思ってたんだけど、近いのかもしれないね。

お礼日時:2022/05/12 00:30

ただ単に頭が弱い子

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