
司馬遼太郎の元寇の役について、説明を引用します。
朝鮮では、
<一二三一年、モンゴルは大軍を送り、開城を包囲し、そのうちの一軍は忠州まで南下した。この時、農民軍が、高麗の政府軍に協力してモンゴル軍と戦ったが、勝利は見なかった。>
<モンゴル軍はやがて日本にもくる(元寇)。鎌倉の命で動員された武士たちは大いに戦うとはいえ、農民は単に被害者もしくは傍観者の位置にとどまった。>
質問は、元寇の役の際、農民はかれらの軍を編成しなかったのは、なぜでしょうか?
(農民は、モンゴルに征服されても、為政者が変わるだけであり、わしらには関係がないよ、と思っていたからでしょうか?)
No.4
- 回答日時:
農民は作物を作って、年貢を納め、その年貢を使って、国を守るのが
武士です。
年貢を取られた上に、戦に駆り出されたら、農民は怒りまくるのでは?
世界中の国でも、多少の違いは在っても、同じ事情とおもいますよ。
国民皆兵制度が出来るのは、近代に入ってからでしょう。
西南の役では西郷隆盛が政府軍は平民だから、捕まえても放してやれと、
言っていたとか、彼の頭の中は、国民皆兵制度が出来た後でも、「武士の
本分は戦い守る事」だったようです。
早速の御回答ありがとうございます。
日本では<その年貢を使って、国を守るのが武士>という認識ですね。
だだし、朝鮮では、おそらく自発的に、農民軍を立ち上げていたようですね。
No.2
- 回答日時:
庶民は領主たちの戦争には無関係なので無関心。
関係が出るのは、領主から労役として徴発された時だけ。
明治まで日本は、原則そうでした。
ちなみに鎌倉幕府も、将軍と主従関係にある御家人にしか動員権がありませんでしたが、元寇で非御家人と呼ばれた幕府と関係ない武士への動員権を朝廷から認められて、名実ともに全武士を配下に置くことができるようになったのです。
早速の御回答ありがとうございます。
<庶民は領主たちの戦争には無関係なので無関心。>ですね。
ただし、今回は他民族の侵略ですから(領主間の戦争と違って)無関心とは言えない、と思いますが。
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
人気Q&Aランキング
-
4
祖先が庄屋と藩士ではどちらの...
-
5
租の運搬方法
-
6
江戸時代の質流れってどういっ...
-
7
江戸時代の町と村の違いは?
-
8
惣代って結局なんなんですか?
-
9
平安時代~室町時代にかけての...
-
10
戒名から家系調査をしています
-
11
江戸時代の連判状について質問...
-
12
年貢は地主だけですか、小作人...
-
13
大判・小判の行方
-
14
江戸幕府はなぜ町人から税金を...
-
15
東本願寺の山号?
-
16
江戸時代の庶民の米食
-
17
天保小判
-
18
農家の屋号について
-
19
郡奉行について
-
20
江戸時代の石高の計算、年貢な...
おすすめ情報
公式facebook
公式twitter