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「一神教」が広まった理由を教えたいただいきたいです!

A 回答 (6件)

No.5です。

 朝ドラ ちむどんどんを見て、昨夜の回答に重大な抜けがあったことに気付いたので、補足します。

『広まる』には、その人々の学習・理解や『私も』という意識の高まりが必要です。
どこかで習ったことがあると思いますが、観察学習の効果は人間にとってかなり大きいです。 目に見える他人の行動というのは、そうした効果を大きくもたらすものです。
今日の朝ドラでは、街頭販売でサクラを使う、そのサクラも『偉そう・権威ありそう』というイメージを振りまく演技をしています。 それを見た人々は一斉に購入行動に走ります。
わかりやすい言葉と説明で、唯一神や天、宇宙の原理を説けば、聞いた方は戸惑わずに理解はできるでしょうが、それで人々の間に広まって、ムーブメント( 政治上・社会上・宗教上・芸術上などの運動や流行の広がり)が起きるという流れにはならないです。
その[わかりやすい言葉と説明]以上に重要なのが、目に見える偶像・建造物・権威品やそれらに対する礼拝儀礼や呪文的な定型の発声です。 
そうしたものや人々の定型化した行動を見ると、『ああやればいいんだ』という理解が進み、自分自身も模倣行動をしようという気になって行きます。

無神教・二神教・四神教・多神教でも、目に見える偶像・建造物・権威品やそれらに対する礼拝儀礼や呪文を定式化して行けば、同じような効果が得られるハズですが、シンボルを崇めるにも無神教や多神教よりは、一神教の方がやりやすいとか、創唱宗教の方がモデルを見習うというやり方に適合度が高いということにはなるでしょう。
シャーマンや呪術者が、祭祀の方法、礼拝儀礼や呪文を定式化しても、それをみて自分もやろうとは思えないのは、『私とは立場が同じではない⇒模倣するべきことではない』という意識が働くからでしょう。
『 私も、、』となるには、立場の認識が大きいのです。
小さい娘が、「私もお母さんになる」「私もやる」というような方向になるのは、「今は違っていても、同じになれる、同じようにやりたい」が働くのでしょうが、シャーマンや呪術者は「あなたたちにはできない。私だけができる」というものを漂わせてしまうのでしょう。 多神教の神官でも、一神教の神官でも、「私とあなたたちは、根本的に違う」を前面に出していると思います。 「信者の立場でやる礼拝儀礼・供御や呪文」と「神官やシャーマン、巫女の立場でやる礼拝儀礼・供御や呪文」は分かれているでしょう。
多神教の地域でも、それぞれの神に対する信者の信仰や供御の方法はだいたい決まっています。 そういう面では一神教も同じと言えますが、多神教ではこの場所のこの神、あの場所のあの神といろいろにやり方が違い、比較的面倒な学習をする必要がありますが、多くの一神教では比較的簡単に学習し誰でもミスなく実行できるようになっていることが多いです。
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございますm(*_ _)m

お礼日時:2022/06/11 15:01

> 「一神教」が広まった理由を教えたいただいきたいです!



「一神教」が広まった理由を自分で考えてみてはどうでしょうか。
そのときに「一神教」ではないもの(無神教?とか、二神教、四神教、多神教とか)の広がりや布教あるいは受容との比較を考えてはどうでしょうか。
布教するとき、無神教、一神教、二神教、四神教、多神教ではどうするか、うまく効率よく布教できるか。
受容する側にとって、無神教、一神教、二神教、四神教、多神教は理解しやすいか、『では、自分も』という場合に、やりやすいのはなにかを考えるのもイイです。
また、阿羅漢や修行・苦行・学理や理論の研究のようなことを必要とするタイプのものと、救済や功徳・恵みを祈願するタイプのものと、多くの地域や多くの人に受け入れ易いのは、どうかを考えたらどうでしょう。

自分で調査や検討し考えるよりは、誰かに教えていただきたいものだという人が多いのであれば、どのタイプが広がりやすいかを、考えてみてください。
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いろいろな理由があるけど、あえて挙げれば


①権力者の権威付け
②民衆の要望

①についてはほとんど言わずもがな。
多神教の場合神は絶対でないので「神の御心のままに」とはならない。
怪我に苦しむウサギに「塩水を塗り込め」と教えた神さえいる。
しかし一神教の神は完全無欠でその言葉は絶対である。
「神が望んでおられる」といえば信徒はひれ伏す。
王権神授説がその最たるもの。

②についてはローマのキリスト化にそれが見られる。
ローマ古来の宗教は多神教だった。
しかし蛮族の侵入が盛んになり経済が衰退し自分の努力ではどうにもならないことが多くなると、民衆は自助自活より大いなるものの保護を求めるようになる。
「努力するものを援助する」ローマ教より「大いなる絶対者が信じる者を救う」キリスト教の方が民衆の要望に応えることになった。
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スイマセン。



ミスがありました。

一神教が創唱宗教でした。

多神教は自然発生的宗教ですね。

訂正願います。
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この回答へのお礼

わかりやすい解説ありがとうございますm(_ _)m
訂正了解です!

お礼日時:2022/06/04 16:04

一神教と対照的なのが、創唱宗教と


言われる宗教で、これは日本神道のように
自然発生したモノです。

自然発生した宗教には、経典も教義も
無いのが普通です。

これに対して、一神教は、教祖がいて
人工的に作られたモノですから
経典も教義もしっかりしたものが
あるわけです。

だから、布教しやすいのです。
教えを説きやすいのです。
理解させやすいのです。

これに対し、神道は布教活動はしません、という
か、布教に適しません。

経典も教義もないから、布教が難しいのです。

日本人の宗教的感情といった色合いが
強い宗教なので、他者には通じないのです。
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ユダヤ教は最初は多神教であったが、ある時神から『それは契約違反だ。

』と指摘され、一神教となったから。

ユダヤ教を引き継ぐキリスト教も、当然一神教として成立した。

日本については、お咎めが無かったので今でも多神教です。
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