旅行で奈良・大阪の神社を訪れて以来、ニギハヤヒに興味を覚えました。物部氏の祖といわれるニギハヤヒについて詳しく書かれた書物等教えてください。

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A 回答 (3件)

 「物部氏の伝承」 畑井弘 吉川弘文館


に詳しく書かれています。絶版のようですが、数年前に復刻版が出たようです。これも版数が限られていて入手は不可能と思われます。図書館で借りるか、古本屋で探す方が早いと思います。
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この回答へのお礼

 早速、図書館で予約を入れました。
 ありがとうございました。

お礼日時:2002/01/20 00:49

なんといっても


「白鳥伝説」(講談社)

よおくわかります
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一番の文献は、これでしょうか。


神一行「消された大王ニギハヤヒの謎」学習研究所

その他、
関祐二「抹殺された古代王権の秘密」日本文芸社
新藤孝一「秋田「物部文書」伝承」無明舎


私の生まれた所には、一宮の真清田神社があって、
それ以外にも「はだか祭り」で有名な「国府宮神社」もあり、
その神社は物部氏とは深いつながりがあるとされています。
この辺りは「尾張」と呼びますけど、この「尾張氏」は、
物部氏が祖先と言われています。

「ニギハヤヒ」について私の認識しているところは、
出雲の支配者スサノオの第5子とされ、20歳頃の時からスサノオとともに
九州遠征に参加し、さらに30年後くらいにスサノオの命を受けて、
大和・瀬戸内沿岸遠征し、広大な出雲王国の基礎を築いたとされています。

もっと書きたいのですが、これくらいにしておきます。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。図書館でご紹介くださった本を借り、読みました。でも、余計にわからなくなっていくという感じです。

 謎の大王ですね。ニギハヤヒは。

お礼日時:2001/10/02 22:37

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Q橘氏と立花氏

橘氏と立花氏はつながりがあるのですか?

橘氏は皇族の出で 橘諸兄や奈良麻呂などがいます
立花氏は戦国時代に立花道雪と義理の息子の宗茂が名乗っています

しかし道雪も元は戸次姓だし宗茂も高橋姓です


この両家は同じ 「たちばな」 なのでしょうか?

Aベストアンサー

いわゆる源平藤橘の「橘」姓と豊後大友氏の庶流である「立花」氏との関連という意味で理解しました。
つながりはありません。まったく別の「たちばな」です。

立花氏は、大友氏の一族が立花山城に居住するようになったことから名乗るようになったといわれています。つまり、地名由来の名字です。
また、大友氏は藤原姓とされており、橘姓とも関係ありません。もちろん大伴姓とも関係ありません。

なお、戸次道雪の戸次氏も筑後高橋氏も橘姓ではありません。

Q伊達氏、真田氏、徳川氏、豊臣氏、毛利氏、武田氏、北条氏

伊達氏、真田氏、徳川氏、豊臣氏、毛利氏、武田氏、北条氏
は今でも続いているんでしょうか?それとも滅んだんでしょうか?

Aベストアンサー

大名家は直系の子孫は絶えることが少なくなく、親戚周りから養子が入って血脈を継ぐことで氏族としては繋がっています。
北条氏も狭山藩1万石の大名として幕末まで続き、創価学会の北條浩(4代目会長)などが出ています。
徳川氏は家光の(男系の)血脈は館林藩越智清武で絶えていますが、8代将軍吉宗の血脈として、德川恒孝氏が徳川宗家でしょう。
豊臣氏は氏(うじ)ですから、木下家が豊臣氏であり、足守藩木下家として幕末を迎えます。
血筋としては、真田信繁の3男に秀次の血が入っており、出羽亀田藩の家臣として三次氏を称しています。

Q織田信長は平氏?源氏?藤原氏?橘氏?忌部氏?

『尾張の織田家は元々は藤原氏、橘氏に連なるものであり、熱田神宮とも深いつながりがあったようです。
尾張の物流を司る津島神社の宮司家に連なる者であり、津島港を押さえていたため、尾張守護の斯波氏や尾張守護代の織田本家もうかつに手を出せない立場にあったようです。

尾張における海運の発祥は、日本武尊が東国遠征から帰ったあと婚姻すると約束した美夜受比売の兄、建稲種命。
この人が尾張水軍を率いてた人で、尾張氏。
藤原氏を中心とした物部連に連なる人です。
この美夜受比売がのちに日本武尊から預かった剣こそ、通称、「草薙の剣」と呼ばれる「天叢雲剣」です。
そして、その剣を収め、祀ったのが熱田神宮です。
今でも熱田神宮の奥には「天叢雲剣」が御神体としてあるらしい。
このように熱田神宮は常に、尾張の物流の根幹を握っていたようです。」

という内容を読み聞きしたのですが、本当に織田氏は藤原氏=熱田神宮に関係する家系なのでしょうか?
(信長が平氏を名乗ったのは知っています。)

Aベストアンサー

『織田系図』・『織田家譜』では平重盛の子資盛の遺児、親真を祖とし、初めは近江国津田荘に、そして越前国丹生郡織田荘の織田剣神社の神官へ養子となり織田氏を称したとあります。
 しかし、永正15年(1518)に守護代織田達勝が円福寺に出した禁制では「藤原達勝」とあり、信長も天文18年(1549)に出した禁札に「藤原信長」と署名しています。信長が平姓を名乗ったのはご承知の通り天下統一に向けて、源氏である足利家への抵抗からでしょう。そのため、平氏の落胤に結びつけた系図を作成したというのが妥当ですね。

 ですから織田氏は、藤原氏であり越前国丹生郡織田荘を本拠としていたというのが、通説となっています。ただ信長が途中から平と氏を変えたように、「織田は藤原氏だった」というよりも、「織田は藤原氏を名乗っていた」ぐらいに見るのが妥当ではないでしょうか。昔は地方ほど無姓の者は「藤原」を名乗って、ステータスとしていた時代もあったのですから。それが大量に藤原氏の流れを汲む一族が生まれる一因となります。

 また藤原だったから攻めなかったというのも、後世の後付の域を出ない内容でしょう。今目の前にいる肉親ですら平気に争っていた時代に、そんな大昔の氏族つながりがどれほど意味があったでしょう。

「氏神というものは複数存在するものなのでしょうか」
氏神が本来の“氏の祖神、祖先を祀った神社、あるいは神”という意味ではなく、郷土の産土神や有力神を氏族の守護神としたものという意味で使われているのであれば、複数存在してもおかしくはないでしょう。それ以前に藤原氏であれば氏神社は奈良の春日神社ですが、藤原といっても鎌足や不比等の流れを汲むものではなく、ステータスとして名乗っていた藤原であれば、そほど意識はしないでしょうね。

 尾張氏(おわりうじ)は天火明命を祖神とし、本宗家は天武天皇13年(684)に姓(かばね:氏とともに朝廷より賜る称号)を連(むらじ)からより高いの宿彌(すくね)に改められます。

 熱田神宮は当初、尾張氏が奉斎していましたが、12世紀初頭からは藤原南家の熱田大宮司流が大宮司を勤めます。

『国史大辞典』吉川弘文館
『日本史諸氏諸家系図大辞典』講談社

『織田系図』・『織田家譜』では平重盛の子資盛の遺児、親真を祖とし、初めは近江国津田荘に、そして越前国丹生郡織田荘の織田剣神社の神官へ養子となり織田氏を称したとあります。
 しかし、永正15年(1518)に守護代織田達勝が円福寺に出した禁制では「藤原達勝」とあり、信長も天文18年(1549)に出した禁札に「藤原信長」と署名しています。信長が平姓を名乗ったのはご承知の通り天下統一に向けて、源氏である足利家への抵抗からでしょう。そのため、平氏の落胤に結びつけた系図を作成したというのが妥当で...続きを読む

Q坂東八平氏の祖・村岡良文の居所は?

村岡良文はいったいどこに館を構えていたのですか。

熊谷市村岡の説と
藤沢市村岡の2説ありますが・・

Aベストアンサー

 良文の子の平忠頼・忠通が熊谷の方に在住していたことがわかっていますので、熊谷市のほうが有力だと思います。

参考URL:http://www2s.biglobe.ne.jp/~bame/souke3.htm

Q橘氏が繁栄しなかった理由は?

源平藤橘と言えば格式の高い4家を表します

源平は言うまでもなく天皇の末裔であり平清盛や源頼朝を輩出した武士の名門
藤原氏も摂関政治を独占し隆盛を極めた家柄です
しかし橘家はどうしたのでしょう?

橘諸兄や奈良麻呂と言うあたりの名前は歴史でも出てきますが
決してその後出世して名門の家系になったとは聞きません
格式高い4家の一角をなす家柄にもかかわらずです。

橘家に何があったのでしょうか?

Aベストアンサー

>格式高い4家の一角をなす家柄にもかかわらず

その通りで、一時は「藤原一族よりも、繁栄」していました。

>橘家に何があったのでしょうか?

政敵である藤原一族の陰謀で、「地方役人として飛ばされた」のです。
飛ばされた橘一族は、土着。都に残った一族は「下級とまでは言わないまでも、中級公家」として生き残ります。
もう、藤原家に対抗する力はありませんね。
唯一記録に残るのは、土着した一族ですかね。
楠木正成は、橘一族の末裔だと伝わっています。
親鸞上人・橘逸勢・和泉式部・清少納も、橘一族の流れをくむ様です。
歴史は、勝者が作ります。
日本書紀は、藤原一族の物語。^^;
本当の事は、誰にも分かりません・・・。

Q奈良県の最古の神社は?

神道の歴史を勉強しています。

(1)奈良県にある神社または神宮のうち、最も歴史が古いものはどこですか。二番目に古いものはどこですか。

(2)それぞれの神社または神宮の「創建された年」と「最寄の鉄道駅」を教えて下さい。

Aベストアンサー

創建ということだと、正直伝説の範囲に入る話ですから確かなことはわかりませんが・・・。

(1)おそらく石上(いそのかみ)神社ではないでしょうか? この神社は古代氏族の物部氏が祭祀したと言われています。さすがに社伝の崇神天皇七年創建ということはない(これだと紀元前になってしまうから)でしょうが、聖徳太子の時代にはまちがいなくあったと思われます。
大神神社も同じく崇神天皇七年といわれています。こちらは何しろ大和国一宮ですしご神体が三輪山という、格式からしても古そうな神社ですから、この2つがご質問の回答になると思います。

その他、伝承ではほとんど同時期に廣瀬神社、龍田神社なども創建されたことになっています。

(2)石上神社はJR・近鉄の天理駅が近い。大神神社はJR三輪駅が最寄り駅です。

Q小日向氏 越後橘姓

http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01201.htm
上記に
【小日向氏】が越後橘姓を称する。
と記されていますが、もっと詳しいことを知りたいです。

●小日向氏とはいかなる氏族なのか?
●小日向氏の本拠地はどこ(やっぱり越後?)で、どのようなことを行ったのかなど・・・

小日向氏に関することならば、どんな情報でも結構です。
教えてください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

新潟県上越市安塚区にある直峰城の城主だったようで、直江兼続の実家である樋口氏の前の城主のようですね。下記にそれが記されています。どういう経緯で城主が交代したのか等、詳しいことは分かりません。

参考URL:http://ishigakiotoko.web.fc2.com/shiro/niigatak/nomine/nomine.htm

Q神社にあるような札の歴史などに興味がなさすぎる

神社にあるような立て札の歴史を解説したものがあるじゃないですか。
いったい何処をどういう風にたのたのしめば、いわゆる歴史好き神社好きの人みたいにじっくり見ることができるのでしょうか。
神社の建物は綺麗なので見ていられます。でも何年~秀頼公~ などという歴史っぽい言葉が出るととたんにフリーズします。
小学校から歴史と地理が全く興味がなく出身地の会話とか未だについていけないのでたぶん発達… なのかもしれませんが、
歴史物の中2病にかかっているかたがうらやましいです。
どういう興味の抱き方をすれば集中して興味をそそぐ事ができると思いますか?

Aベストアンサー

#7です。お礼ありがとうございます。

>特に日本人に興味がない。外国の歴史の方が興味がわきますね。 たぶんビジュアルの想像が出来ないかあるいは興味がないんだと思います。私は絵図らから興味をもつので、

ああ、分かります。私も、日本人に興味が無い、ということはないですが、外国のほうに惹かれます。私の専門?はローマ古代史です。これなら、ずっと語れます。

日本史は細かいんですよね。誰がどうして、何がどうしたとか・・・、まあ、どんな歴史でもそうなんでしょうが、日本の歴史はあまり「俯瞰」がないのが致命的だと思います。

俯瞰しないで、微に入り細を穿つのは日本人の特性なんでしょうね。

Qニギハヤヒについて

 旅行で奈良・大阪の神社を訪れて以来、ニギハヤヒに興味を覚えました。物部氏の祖といわれるニギハヤヒについて詳しく書かれた書物等教えてください。

Aベストアンサー

 「物部氏の伝承」 畑井弘 吉川弘文館
に詳しく書かれています。絶版のようですが、数年前に復刻版が出たようです。これも版数が限られていて入手は不可能と思われます。図書館で借りるか、古本屋で探す方が早いと思います。

Qニギハヤヒ降臨伝承地

 『大阪府の歴史散歩 下』に「ニギハヤヒが天の磐船に乗り、河内国河上の哮峰に降臨したという三聖地」という表現が出てきます。富田林の磐船神社、交野の磐船神社の2つは本にも載っていて分かったのですが、もう1つの聖地がわかりません。今週末からの旅行でぜひ、訪れたいと思っています。ぜひぜひ、お願いします。

Aベストアンサー

このページがお探しの場所の手がかりにはならないでしょうか?
左から2番目の「物部の神々」の欄を縦にたどっていくと、いくつか「饒速日命」をおまつりしてある神社が見つけられます。(「星田神社」「野間神社」などです)

見つかるといいのですが・・・。

参考URL:http://www.kamnavi.net/ichiranosaka.htm


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