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曾我兄弟の仇討ちの話は大正時代まで人気があったそうですが、現在はなぜ知られていないのですか?またなぜ曾我兄弟は工藤だけでなく源頼朝まで暗殺しようとしたのですか?

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A 回答 (6件)

戦前の教科書には「曾我兄弟の仇討ち」の話が載っていて、都知事だった石原慎太郎が小学生の頃に、弟の石原裕次郎と、その話をよくしたものだと著作に書いています。

ですから昭和期でも戦前は教科書に載っていたくらい有名で人気がありました。

しかし敗戦で占領軍GHQにより検閲が行われるようになると、「仇討ちもの」自体が好ましくないと判断され、検閲で排除されます。特に「曾我兄弟の仇討ち」は「忠臣蔵」と違って、当時の権力者である頼朝まで襲撃していたため、戦争で肉親を米軍に殺された日本人により、現在の権力者である占領軍に対する「仇討ち」、つまり反米抵抗闘争を引き起こしかねないと警戒されました。

1951年にサンフランシスコ講和条約が調印されて米軍による占領が終了すると、検閲もなくなり、仇討ちものの映画も1950年代後半には作られ始めます。しかし1960~70年代に左翼過激派の連合赤軍などが革命闘争を行って政府権力に対する武装闘争を行っていたことから、「曾我兄弟の仇討ち」の場合は何か問題になるといけないからと、この時期に上映・上演が忌避されていた面がありました。そのため、世間の話題にも上らなくなり、話自体も知らない若い世代が増えていったのです。一方で、同じ「仇討ちもの」でも江戸幕府権力には従順であった「忠臣蔵」の場合は特に問題がなかったので映画や舞台化も多くされ続け、今でも知っている人が多いのです。

曾我兄弟が頼朝まで襲撃した理由は、仇である工藤祐経が京都での人脈を買われて源頼朝に重用され、寵を受けて栄華を誇っていたからです。そして工藤祐経はこうした力を背景にして曾我兄弟を抹殺しようとしていますが、畠山重忠、畠山義盛によって兄弟の命は救われています。兄弟の側から見れば、頼朝は憎い仇の工藤祐経の後ろ盾になっていたわけで、頼朝も憎かったはずです。歴史家の中には北条時政による頼朝暗殺の陰謀説を唱えたりする人も居ますが、陰謀があったとまでは言えないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

お礼日時:2022/06/15 15:26

ラジオで講談や浪曲を聴いていた世代の多くの人は、知って居ますよ。


流行歌も時々放送される、三橋美智也は知っているけれど、同時代の
近江敏郎は知らない人が多いのでは?
>源頼朝まで暗殺しようとしたのですか?
吾妻鑑には、その様な記述は無いですが、その有無は解らないです。
解らないので、小説家や脚本家が想像して書いて印税がガッポリ懐に
はいるのです。
江戸時代には真田幸村が昭和では坂本龍馬がヒーローになりました。
蘇我兄弟も講談や浪曲が華やかし頃はヒーローの一人でした。
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浪曲、浪花節というのがあって


(今でもありますが)
これは大正時代というより
戦後間もない頃まで
人気がありました

ラジオ放送が始まった頃には
一番人気のあった番組で
年中この浪曲、浪花節は
ラジオから流れていました

内容はというと
心中話や歴史物が多く
そこで
曽我兄弟の話などが
多く語られ
誰もが知っている話だったのですね
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曽我物語は、映画・テレビといった映像化・大衆化のトレンドに乗り切れずに埋没してしまったと理解しています。

人気があったというが、さほど娯楽性があったとも思わない。私の感覚だと、どこが面白いの?これって感じです。
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日本は平安女流文学の隆盛など、古くからの物語大国です。

古代の日本にも日本霊異記という奇譚文学や竹取物語のような貴族風刺やSFまがいの物語もありました。
平和で庶民も読み書きができる人が多くなった江戸時代は、小説も盛んに作られました。仇討ち物や心中物、怪談物などなどですね。講談や芝居でも大人気でした。三国志演義や水滸伝、西遊記などの中国古典文学も翻訳されて大人気。そういったものに触発されて、南総里見八犬伝や雨月物語のような伝奇小説や、北越雪譜のような地域博物誌までよく売れました。

とはいえ、明治以降になると、中華文明圏だけでなく、欧米文学も翻訳出版が相次ぎ、その影響を受けてさらに作品の質も量もジャンルも拡大していくことになります。作家の数も江戸時代前とは比較にならないほど増えました。

今でも仇討ち物や心中物という言い方はしませんが、サスペンス系では復讐をテーマに組み込んだ作品は多いでしょうし、恋愛系で最後は心中自殺して終わるような作品も多くはありませんがたまに出版されています。渡辺淳一の「失楽園」なんかは近年の代表的心中物でしょう。

頼朝も親の仇討ちの対象となったのは、曾我兄弟も親の死が頼朝の命令であると思って恨んでいたからでしょう。北条時政がそのように吹き込んだ可能性はあるが、真相は分からない。
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敗戦後、日本を管理していたGHQが「仇討ち」を表現したものを上映、演劇することを禁止したからです。


日本三大仇討ちのうち、赤穂事件(赤穂浪士・忠臣蔵)だけは未だによく知られていますが、「曽我兄弟」「荒木又右衛門 鍵屋の辻」など、殆ど知られていないでしょうね。

 「鎌倉殿の13人」をみていたらわかるでしょうが兄弟の祖父、父親を殺すように命じたのは源頼朝だからです。もちろんあくまでもドラマなのでその実態は不明です。
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