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●映画「峠」.長岡藩•河井継之助は、自身の領地(越後•長岡)に 火を放ち、八十里越峠で亡くなりますが…。 自身の領地に火を放つのでしょうか?それとも、官軍の仕業でしょうか?   お聞かせ下さい!

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A 回答 (1件)

小説やそれを元にした映画と史実は違います。


小説や映画は見ていないのでわかりませんが、史実はウィキペディアを参照してください。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E4%BA%95 …

こちらでは彼の死は
重傷の継之助は1人で歩けず、会津へ向けて八十里峠を越える際、「八十里 腰抜け武士の 越す峠」という自嘲の句を詠む。

峠を越えて会津藩領に入り、只見村にて休息をとる。継之助はそこで忠恭の依頼で会津若松より治療に来た松本良順の診察を受け、松本が持参してきた牛肉を平らげてみせる。しかし、この時既に継之助の傷は破傷風により手遅れな状態にあった。

継之助は松本の勧めもあり、会津若松へ向けて只見村を出発し、8月12日(9月27日)に塩沢村(現・福島県只見町)に到着する。塩沢村では不安定な容態が続いた。15日(30日)の夜、継之助は従僕の松蔵を呼ぶと、ねぎらいの言葉をかけるとともに火葬の仕度を命じた。翌16日(10月1日)の昼頃、継之助は談笑した後、ひと眠りつくとそのまま危篤状態に陥り、同日午後8時頃、只見・塩沢村の医師矢澤宗益宅にて死去した。享年42。

となっています。

また小説「峠」のウィキペディアには
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%A0_(%E5%B0% …

歴史と創作
『峠』は歴史小説であり、記述の中には創作も含まれる。ところが本作が「河井継之助といえば『峠』」というほどの大ベストセラーになったため、以後に書かれた河井継之助に関する書籍の中にはそうした『峠』の創作部分を史実と誤って引用していたものが少なくない。


★冒頭で河井の人物像が語られる冬の峠越え
創作:三国峠越え。
史実:碓氷峠越え。
★河井と福澤諭吉との関係
創作:思想面で共鳴する親密な関係があった。
史実:実際に2人が会った記録はない。
★河井が持っていた越後長岡藩の将来像
創作:一藩で武装中立国にする構想を持っていた。
史実:その言動から、尊王でも佐幕でもない中立の一藩にしようとしていたであろうことは想像に難くないが、それを裏付ける史料はない。

とあります。
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この回答へのお礼

Thank you

ありがとうございました!

お礼日時:2022/06/12 12:34

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