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コミンテルンが、日本政府内官僚機構に工作し、日本をして日支事変泥沼化に誘導せしめたことは、明らかでは?
ソ連スパイの尾崎秀実が近衛内閣に潜り込み、徹底的に対支那強硬論を唱えていたが、この尾崎はかつて朝日記者として上海に派遣された折、スメドレーなどの赤と相当交際を深くしていたと聞きます。のちにスパイが確定して死刑にもなっています。
ソ連にしてみれば、日本を国民党と戦わせ、日本及び蒋介石が疲弊したところに、大陸では共産党を、あわよくば敗戦後の日本にも容共政府を樹立させようとしていたのでは?

A 回答 (1件)

単なる「トンデモ話」の類い。


大東亜戦争末期に「日ソ不可侵条約」を旧ソ連が一方的に破棄したのは、米軍に対し敗戦が濃厚になり、戦後米主導の民主化を警戒していたため。
また、欧州では対独戦に手こずり、ベルリン解放戦でも英米と対立していた。
第二次大戦終結まで、対日戦を含む二正面作戦をする国力は旧ソ連には無かった。
共産化の意図はあったが、戦後日本の分割統治での話し。
戦後の占領統治は連合軍最高司令部(GHQ)により行われたので、旧ソ連の共産化は否定された。
太平洋戦争は「大東亜戦争」
日支事変と言う呼称は歴史上使われない「造語」
正式には「支那事変」まなは「日華事変」
当時の日本の国名は「大日本帝国」であるから「大日本帝国政府」が適切
戦前の朝日新聞は「極右」であったため、一社員が「共産主義」を標榜したとした可能性はあるが、露見すれば即刻射殺されるか、スパイ容疑で検挙され厳しい拷問と尋問を死ぬまで受けるのが当時では当たり前。
もっと、正しい歴史を然るべき教育機関で学んだ方がいい。
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この回答へのお礼

大日本帝国は外務省が1930年代に統一しただけで、日本政府全体の意思ではないですね。戦前の外交文章や、勲記を見ても
日本国皇帝とか大日本国天皇とか大日本帝国天皇とか国名に関しては表記はバラバラです。ちなみに大日本帝国憲法も日本国憲法も正式な国名を定めていません。

大東亜戦争という用語は現在国や公共機関、あるいは学手術的にも使用されておらず「太平洋戦争」が一般的です。

あなたこそ勉強しましょうね。

ソ連のスパイで共産主義者の尾崎秀実が台支那強硬論を煽っていたのは事実なのだが。あなたのいう拷問とかって表面的な反戦とか言ってた人たちでしょ。
ちなみに近衛内閣の風見明も共産主義者。

お礼日時:2022/06/14 14:12

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