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『大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義 (自由選書) 単行本 – 1987/1/1 三田村 武夫 (著)』のカスタマーレビューを読んだところ、戦後に日本共産党に入党した大本営参謀が居ると記載ありました。こちらの方は、誰でしょうか。

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A 回答 (1件)

志位正二のことだと思いますが、ちょっと誤解があるようです。

 

志位正二は元日本陸軍参謀の少佐でした。 陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学を出た、エリート中のエリートともいうべき軍人で、父は志位正人陸軍中将でした。

関東軍の情報参謀として終戦を迎えた志位正二少佐はソ連に捕らえられ、シベリア抑留を経験します。 そこで共産革命のための特殊工作員としての訓練を受けたのです。 そして、復員後はGHQや外務省で働きながらKGBのスパイとして活動していました。

しかし、昭和29年1月末、在日ソ連代表部の二等書記官ユーリ・ラストボロフがアメリカに亡命するという事件により、志位をはじめとする、日本で活動するソ連のスパイたちの存在が明らかになってしまいました。 そして、ソ連からは志位達スパイに「自殺」の指示が届きました。 しかし、志位はそれを拒否し日本の警察に出頭して、自分がソ連のスパイであったことを認めたのです。 結局、志位は罪には問われませんでした。 その後、志位は「石井」と名前を変えて、海外石油開発株式会社常務となりチュメニ油田の開発に尽力しました。 ところが、1973年3月31日、シベリア上空を飛行中の日本航空のダグラス DC-8型機の機内で変死を遂げたのです。 

この志位正二には志位明義という弟がいました、明義は終戦の次の年の春、旧制中学校を卒業し千葉県の四街道に移り住むようになりますが、若い仲間と学習サークル「北総文化クラブ」を作ります。 そこでは、「社会発展の法則」「資本主義社会の経済の仕組み」「世界大戦後の世界はどうなっているか」などを学びまました。 このサークルでの学習がきっかけとなって、明義は1948年3月、日本共産党に入党し、その後、亡くなるまでの57年間、日本共産党員として活発に活動を続けました。 そして、この明義の子息が現在の日本共産党委員長の志位和夫なのです。
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この回答へのお礼

ご回答有難う御座います。詳細な内容納得致しました。

お礼日時:2022/06/17 09:04

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