社会人&学生におすすめする色彩検定の勉強術

「信ずることは責任を取ることである」と小林秀雄は言いました。それは、随分飛躍しているのではないかと思う方が多いのではないかと思います。

しかし、これはこういうことではないかと思います。

前回の質問文に書いたように、人間は生まれてから育ってゆくうちにあれこれ考えて、自分の信ずるもの、あるいはその代わりになるものを見つけ、決定するものである。
けれども、信ずると言っても考え抜いた末に深く心に刻むように物事を信ずるような人は、あまり見たことはありません。

言い方が挑戦的かも知れませんが、既存のものを見繕って自分のものにすることが多いというのが現実だと思います。そこに至るには「考える」ことはするけれども、信ずることをしていない、というのが小林秀雄の言わんとするところではないかと思う。

それほど信じているわけではないから、流行や時代の流れで容易に変わる。一方、そのことを信じている人は、そのことについて固く決めているわけですから、そのことについて自分の言動、大げさでなく自分の人生において証明をせんと生きることになる、と。こういうことではないかと考えています。

質問は二点あります。

1.信念を強く持って生きるということは、人生の醍醐味であって、水に漂う浮き草のような生き方(挑戦的?)より遥かに幸福感を感じることができると経験上思っていますが、あなたはどうお考えですか?

2.例えば、マララさんのように命をも厭わない強い信念を持てる人もいれば、蒟蒻のような人もいます。その違いは先天的なものなのでしょうか?

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A 回答 (3件)

信念など持てるような時代じゃないけど



信念があればさぞ良かろうと思う時代です

私も疑問が湧きました

マララさんやグレタさんのような少女が信念を持つ時代です

情報化やネットで情報は幾らでもありますが、じっくり考える時間がありません

でも現実は現実であり、無理は無理です。

事実と理屈が合わなければどうしようもありません。

小林秀雄は兎に角考え抜いて信ずるまで考えつつ責任の持てる行動をしろと言っていのでしょう。

野球でも芯に当たって振り切ればホームランにもなりますが

変化球や心理戦もありなかなか綺麗にクリーンヒットは出来ません。

それでもクリーンヒットするためにはAIでも心理学でも科学でも動員して

現状の答えを模索するしかありません。信じられそうな答えを。
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この回答へのお礼

今はとんでもない「乱世」だと思いますよ。乱世こそ信念の士が出て時代を変えてほしいと思うのですが、その信念の士を迎え入れる枠が民衆の中にないのではないかとも思います。
出る杭はムカつくので叩き潰す、そういう時代にも思えます。

だから、やり方ですよね?

一撃で効く急所があるのかなとは思っています。そこを100発くらい突けば何とかなるのかなという期待はありますよ。

お礼日時:2022/06/17 21:47

①信念なんて物を持ってしまうと


思考回路が硬くなるから、持たないようにしてますよ

他人が信念を持つぶんには、なんら気には成らないけどね

②先天的なことよりも、後天的な事柄だと思いますよ

人間って、何処までも環境や状況に対して適応を求められる生き物だと思ってて

独自の信念を持たないと環境に適応できないからこそ

信念を貫いてるのかも知れないですけどね


信念を貫くことで、その人にとっては!環境や状況に適応してるからこその信念なんだろうなぁ~

とはとは言えそうですけどね
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この回答へのお礼

「信念」と「執着」は似て非なるものであることを銘記したいと思っています。
ヒットラーのは完全に執着です。同時代の日本の軍部は、神の国日本が負けるわけがないという慢心からの執着から始まり、保身のために戦争を長引かせた、と。

私の信念の定義の前提条件に、世のため人のためになること、というのがあります。善に向かうものが信念で、悪に向かうものが執着です。

あることが、善であると信じた場合、そのことをとことん考えることになるでしょう。善であると信じているわけですから。確かに思考回路が固くなることもあるでしょうけれど。

一方、あることについて、特に善と信じるわけでもないときには、通り一辺倒のところで思考をやめることになるでしょう。思考は必ず行き詰るからです。
信念のみがその行き詰まりを打破できる可能性があると思います。

「信念」と言う概念自体が、現代では「悪」であるという「感じ」があります。なんとなくそういう雰囲気なんですね。そういうことは他にもたくさんあると思いますが、よく考えれば違うことがたくさんあります。信念もそうですね。これがないと、ただ、「新しいものはいいものだ」という惰性に流されるだけでしょう。

お礼日時:2022/06/17 21:24

私は信じると言うことは命を懸けることである、と言っています。

それは自分が正しいと考えて発言するなら責任を持って行わなければならないと言うことだ。せめて全財産を懸けるくらいの自信をもてたら発言しろと言うことだ。発言には必ず責任が伴うのだ、小林の発言は無責任な発言が多すぎることへの警告なのだ。
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この回答へのお礼

お分かりのようですね。

お礼日時:2022/06/16 22:01

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