今の時代には、そぐわない表現…ってありませんか?

例えば、ウサギを数える時に使う「一羽・二羽」という言葉です。
この数え方の由来は解るのですが、現代ではウサギは哺乳類で鳥類ではありません。しかも大抵の人は肉食を良しとしていますし、僧侶でも肉食はしています。
このように、ウサギを「一羽・二羽」と数える理由はもはや無くなっていると考えられます。
いえ、「一羽・二羽」と数えるのは「間違い」ではないでしょうか?
なぜ、未だに「一羽・二羽」にこだわっているのでしょう?
それとも、私が知らないだけで小学校では「一匹・二匹」と教えているのでしょうか?
昨今の言葉の乱れとは逆の意味で、過去に囚われているように思えるのですが…
「一羽・二羽」の表現を続けるのは、只のノスタルジーだと思います。
「一生懸命」が市民権を得ているのとは逆に、「一羽・二羽」は市民権を剥奪すべきと考えますがいかがですか?

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A 回答 (12件中1~10件)

たぶん、考え方はosafuneさん(質問者の方)と私とで大きな違いはないと思います。



>実際には、私が強権を振るうでなく自然消滅を待つばかりなんですが…(そもそもそんな権力も権利も無い)
私にも権力はないです。(^^;

>質問はちょっと挑発的に書いたので余り気になさらないで下さい。
とっても気にしました。(^.^;

お考えはわかりました。ありがとうございました。
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私は日常生活でウサギを数える機会はほとんどないし、


羽でも匹でもどっちでもいいと思いますが、、、、

>「一羽・二羽」は市民権を剥奪すべきと考えます

しかし、ずいぶん障碍は多そうです。

国語辞典の編集者(?)になって
「ウサギを『一羽・二羽』と数えるのは誤りである」
と書くとか……
あるいは、教師になって児童(生徒)に教え込むとか……
(児童の親から文句が来なければいいのですが……)

いずれにしても道のりは長そうです。

私がよくわからないのは、
「市民権を剥奪するメリット」
または
「市民権を剥奪しないとどのような問題があるか」
です。そこら辺のお考えをお教えいただけるとありがたいです。

この回答への補足

あっ補足要求だ(^^;)
質問はちょっと挑発的に書いたので余り気になさらないで下さい。

「市民権を剥奪するメリット」
は、"無理をしなくて良い"ということです。
ウサギを数える時、「一匹二匹…おおっと違った!一羽二羽だ。」ってなりません?素直に出てこないって言うか…

補足日時:2001/09/08 23:35
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
実は、イカの「一杯二杯」には抵抗は無いのです。
「一羽二羽」は肉食を有言無実化するために作られた助数詞であることに引っ掛かっているんです。
あまり褒められたものでない過去の風習を、現在まで引きずる必要があるのか?というのがそもそもの疑問でした。
確かに日本文化を象徴する言葉でしょう。しかし、あまりカッコよくないなぁ…って思いませんか?
実際には、私が強権を振るうでなく自然消滅を待つばかりなんですが…(そもそもそんな権力も権利も無い)

お礼日時:2001/09/09 00:12

自然に消え去るまでは、残してほしいと思います。



わたしは昨年まで日本語教師として勉強中の外国人留学生と接する仕事をしておりました。
彼らの日本語能力は高く(それでなくては教える立場にはなれませんが)、また日本語に取り組む姿勢は真剣そのものでした。
その中で、日本語の助数詞に特に興味を持つ留学生がいました。彼は、ここで問題にされたウサギの数え方を調べ、その歴史を知って驚くとともに、日本人の「本音と建前の文化」を理解するのに、この事例は使えると興奮してわたしに話してくれました。
その時、言葉を彩る文化や歴史って凄いって正直思いました。

日本の歴史(江戸時代)を学校で学ぶかぎり、または日本人の本音と建前をわける特性が消滅するまでは、このまま「一羽、二羽」という言葉が残ってほしいと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「本音と建前の文化」とは言い得て妙ですね。
納得です。
>日本人の本音と建前をわける特性が消滅するまで
私はこちらを支持します。

お礼日時:2001/09/08 23:34

多くの方と変わりませんが、私も「1羽、2羽」と呼ぶ方が、文化の積み重なり、豊かさ、歴史を秘めていて好きです。

言葉は生きものだから、標本みたいにこっちがいい、と「教えようと」すると歪みが生じるんでしょうね。他方、「こっちの方が便利だから」と言って、切り捨てるのも、失うものが大きいように感じます。ノスタルジーには違いないですが。

でもそう考えると、グローバル化にしたがって、言葉はフラットに、悪く言えば薄っぺらくなるのかもしれませんね。でも、ローカルな言葉(方言)が、セクター分けされた言葉(業界用語や学生の隠語)にとってかわってるのかもしれないなあ。

…古い言葉に古くならない意味を見出す、そんな温故知新も大切だなあと、ふと考えてしまいました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>言葉はフラットに
は、実感できます。特に若い年齢層で、方言が利用されなくなってきていますね。

お礼日時:2001/09/08 23:22

>「正しい」は「正しい」、「美しい」は「美しい」であって、「正しい」=「美しい」ではないですよね?



「正しい」と「美しい」は違いますね。「正しい」はあくまでも文法にかなっているかどうかです。正しくなくとも聞き手に安らぎを与える美しい言葉はあるとおもいますよ。小学校→中学校→高校と進むに従って国語の能力がどんどん落ちているのが現状だそうです。

ことばは通じればよい、という人はたくさんいますし、ある意味で私もそう思います。でも一国の総理大臣が国会で演説するときに、巷の高校生のような口調で話すのを想像してください。あるいは最初の質問にあったように数え方を間違えたりしたら、それだけでせっかくの政策が軽いものに見られてしまいます。自分が将来それなりの地位についたとき、皆さんの前で恥をかかないためにも、正しい言葉を話すようにしたいと思っています。

美しいというのはうまく表現できませんが、基本は思いやりの気持ちが伝わるような表現だと思います。そういえば仕事をしていると「美しい」表現にめぐり合った事がありません。ビジネスですからあたりまえですが、ちょっと残念です。
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「羽」という表現が実用的かどうかと質問されたら回答は


「実用的ではない」と答えるでしょう。しかし、教育の場に
必要かどうかという質問には、むしろ「積極的に教えるべき」
だと思います。

なぜなら、学習は暗記ではありません。なぜ「羽」という
呼び方をしているのかを子供に教えることは、その時代の
歴史観を苦もなく覚えられるからです。これからの教育は
多様性が重要視されているからこそ、動物によっては
呼称が違うんだよと教えることはプラスになっても、
マイナスになるとは考えられません。

子供がからかいの意味を込めて他人を「1匹、2匹」と呼んだとき
「人間はほ乳類じゃないの?」なんてずる賢く反論されたら
「人間だけは特別だからいいの」と説明するのは空しくないですか。
そんなとき「イカやうさぎだって違うでしょ」という説明の方が
教育上よいと思いますが。

数え方で問題にすべきは「匹」と「頭」の曖昧さです。
前にテレビでアナウンサーが牛を「あそこに牛が2匹います」
と言っていたのを聴いて、なんか違和感がありました。
うさぎはほ乳類だから「羽」ではなく「匹」でいいじゃないかと
言われますが。ほ乳類でも大きいものは「匹」ではなく「頭」
ですよね。同じく鳥類でもダチョウのことを「頭」と呼ぶ人も
いますしね。

だいたい、実社会で日常的にうさぎなんてそんなに数えないですよね。
であれば、子供の思慮の幅を広げるためにも教育の場くらい
深いことを教えてもいいと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
アナウンサーで思い出しましたけど、日本テレビでは「わかりやすく表現する」ため、ウサギは「一匹二匹」と言うそうです。
「匹・羽」の使い分けは「TPOに応じて」というより、「相手に応じて」ってカンジですね。
>子供の思慮の幅を広げる
については賛成できます。

お礼日時:2001/09/05 21:50

皆さんのご意見はそれぞれごもっともです。

正しいあるいは美しい日本語を話すということは、その人の知性が光ると思います。絶世の美女がやくざのような言葉を話したら、がっかりするでしょ?正しい言語は何処の国でも大切にされています。

しかし言葉というのは規則が先にあるのではない。その時代に合わせた皆さんに受け入れられる形式で使われるものだというのも確かです。たとえば「とても」という言葉は「とても出来ない」というように否定に使われるのが正しいです。しかしいまでは「とても大きい」のように肯定的に使われて何の違和感も持ちません。昔の人が聞いたら「本当は大きくないのだな」と思えるのかもしれません。

言葉は生きていて、どんどん変化していきます。ですからウサギを数えるのと同じように、蟹や烏賊を「いっぱい、にはい」でなく「いっぴき、にひき」と数えても違和感を覚えない人がたくさん出てきても、通用すればよいかなって思います。

なんだか日和見的な回答ですが、美しい・正しい言葉は大切にしたいと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「正しい」は「正しい」、「美しい」は「美しい」であって、「正しい」=「美しい」ではないですよね?
「正しい」ことが「美しい」と考える人は多いですね。確かに「形式美」みたいなものはあるとは思うんですが、形式にとらわれ過ぎるのはどうかと思って…

お礼日時:2001/09/05 21:27

 言葉というのは習慣の塊です。


 誰かが「こうしなさい」と決めたわけじゃないんですから、本来「使ってはいけない言葉」というものそのものが、あってはいけないんです。(道徳的なことはここでは問題にならないとして)

 言葉は、1万年(?)という長い年月をかけて積み上がったモノが今に残っているわけで、そこには「コミュニケーション」という役割があります。
 ここでもたまに論じられている「言葉狩り」という言葉がありますが(この言葉自体はここで作られた単語らしいのですが)、たとえば、文部省が「流行言葉を使ってはならない」という規則を作り、そしてすべての高校生がこれに素直に従ったと仮定します。

 するとどうなるか。
 簡単です。高校生はもはや、人間としての基本的なコミュニケーションをとることができなくなります。
 「正しい言葉」を使わせようとするあまり、言葉そのものが通じなくなってしまう、というのは、本来「言語」が持っている役割からすると本末転倒もいいところです。

 中には、ウサギは「羽」と数えないと意味が通じない人もいます。なぜなら、こう数えることが習慣だからです。
 しかし逆に、「匹」と数えないと違和感を覚える人もいます。なぜならウサギはほ乳類だからです。

 言葉とは、「正しく通じること」が一番大事です。
 ですから、「羽」だろうと「匹」だろうと、その場その場で適切に通じる方を選ぶことが大事なのであって、どちらを使うべきか論じている場合じゃないんです。

 たとえば、俺自身に例えますが、「質問する」という意味で「きく」という言葉があります。
 現在、たいていの日本人はこれに「聞く」という漢字を当てますが、これは実は間違いです。
 質問するという意味の場合、「訊く」「尋く」のどちらかを、状況に応じて使い分けるのが本当です(俺の場合は前者を固定的に使っていますが)。
 でも、間違えてるからって、注意したってどうにもなりません(笑) その人は今までの習慣でその漢字を当てているだけで、悪気があるわけじゃないんです。

 まあ、言葉って詰まるところ、そういうものなんじゃないでしょうかねぇ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
そうですねぇ。確かに決めつけは良くありません。フレキシブルに対応すればそれでいい事かもしれませんね。

お礼日時:2001/09/05 21:12

江戸時代にはイケナイことというのは表向きで一般庶民から殿様まで四足の動物を食べていました。

でもそれはあくまでご法度ですから、ウサギを1羽2羽、馬肉を桜肉と言って建前上食べていないような振りをしていたのです。
ですから明治時代の文明開化の時代を迎えてからは堂々と牛鍋が食べられるようになり多くの人がこぞって食べたのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「助数詞の歴史」を勉強してみるのも面白いかもしれませんね。
私の記憶では江戸時代以前はウサギも「一匹二匹」と数えられてたと…(不確かですが)
実は、「一羽二羽」の表現は「ウサギ」よりも「蝶」こそが相応しいと思ってるんですよ。(羽も生えてるし)でも、昆虫だから「一匹二匹」なんですよねぇ~

お礼日時:2001/09/05 08:55

答えは簡単、使わなければいいのです。

正しい兎の数え方は知識として知っておけばいいことです。皆が使わなくなったらやがて死語になるでしょう。使わないが知識として知っている言葉はたくさんあると思います。(年代によって差はあるが)

例:
百貨店 デパートのこと
亭主関白 妻にたいして夫が威張っている(立場)。

現代語は縄文時代から続く身体語(目、手、など)とその後の各時代で生き残った言葉及び外来語の混合した言葉です。更に、現在使われている言葉は年齢的に10-15ものグループの日常語といろいろな業界の職業(専門)語からなっています。60代の人が10代の言葉を非難したり、20代の人が年配者の言葉を笑っても意味がありません。ある言葉をノスタルジーで使うことがあってもよいと思います。古い言葉、新しい言葉を場に応じて使い分ければ、日本語は更に豊かになります。

職業語の例として、芸能人や水商売の世界で使われる「おはようございます」が
あります。これは時間に関係なく、その日初めて会った人に対する挨拶です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>日本語は更に豊かになります。
良い表現ですね。こう言われると反論できません(^^;)
ただ、これを良しとしない人も大勢いるんですよね。(「一生懸命」を認めない人達です)

お礼日時:2001/09/05 08:23

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