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日本って、神経症になりやすい環境だろうなあと思う。「神経症」という言葉は古いか。「神経質」と「潔癖症」を組み合わせたニュアンスを言い表すのにぴったりな言葉がそれだった。
あなたはどう思う?
とりあえず日本に着いた瞬間に、「人の目」を意識するようになった自分がいることに気付く。日本は、人からどう見られるかを意識する社会だ。日本では、近くに臭い人がいるよりも、自分が「臭い人」だと思われるほうがつらい。

A 回答 (4件)

それはある。



でも 自分を知ってる人が少ない海外から なじみの日本に帰ってきたわけだから 人の目を気にするのは当然とは思う。

良くも悪くも集団意識。
それは同じような民族が集中していると 自分たちが認識しているから。

もしこれが多民族になったり 言葉が多く使われるようになれば 随分と変わる。
逆に傍若無人になる可能性もあるね。
良くも悪くも。
まあ 人間だから仕方がない。
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この回答へのお礼

日本は、世界でも有数の、国民の同質性が高い国で、同じような文化、性質を共有している。そのため、良くも悪くも、他人でも「家族」みたいな感じで、とてもゆるやかな、「内輪」の意識がある。それが鬱陶しいと思うこともある。

お礼日時:2022/06/23 09:47

海外でも日本でも同じ。



海外旅行では現地の人と接する機会が少ないので、そう思うだけ。
現地の友人、職場の人間と接すれば、日本と同じ。という事がよくわかる。

海外旅行→出張→在住・駐在と感じるレベルは上がっていく。
どれも、日本に帰ることを「帰国」という。
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倫理道徳の軸が欧米などとは


異なるのです。

欧米キリスト教文化圏では、神との
約束さえ守っていれば
他人にどう思われようと構わない
と考えます。

しかし、日本にはそんな神様はいません。
だから、他人に不快な想いをさせない
とか、他人からみて恥ずかしい真似はするな、
とか、
人間関係を通した倫理、道徳になるのです。

だから、人の目が気になる、気にするのは
当然です。

キリストの神様もいないし、人間関係を
通した倫理道徳の軸がない国が
中国です。

虚栄心はあるのですが、他人に不快な
想いをさせない、なんて道徳の軸は
ありません。
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>海外から日本に帰ってくると、



周りの人が話している日本語の機微まで理解できる。すごく語学力が向上したような気持ちになる。
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