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私はキリスト教徒ではないのですが、以前から気になっていることがあります。

私の知る限り、イエス・キリストは非常に寛容な人で誰一人差別をしない、といった人物です。(現在では、マザーテレサのような人)

しかし、キリスト教の人権の範囲は時代とともに変わり徐々に広がっていっています。つまり昔は差別がひどかったが、だんだんと緩和されてきました。しかしLGBTについてはまだまだ発展途上です。

なぜ、キリスト本人とその教えであるキリスト教でここまで思想が乖離しているのでしょうか。

できれば、キリスト教徒やキリスト教に精通されている方にご教示いただけるとありがたいです。

教えて!goo グレード

A 回答 (2件)

「言葉」と「解釈」は別のものだから。



キリスト教は弟子のヨハネとパウロ他によって立ち上げられた。
その際キリストの言葉はそれ以前の旧約聖書とともに聖書にまとめられたが、その聖書の文言をどう解釈するかをめぐって、彼らは血みどろの死闘を演じている。
とても「万人を認める」どころではない。

というか、何もかも認めればそれは宗教ではない。
宗教の存在意味の一つは「人間の行いを正す」ことだからである。

仏教ではその解釈をめぐって、争いでなく分派という現象が起こる。
たとえばブッダによって定められた「托鉢」行に金銭の授受を認めるかどうかという問題をめぐって、大乗仏教と上座部仏教の分裂が起こった。
その分裂は現在に至る。

キリスト教でも当初から三位一体派とアリウス派の解釈をめぐる対立があった。
それを何とか収拾しようと開かれたのが二ケア公会議である。
しかしこの公会議をめぐってもキリスト教は統一されなかった。

「言葉」つまり神は完全でも、「解釈」を行う人間は不完全である。
だからそういうことになるのである。
宗教活動とは完全な人間が行うのではない。
不完全な人間が、少しでも完全に近づこうとあがく血みどろの行為である。
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他の宗教においても、教祖とその弟子たちや信者の思想が乖離していることはあります。



教祖の思想が教祖から直接学んだ弟子たちに伝えることは難しい。
で、その弟子の弟子となれば、教祖の思想が正しく伝わっている可能性はさらに下がります。
また、経典が書かれるのが教祖が亡くなってから、数百年後ってこともありますからね。

仏教も、後年となれば仏陀とは正反対の教えをする仏教の宗派も生まれていますよ。キリスト教と同じようですね。
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