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生存競争とは反する行為ですよね。

A 回答 (6件)

生物は「自己遺伝子の保存確率向上及び発展の為」に自己を犠牲にする場合があります。


それを踏まえれば遺伝子学的に言えば自己犠牲は自己遺伝子の生存戦略となるので遺伝子間の生存競争の一つとなります
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親が子を守るためとか、


恋人のどちらかが愛する者を守るためとかで
楯となり、代わりに死を選ぶ。

軍人が国民を守るために戦地に赴く。

刑事が庶民を守るために犯人の銃弾に倒れる。

こういうことでしょうか。

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属する種の維持、存続を図るため


と説明されています。

人間でいえば、国家の為に
死地におもむく、という感じです。
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生物を「遺伝子の乗り物」と思えば, 特に「自己犠牲」と「生存競争」とが相反するとも思えないよね.

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ミツバチはスズメバチに巣をよく襲われるそうですが、その時に体力的には全く歯が立たず、やられる一方なのですが、たくさんのミツバチが一匹のスズメバチを取り囲んで羽ばたき、体温を上げてスズメバチを熱死させるのです。

一死報いるのです。

そのミツバチの行為によって、スズメバチの攻撃がどれほど阻止されるかは分かりませんが、種の保存のための自己犠牲と言って間違いないと思います。

草食動物の群れは、ライオンなどの肉食獣に襲われますが、子どもや体力のない個体が大抵犠牲になります。
これは、ミツバチほど自己犠牲的には思えませんが、システム的に種の保存のための犠牲になっていると言えないだろうか?

人間は、知能が高く、形而上の概念を理解でき、複雑な感情と自己の哲学とか意志を持つ動物でありますから、高い理念から自己犠牲をすることができます。

このように生物は、種の生存のために個体が犠牲になることがままあります。
このような生態が、学問上どのような論文としてまとめられているかは知りませんが、自己犠牲は種の生存競争の為に行われていると結論していいと思います。
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蜘蛛か何かの虫の生態で、子供に自分を食べさせて育てる生き物がいたのを思い出します。



種の生き残りという意味での生存競争においてはありなのでしょう。

あと、子鹿を守るために自らワニの餌になった母鹿の動画を見たことがあります。
生存競争とは犠牲をも厭わない無慈悲なものなのでしょう。

ここからは生物学の話から逸脱します。
人間の話だと、キリストは人類の罪を肩代わりして犠牲になったとされますが、その犠牲が人類の生き残りに貢献したのかどうかは分かりません。宗教上の思い込みとも言えるし、一方で、確かに博愛を具現したのだと見ることもできます。
ただ、博愛精神や自己犠牲の精神を流布したせいで、支配者に都合よく使われた経緯があり、キリスト教の救いの有効性とは?と疑問を持ってしまいます。

愛とは自己犠牲か?母鹿の行為は母性愛だとは思いますが、キリストの愛も、人類に対する母性愛のようなものだったのでしょうか。

世界各地で人柱などの行為が行われていた歴史を見ても、供物、犠に値するもの、立派な人や家畜などには高い価値があり、神々との交渉が可能になると思われていたのでしょう。
闇とは音(ね=子)の国のこと。光のない世界では、また異なる精神世界が広く存在していたのだし、いまも背後にあるのだと思われます。

より現実的な話でゆくと、軍事などでは囮が使われることはおそらくざらにあって、捨て石や犠牲によって全体を勝利に導くという戦法は散見されると思います。
個々の幸せか、全体の幸せか、大きな思惑の潮流が二種ある中で上手く立ち回るべきなのでしょう。
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