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どうして、七夕はロマンチックなものとされてるんでしょうか?
僕個人として結婚したとたん2人そろってニートになるようなバカ夫婦に対して同情する余地は1ミリもないと思うのですが。

A 回答 (4件)

仕事をさぼるようになったとはいえ、愛しあう者が引き裂かれ、1年にたった1日しか会えなくなったということなんでしょう。


反省して仕事をきちんとするようになったら、一緒にしてあげたら良いと思うのは甘いでしょうか。

なお、このふたりはれっきとした夫婦ですね。

七夕伝説
https://www.astroarts.co.jp/special/2012tanabata …
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この回答へのお礼

うーん、自分が厳しすぎるかもしれませんね(^◇^;)

お礼日時:2022/06/30 08:58

七夕とは、織姫(おりひめ)さまと彦星(ひこぼし)さまが天の川を渡って、1年に1度だけ出会える7月7日の夜のこと。

短冊に願い事を書いて、笹竹に飾り付けます。

「雨が降ると天の川が渡れない」ともいわれて、てるてる坊主をつるした人も多いのでは。かつては旧暦の7月7日だったので、現在でいうところの8月上旬~下旬ごろ。昔は晴天率の高い行事だったのです。


月の動きに基づく旧暦では、7日は必ず半月。その月も22~23時ごろには西に沈むため(※地方により多少時間がずれます)、夜半には天の川がよく見える日だったようです。

新暦の現在では、7月7日は日本の多くが梅雨のさなかですね。すごくざっくり平均すると、晴れる確率は3割ぐらいです。でも、東海地方や山口県などには、「雨が降った方が縁起がいい」という言い伝えも残っています。


七夕の歴史・由来

七夕のお話は、中国古代の民間伝承がもとになっています。織姫と彦星は、中国風だと織女(しょくじょ)、牽牛(けんぎゅう)。ちなみに韓国やベトナムにも七夕があります。

日本には、奈良時代に宮中儀式として伝わり、織姫が機(はた)織りの上手な働き者だった…という内容から、手芸や裁縫の上達を願う風習につながりました。星に願い事をする原型はここから始まっています。

時代が下って江戸時代になると、七夕は「五節句」の一つとされ、幕府公式の祝日でした。寺子屋などでは紙の短冊に願い事を書き、読み書きの上達を願ったようです。
鳥居清長が1795年ごろ描いた浮世絵には、いろんな形の短冊が描かれていますね。

ちなみに七夕と書いて「たなばた」と読むのは、日本では古来、神事などに使う高貴な布を織る行為をたなばた(棚機)と呼んでいたため。本来なら「しちせき」と読む外来語に、「たなばた」という大和言葉を当てたようです(他にも諸説あります)。


織姫と彦星の伝説

国を超えて広く伝わる織姫と彦星のお話には、いろんなバリエーションがありますが、以下の内容はほぼ共通しています。

天帝(神様)の娘である織女は、機織りが上手で働き者の女性。天帝は、同じく働き者で牛飼いの牽牛と引き合わせました。二人はひと目で恋に落ち、結婚しました。

ところが結婚すると遊んでばかりで、働かなくなるという結果に。怒った天帝は二人を天の川の両岸に引き離しましたが、織女が泣いて悲しんだため、年に1度、七夕の夜にだけ会うことを許すようになった…というあらすじです。

ちなみに、織女星(しょくじょせい)はこと座のベガ、牽牛星(けんぎゅうせい)はわし座のアルタイル。どちらも1等星で明るい星です。

日本では7月上旬から見えやすくなり、9月上旬ぐらいまでよく観察できます。七夕のころだと、20~22時ごろ、東の空の下の方に見え始めます。はくちょう座のデネブを加えて、「夏の大三角」とも呼ばれています。

農業に適した季節になると明るくなるので、農業や養蚕などをつかさどる星と考えられました。もっとも観察しやすいのは8月上旬で、やはり旧暦の七夕のころ。

そんな旧暦の七夕を、国立天文台は「伝統的七夕」と呼んで毎年公表しています。
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ニートにはなってないですよ


仕事サボって夫婦生活に勤しみ過ぎてたけど、無職にはなってないですから

離れ離れになってからも年イチ会える日まではそれぞれ酪農と機織り業の職務を真面目に果たしてることになってます

真面目に働く別居婚夫婦が年イチで会えるから、浮かれまくって下々の願いまで叶えてくれるんです
めちゃめちゃロマンチックですね 笑
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結婚したんでしたっけ…?

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