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中国の歴史上、「大航海」みたいなことをやったのは、なんで鄭和だけだったんでしょうか?

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A 回答 (5件)

#1さんの言う通りなのですが、少し補足すると「当時、中国は豊かな国だったから」です。



現代人は清国の滅亡と毛沢東による文革とその結果の飢餓を「中国の姿」としてみていて「ようやく最近経済が伸びてきている」と思っていますが、実は歴史のほとんどの期間で非常に豊かな国でした。

それに対してヨーロッパは歴史を通じてそれほど豊かな時代はなく、特に大航海時代の直前は元の侵攻による疲弊と、モンゴル人が持ち込んだとされる黒死病でヨーロッパの人口の1/3が犠牲になったと言われています。

つまり大航海時代の直前は無茶苦茶貧乏だったわけです。
その後、パンデミックも収まり地球の気候も改善して農業生産が復活したため、ヨーロッパの人口は急激に増え、しかし今度は急激に人口が増えすぎて食料生産などの富が足りなくなってまた貧乏になりました。

これを解決したのが大航海で、中国や東南アジアの富を直接取引することで大儲けすることを考えて始まったのです。
 当時すでに陸路のシルクロードは途中のアラブ人への通行料や宿泊代などで、比較的安全ではあるものの利益がほとんどでなかったからです。

特に農家の3男以下は農地もなければ仕事もないので、船員になることで「死んでも元々生きる場所がないからOK、もし帰ってこれれば大金持ち」という一発逆転がありえたので、こぞって船に乗ってアジアを目指したのです。

中国にはそういう事情は無かったので、わざわざ海に出る必要もなく、なにより「危険に見合うだけの利益を上げられる渡航先」がありませんでした。

だから、ヨーロッパ人以外は大航海をしなかったのです。
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この回答へのお礼

大変興味深いご解説の数々、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2022/07/06 23:59

こんにちは。

おもしろい質問ですね。 ちょっと逆説的ですが、次のような回答はいかがでしょう。
実のところ、ある時代までは船舶の建造も航海術も中国のほうが上だったようですが、確かに大航海は鄭和だけ。むしろ 逆に言えば、なぜ、欧州は危険を冒して大航海に乗り出したのかという点に目を向けると・・・
「実際に欲しいものが存在し、その産地が示されたのに、通常のルートでは邪魔がはいっていたから。」でしょうか。

欲しいものと産地・・・香辛料と金、産地は東の国(アジア)ですね。 肉食が多かった欧州に、肉の味を(腐敗臭の防止を含めて)劇的に改善する香辛料がアジアからもたらされた。 また、アジアの来訪者が持参する金は(実際には極端に多いわけではないが)、「黄金の国」の幻想を抱かせた。
邪魔・・・イスラム圏ですね。勝手に通行することは許してくれず、また、彼らから買う場合には高額な値をつけられた。 (砂漠があることだけでも大きな障壁でもあります)

この結果、「何とかしてイスラム圏を通らずに、香辛料や金を手に入れれば、儲かる」ことが極めて現実的な目標として 提示できたからといえるでしょう。
(コロンブスやマゼランの冒険心は物語になりますが、彼らに膨大な費用を支弁した出資者は儲かることしか考えていない 笑)

 一方、中国から見ると、西の国の人たちは確かに多少の工芸品を持って来たでしょうが、何かを欲しがるだけで金もろくに持ってこないし、多少の知識はあってもキリスト教による「科学の暗黒時代」でもあって科学的にも魅力的なものは少なかったので、頑張って西の国を目指す必要が なかった・・・というところでしょうか。 (むしろ、キリスト教の持つ強い布教意欲は、欧州側の航海の意欲にはつながったでしょうが、アジア側は警戒心にしかならない)

さてさて、いかがでしょうか。 ご参考になれば幸いです。
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中国人は、中国のことを水の国と評していた。


それだけ水が豊かで広大な農業用地を持っていたということです。
わざわざ新天地を求めて遠方に出かける必要はなく、出かけたいと思うほど遠方に魅力的な土地がなかったということでもあるでしょう。

鄭和の大航海は、鄭和自身の思惑がどうであったかは別として、遠方にも中国の威を広めることが第一目的として皇帝が認めたものです。
具体的には、朝貢国を拡大することになります。

しかし朝貢貿易はご存じの通り、朝貢国が中国の威に服する代わりに、中国側が朝貢国に利を与えるという形ですから、中国にとっては経済的負担が大きいものです。

だから鄭和以後に莫大な財政を使ってでも大航海しようという者はいなかった。
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必要なかったからだと思います。


中国は古代から運河が整備されていて、黄河や揚子江も含めて河川の交通は発展していましたので、この造船技術や運航技術は発展していたと思います。日本も恩恵を受けています。いわゆる和船、櫓漕ぎ船です。

しかし、東シナ海などの外洋航海ができる造船技術や航海術は発展しておらず、もっぱら陸のシルクロードが発展していましたが、これらを必要としたのはヨーロッパや西アジアの人々でした。

唐の時代は、ヨーロッパや西アジアの諸国が唐の文化や技術を求めて来訪しており、イスラムの人々の中には、陸路と比較して大量輸送が可能な船を使って、一発儲けようと考えていた人々もいたようです。

鄭和が大航海をやったのは、イスラム教徒という特殊性があったからではないかと思います。
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中国は広大な土地がありましたから、特に海に出て行く必要がなかったのですよ。



ヨーロッパでは狭い土地に多くの国家がひしめきあっていたため、ヨーロッパ以外に出て行かざるをえなかったのです。
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