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なぜ言論の自由はあるのに暴力の自由はないの?

A 回答 (36件中1~10件)

そもそも自由という概念は暴力にあがなうために


人が作ったものだからです。

原則論なのです。
自由とは、「原則、【自らの意思に由って】なにをしてもいい。
ただし、他人を【暴力】で傷つけない限り」というものなのです。

よって、言論を用いても、相手を傷つけるようであれば、
これは言論の自由の枠を原則論として逸脱し、暴力と呼んでこれを禁じています。

それを、誹謗中傷といいます。
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秩序を保った上で多様性を認めると言った社会を目指しているからです。

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言論が暴力そのものです。

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あるよー


気に入らないならぶんなぐっちゃえ~
ムカついたらけりとばせ~
でもでも相手が怪我したり死んだりしたら
責任取れよ
それが自由の代償だろ
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暴力の自由と言うのは存在しています。


気が付かないだけです。
特に顕著なのは「苛め」「虐待」「DV」などです。

言論や暴力に関わらず、自由とは何かを考えないと行けません。
理由がどうであろうと、やってはいけない事と言うのがあります。
他の人が嫌がったり、社会全体の生産性が下げたりする場合です。
私たちの命は自分だけのものではありません。
当然、他の方の体を傷つけてはいけませんよね。

何であろうと、
社会全体の生産性が下がらないという保証があり、相手の方も嫌
がらず、命の危険もなく、体も負傷しない、他の人に財産を損な
わないようなものであれば、その条件の範囲で自由があると思い
ます。

言論においても同様です。
社会全体の生産性が下がらないという保証があり、聞く人が嫌が
らず、命の危険もなく、体も負傷しない、他の人の財産を損なわ
ないようなものであれば、その条件の範囲で自由があると思いま
す。なので「言論」の場合は条件を満たし易いというだけであり、
これについては税金を使って取り締まるべきではないという結論
ですね。

凄く当たり前のことなんですが、日本でも取り締まりをしていた
時期がありますし、そうしている国もあります。自由な言論によ
り、社会全体の生産性が下がってしまう国では税金を使って取り
締まるべきでしょう。その場合は言論を自由に行う人は反社会的
思想を持つ人となります。社会の都合はそれぞれという訳です。

暴力については条件を満たさないものが多く、条件の範囲をはみ
出した部分については税金をつかって取り締まるという訳です。
しかし、自衛のために反撃をすることが許されている国が多いで
すよ。米国などは銃を使って身を守ることが認められています。

かなり昔ですが日本人留学生が米国で射殺された事件がありまし
た。この哀しい暴力を使った人は善良な市民。自衛のために銃を
所持しており、庭に無断で侵入した当該少年を射殺しました。
この方は少年に殺されると思ったそうで、正当防衛を主張しまし
た。そして無罪になりました。勿論、少年は何の凶器ももってお
らず、危害を加える積りは無かったのだと後で分かりました。

裁判では殺された少年が「ちゃんと嫌がったのか?」というとこ
ろが争点になったようです。この表現は変ですけど。つまり、撃
たないで欲しいという意思表示が分かり辛かったようなんです。

ですのでさきほどの条件を満たしているかどうかがとても重要で
あり、条件を満たしてしまうと暴力を使うか否かは当事者の自由
に成っています。

「条件の範囲内において暴力であっても自由である」

クリミア紛争のときウクライナの抵抗は弱かった。ロシアをうけ
いれている雰囲気があったので他国も迷ったんです。今回のウク
ライナ侵攻はウクライナの抵抗が明確であったので、この暴力に
関しては自由にさせないという結論になっています。

では苛めなどはどうなるでしょうか?

苛めの場合は暴力の自由の範囲にはいってしまい、取り締まりが
難しいんです。いじめられている本人が嫌がっている事を周囲に
訴えれば解決しやすいです。この場合は、言葉であれ腕力であれ、
暴力を振るっている方を取り締まれます。

しかし、許容している様に誤解されてしまうと大変です。
DVなども同様ですね。幼児虐待もそうです。

これらは被害者の身体が傷ついたり、命を落としたりした時に
はじめて条件の範囲を超えます。
そこで発見されるというわけです。

また、苛めの場合は被害者が社会で活動できなくなり、社会全体
の生産性を下げてしまう結果に繋がり易いです。これは社会全体
で酷くなってから発見されるという訳です(別の条件に該当)

苛めは世界中で暴力の自由として行われており、問題になってい
ます。こうした部分に強く反応し、取り締まるべきであると思う
人も多数います。しかし本人の意思表示に問題があり、これまで
の条件を踏襲するべきであると主張する人も少なくないのです。

皮肉なことに、
この議論は言論の自由により保証されてしまっています。
結論を出さずに言論として扱われてしまっているんです。
これが言論の自由の弊害(知的な思考実験として扱われ社会問題
として解決しようとする意思が働かない)です。
これが悪く働き、被害者の数が減らないですし、被害者をケアし、
社会的な補償(お金などを配る)もありません。

これに怒りを感じている人が今回のウクライナ侵攻に対して過敏
に反応している様に思います。また、安部元首相の暗殺に関して
も同じ主張の人が(簡単に言えば苛め反対派)怒りをあらわにし
ているのでしょう。

今回のウクライナ侵攻や安部元首相暗殺について、さかんに言論
の自由が活用されています。私はこれこそおかしいと思います。
そうした文化がある限り、苛め問題や虐待についてまともに議論
をされることは永遠にこないでしょう。

何故かと言うと、

「人が死ぬ戦争の様なものが言論の場のネタになっている」

からです。
こんなものは「悪いに決まっているだろ」で議論せずに先に進む
くらいキッパリとしていないと、苛めのような「暴力の自由」を
阻止できないでしょう。

同様に、苛めにより不利な人生を送った人についてもまともに補
償されることは無いでしょう。

ご質問にある暴力の自由がないというのは勘違いです。
条件の範囲内で自由に行われています。

このサイトでも、

「私を苛めた人達が、そのことをすっかり忘れて、幸せに暮らし
 ているかと思うと、悔しくて可笑しくなりそうです」

と相談する人が結構います。

同情する人も多いと思いますし。苛めを行った人には怒りを感じ
ます。しかし、この人がウクライナ侵攻については問題に感じな
いと言えば、誰もかれもが興味を失うでしょう。
暴力の自由を認めてしまっているからです。

どちらの議論も「暴力の自由」をどこまで許容するかと言う話に
なります。自分だけケアして欲しいというのはさすがに説得力が
ないです。

結果として、
それぞれの人に対してそれぞれの考え方で応じるというのが妥当
な運用です。

他への暴力に対して「理由がどうあろうと力による解決を実施し
た人は処罰されるべき」と言う人が苛めにあっていたら、私たち
は守るべきです。

他への暴力に対して「暴力を振るう側にも事情があり、悪と決め
つけるべきではない」と言う人が苛めにあっていたら、私たちは
その論法をそのまま当人へ返すのだと思います。

私たちには味方をする自由と言うのがあり、味方をする人を選ぶ
方法として「義」(道徳の五常の義)があります。当人の在り方
に一貫性を持たせ、矛盾をしないようにするわけです。

同じ苛めの被害者であっても、本人の考えや主張するものに合わ
せて、守るか否かを決める。これを正義といいます。

自然な成り行きで、

「暴力は何であろうと反対である」

と言う人が元気をなくしていたら、

「何かあったのか? 隠さず話せ」

と心配して聞き出すでしょう。

しかし、

「所詮暴力はある。力こそ正義ってか?
 そんな糞みたいな社会で、綺麗ごとを言っている奴はくたばれ
 はいいんだよ。
 ‥‥俺なんか…」

「いやいい。聞きたくない。何があったか知らない。
 だけど今いってる事は暴力の自由を認めている事に成る。
 今現在の、その罪に対して罰が前払いされただけだろ?
 僕はそう考える。だから話さないでいい。
 君がどう辛かったかはもう聞きたくない。
 今の君の言動により、過去にあった事は、たった今、
 正義となったんだよ」

となるでしょう。

私は過去に6回ほど苛めにあったことがあります。
当時の自分はよく頑張ったと思いますし褒めてあげたい。
そして苛めという「暴力の自由」を行使する人は許せません。
だからこそ、ウクライナ侵攻や安部元総理の暗殺は許せません。
それを認めれば、私が受けた暴力の自由と同じ考えを認める事に
成ります。

それでは過去の自分があまりにも可哀そうです。
私は苛めに加担した人を擁護しなければならなくなります。
私の方が悪かったのだと言わなければ行けなくなるからです。

私たちは誰もが多かれ少なかれ暴力の自由に触れています。
言論の自由を行使する時は、暴力の自由を認めるような発言は控
えるべきでしょう。

以上、ご参考になれば。
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いいかい、むかしはそうだったけど


「せんそう」という おそろしいものがおこって
それをみんながいけないとおもったから
「ぼうりょく」はみとめられなくなったんだ
わかったかい?ぼうず
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匿名だからよいものの、もしそうでなかったら。


真っ先のその洗礼を受けるのは、自分だろう・・とは考えられませんか。
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暑いから頭が煮えてないか?暴力と、核恫喝威嚇拘束殺戮監視に自由はない!ロシア北朝鮮中国シリア等に自由は御座いませんね!

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侮辱(ぶじょく)とか、音声は、耳の鼓膜で測るものであって、なかなか、基準化出来ない、そんなところもあるのかもしれないですね。

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暴力の自由だってありますよ。


その代わり逮捕の自由、裁判の自由、処罰の自由も認めましょう。
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