私があるヒトと話していたら、
心理学と哲学の違いの話になりました。
彼は、【心理学は心理を求め、哲学は真理を探究するもの】と言っていましたが、
それは、簡単に言うとどういう違いでしょう?
できれば具体例も混ぜて教えてください。

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A 回答 (10件)

心は身勝手だ.



しかし己のその心理を知るから

人を理解する.

人も同じようであると.

それを超えたところに

真実がある.


超えるとはどういうことか.




 
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心理を離れたところに



真理がある.

 
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他の方の回答が興味深いので勝手に補足しちゃいますね(笑)



No.6のご回答で
>哲学が真理の探究だとするとすべての学問は哲学に含まれるということになってしまうので、

 とありますが、そのとおりなんですね。
「全ての学問はアリストテレスにつけられた注釈に
過ぎない」と言う人もいるくらいです。
 日本の大学で学位をとると、理学博士(物理)
みたいに分野の名前をつけることになっている
みたいなんですが、アメリカやヨーロッパだと
物理の分野だろうと機械、電気のような工学の
分野だろうと、文学の分野だろうと、学位の
名前は「哲学博士」となるんです。
 学校で教えてもらって普段よく使う思考
方法は全て古代ギリシャの哲学の思考方法です。
 いちいちこれは哲学の思考方法ですと断って
教えられるわけじゃないんで、気がつかないだけ
です。

 高校の数学の教科書があったら見てみると
わかるのですが、数学的帰納法という
証明方法があります。
 数学的じゃない帰納法って何?って
思うかもしれませんが、哲学で使われる
帰納法という証明方法を数式の証明に
限定して使っているんですね。


あとNo.7のご回答で
>宗教家だって結局のところ哲学の探求者です。

 とありますが、宗教と哲学、その哲学の
分野の一部である現代科学は日本では
ときにごちゃまぜにされてしまう傾向に
あります。
 これは日本の学校の勉強が、式や単語を覚えると
いう作業が中心で、それらを覚えた人、
つまり先生の教えを信じた人だけが救われる
宗教となっているからですが、本当は
大きく違うものです。

 宗教は、教えを信じる「信仰」が基本
であるのに対して、哲学は人間の「理性」
を基本としていて、さらに言うとその理性も
信じてはいないわけです。

 日本では哲学の1分野とされている「形而上学」
英語でメタ・フジックスといいますが、
このメタ・フジックスの項目の1つ前が
フジックス(自然哲学)が、現在日本では
物理学と呼ばれているんです。
 和訳に哲学という言葉が抜けて広がった
ので、哲学の1分野と気付きにくいだけです。

 


 
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No.3です。




>でも、両方とも
>個性?というか、他とは違う、
>なにか心に引っかかるような時に
>生まれるモノだということですよね?

でも、二つだけの共通点ではないですよね。
あらゆる学問はその何かひっかかるものに興味を惹かれた人が、探求してその分野の学問を深めていく。

他の方との話しでだんだん二つの差異が明確化されてきたようですが、心理学は人間以外はターゲットにしない。
(といってもペットの心を明らかにしようという人たちもいますが)

哲学はあらゆる学問が導入されており、それでは足らないと思ったら別の新しい学問も入れてこの謎を解こうと人類は挑戦すると思います。
いわば巨大なジグソーパズルに挑戦しているようなものです。


医学も科学も芸術も心理学も文学も主義も思想も、この世の真理を説こうとするとき必要だと思えたら総動員して、この世を解こうとする学問が哲学だと思います。

「科学者だって神を信じている。あの科学者は『神は』って言っているじゃないか。つまりいくら科学が発達しても、神はいる」ってよく引き合いに出されますが、その場合科学者が言っているのは、特定の宗教の神のことではなく、この世の真理の事なんですよね。
その時科学者は宗教をしているのでなく、哲学をしており、その哲学から導きだされる試行錯誤を科学の分野にも生かしているわけで。

宗教家だって結局のところ哲学の探求者です。


全ての人類の叡智をもってこの世のパズルを解こうとする学問が哲学だと思います。
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心理学と哲学は確かに同じ、もしくは哲学に心理学が含まれるとも言えるのではないかと私も思いますが、哲学が真理の探究だとするとすべての学問は哲学に含まれるということになってしまうので、やっぱり哲学と心理学は元は同じでも違うと私も思いますね。



それはきっとどちらも真理の探究という点では同じですが学問という観点で考えれば対象が違うし、(哲学も心について考えますが)そのアプローチの仕方に違いがあるのではないでしょうか。心理学に関しては哲学より、実験結果や数値を使ってアプローチすると思いますし、哲学は実験さえできないような事柄に対して思考で真理に近づく(もちろん真理の対象による)などといったとこが違いでしょうか。
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>彼は、【心理学は心理を求め、哲学は真理を探究するもの】と言っていましたが



 その彼、きっとバカです(笑) 

心理学はPhychologyまたはMental Philosophy
(こころの哲学)ということ言葉に
日本人の西周(にし あまね)という人が
つけた訳語です。
 Phychologyという言葉は、古代ギリシャの
Psyche(プシュケー)<魂>という言葉から
来ており、ひろく心を研究する哲学のこと
です。

哲学もいろいろあるわけですが、その範囲は
「存在論」「認識論」「人生論」
にわたるので、心をどう認識していいのか、
どうゆう存在か、また心は世界をどう
認識しているのか?ということを考える
とき哲学は現在の心理学の範囲に踏み込むわけですが、
根本的には同じものです。少なくとも古代ギリシャでは
哲学者たちが心理学について語っていました。


 古代ギリシャのアリストテレスなどは、
心はエネルギーの一種か?何か結論的な
ことは言えないが、人間の行動の原因だ
などと言う議論をしていたわけです。
 また心はどこにあるのか?という議論で、
恋をすると心臓がどきどきするので、
心は心臓にあるという話が出てきたわけです。
 動物に心はあるのかという議論も多くあり、
これが現在、動物と人間の行動を比較する
「比較心理学」といった分野に成長して
いるわけです。子供を守ったり、仲間を
助けたりと、他の動物にも人間同様の
心があると思われる証拠が沢山あるわけ
ですが、人間と似たような反応をして
いるだけで心などないという議論もある
わけです。

 ただ現在の心理学は、19世紀あたりから
医学、生理学の知識が応用されはじめて
専門化しているので、別物のように勘違い
する人がいるということだと思います。

 ですから★心理は心の真理のことと言って
いいと思います。

 ★真理というのは、●事実と人間の■認識が一致した
ことがらを示します。

(真理の例)
 同じ時間でも場所により太陽の見える
角度が違う。遠くから来る船は、まずは高い
マストの部分から見え始める・・・
といったころから、地球は丸いのでは
ないかという■認識があったのですが、
一方では海の彼方は滝になっていると
いう■認識を持っている人もいたわけです。

 マゼランが世界一周航海に成功したり
アポロ計画では、月面で丸い地球が
ぽっかり浮かんでいる写真が撮影
されるなどして、地球が丸いと
いう●事実が人間の認識とは
別に客観的に証明されたので、
ここで認識=事実となり、地球が
丸いということが★真理となった
わけです。

>哲学は真理を探究するもの
 
 哲学では、真理そのものを疑います。
事実を確認するとき、人間の認識や
信仰といった部分をできる限り
排除して、理性を持って判断する
わけですが、理性や人間の認識力に
限界があるのではと多くの哲学者が
考え議論をしているんです。
 このあたり18世紀のイマヌエル・カント
という人の「純粋理性批判」といった
著書が有名です。


 地球が丸いという話で行くと、
宇宙から見た地球の映像には
地球の全体が一度に映っている
わけではないし(裏が見えません)、地球の存在
そのものを確認しているのではなく、
太陽光が当たって跳ね返ってきた
★光だけを観測しているに
過ぎません。
 跳ね返ってきた光という現象を捉えて
いるだけで、本当は地球は立方体なのに、
重力の影響で光が歪み、離れて
見ると丸く見えているだけかもしれ
ないわけです。

 つまり真理(事実=認識)が確認されても
それすら疑っているわけです。
 
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この回答へのお礼

>心理学はPhychologyまたはMental Philosophy
(こころの哲学)ということ言葉に
日本人の西周(にし あまね)という人が
つけた訳語です。

じゃぁ心理学も哲学の一種だと言うことなんですか?!
知りませんでした( ; ゜Д゜)

>ですから★心理は心の真理のことと言って
いいと思います。

>★真理というのは、●事実と人間の■認識が一致した
ことがらを示します。

具体例を読んでいて、凄くよくわかりました^^

>哲学では、真理そのものを疑います。

>真理(事実=認識)が確認されても
それすら疑っているわけです。

やっぱり具体例を読んでいて、よくわかりました。
心理学と哲学ではやはり違う感じがしてきました。
自分の中でなんとなく【哲学の定義】みたいなものが
出来てきた気がします。

お礼日時:2005/04/03 13:11

心理学は人とか心。

まんまですけど。
哲学は世界とかもっと大きなもの。

偏見交じりかもしれません。あた。

例えば人はウソをつくとき、ちょっと気まずいな、って思います。でも、思わない人もいます。平気でうそをつく人とか。
何故だろう。どうして人はウソを吐くと気まずくなるのか。また、気まずくならないのか。
どうした人はそういう感情になってしまうんだろう。
そう考えるのが心理学。

人がうそをつく。ウソをついて、それがまかり通るなら、そのウソは真実なのか。
人はウソをついて気まずくなる。ウソが真実じゃないと知っているから。なのでその人がついたウソは真実ではない。
だったら、平気でウソをつく、気まずくならない人が吐いたウソは真実か?
そう考えるのが哲学。

ちょっと違うかな?
多分こんな感じだと思うんですけれど。
ちなみに僕はウソとつくと気まずくなります。ときどき平気。(関係ない)(苦笑)
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます^^
具体例が分りやすくて嬉しいです。

>どうして人はウソを吐くと気まずくなるのか。また、気まずくならないのか。
どうした人はそういう感情になってしまうんだろう。
そう考えるのが心理学。

納得です。
どういう状態のときどういうヒトがどういう心理になるのか、ってコトですかね?

>だったら、平気でウソをつく、気まずくならない人が吐いたウソは真実か?

哲学は決して一人の人間に的を絞るのではない
という意味でしょうか??

【哲学は世界とかもっと大きなもの。】

と仰られているので。

お礼日時:2005/04/03 13:03

確か原始宗教から哲学が派生して、その後心理学も派生したので、いわば兄弟みたいなものですが、私が思うには、



    『心理学はターゲットは人間』

そのターゲットは善人っぽい人ではない。
善人っぽい人をどうしてこうも人がいいのだろうと探求したりしない。
変 と思える人の因果律を探ろうとする。
基準は自分から見て変な人が対象。(自分も含む)
「あの人変」と思って目がターゲットから離せなくなったとき、自分を納得させ平常心に戻そうとするとき、因果を考える学問なんじゃないかと。
ただ、小説とか文学に限りなく近い気がします。
例えば知的障害者に心を痛めた人が、それから脱出するためにどう考えたらいいのかとなったとき「アルジャーノンに花束を」という物語が誕生するかもしれない。
相手のあるがままを受け入れたとき、心は乱されなくなるかもしれない。
相手の個性の否定から相手の個性の受容へと変化したときこの物語はendになる。
中には次の主人公探しをし、ネバーエンディングしようとする人もいるかもしれないけど、それは興味対象が人間という個性の持つ主だからだと思う。
人によって興味を示すターゲットは違うし。





    『哲学のターゲットはこの世』

先駆者の考えた思想に同調したらそこで終わり。
「ちょっと待った それおかしくないか」と思ったとき、哲学は生まれる。

先日もう一度ソフィーの世界という本を読んだけど、やっぱり心理学とは全然違うと思いました。
なんというか思想みたいなもの。
この世は一体なんなのか というものを追及する学問。
そこの一部に「人間とは」がポチって入っているけど、人間を知ればこの世の仕組みがわかる という学問じゃあない。


って曖昧ですいません。
でも母体は一緒でも全然違う学問だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます^^
>『心理学はターゲットは人間』

>『哲学のターゲットはこの世』

ということで。
でも、両方とも
個性?というか、他とは違う、
なにか心に引っかかるような時に
生まれるモノだということですよね?

お礼日時:2005/04/03 12:58

認識には主体と客体があります。

簡単に言うと心理学は客体を扱うのではないでしょうか。一方、哲学は主体を扱うものだと考えています。しかし主体は認識の対象にならないから客体にはなり得ないわけで,このままでは何もできませんから、主体を客体と見ようとすると,哲学も心理学の一種にならざるを得ないと思います。一方心理学のほうもも認識不可能な主体が原因で起こることを扱えないことに気がつけば、哲学をやらなくてはならなくなってしまうというようなことではないですか。真理と心理という二つの言葉は、語路合せのようですが,ほぼ主体と客体に対応しているようにも思えます。
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この回答へのお礼

主体と客体ですか。。
心理学は主体の認識・行為などの対象となるものを扱って
哲学は自覚や意志に基づいて行動したり作用を他に及ぼしたりするものを扱うと言うことでしょうか。

心理学と哲学もある種、対応しているのですね^^

お礼日時:2005/04/03 12:53

「心理」というのは心の働きとか精神状態のことを言います。


つまり心理学というのは心の働きとか精神状態を科学的に
説明していこうという学問ですね。

一方「真理」というのは真実で永遠不変の道理という意味
になります。
哲学というのは世界・人生などの根本原理を追求する学問です。
「人は何故働くのか」の理由そのものついて思考によって真実を突き止めようとするのが哲学で、
心理学は実際働くときの人間の精神状態や、働く動機などを科学的に実験して心のありようを探るということですかね。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます^^

>哲学というのは世界・人生などの根本原理を追求する学問です。
「人は何故働くのか」の理由そのものついて思考によって真実を突き止めようとするのが哲学で、
心理学は実際働くときの人間の精神状態や、働く動機などを科学的に実験して心のありようを探る

なるほど~。
なにか、難しくとらえすぎていたかも知れません(;´Д`)
哲学の定義がなかなか頭の中で成り立っていないんで、
よくわからなかったのかもしれません;

お礼日時:2005/04/03 12:48

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海外では当り前だったそれがやっと日本でも認可されるようになったのです。
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http://www.carsensor.net/CSphoto/cat/IS/S009/IS_S009_F001_M001_1_L.jpg
http://www.goo-net.com/carphoto/10601005_198912.jpg

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>先日久し振りにフェンダーミラーの国産車を見かけました。

タクシー仕様車を個人で使用しているか、オプション設定でフェンダーミラーを取り付けたかですね。

>あの当時フェンダーミラーでも全く不都合は感じていませんでしたが

確かに、後方確認はドアミラーよりもフェンダーミラーの方が便利で楽チンです。
また、車幅を抑える事が出来るので「フロントフェンダー部分が通過できれば、その車両は確実に通過可能」です。
ですから、タクシー仕様車とかは今でもフェンダーミラーが多いのです。

>ドアミラーがフェンダーミラーに取って代わるほどのメリットって何だったのでしょう?

単純に、外圧です。
国産車にドアミラーが認められていなかった時代でも、外車は標準でドアミラーでしたよね。
黒船に弱い日本ですから、貿易障害問題にならないように「例外的に、外車はドアミラーを認める」事になったのです。
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国産車でも、輸出用はドアミラーです。
自動車メーカーとしては、同じ車種で「国内向け=フェンダーミラー。輸出用=ドアミラー」と製造ラインを別ける必要が生じます。
また、ミラーの発注も別々に行なう必要がありますよね。
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>先日久し振りにフェンダーミラーの国産車を見かけました。

タクシー仕様車を個人で使用しているか、オプション設定でフェンダーミラーを取り付けたかですね。

>あの当時フェンダーミラーでも全く不都合は感じていませんでしたが

確かに、後方確認はドアミラーよりもフェンダーミラーの方が便利で楽チンです。
また、車幅を抑える事が出来るので「フロントフェンダー部分が通過できれば、その車両は確実に通過可能」です。
ですから、タクシー仕様車とかは今でもフェンダーミラーが多いのです。

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(2)どこかで問いを辞めてそこに根本規範を求める「恣意的中断」
(3)問いを進めるうちに理論が循環してしまう「循環論法」
のどれかに陥ってしまうという問題です。

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これらの車はフェンダーミラーが標準装備です。

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一応、注文すれば装着はできるのです。

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在るものをあるがままに見る者は、思惑愛好家ではなく、愛知者と呼ぶべきものではないかね。
とソクラテスが言った(とブラトンが「国家」に書いていました)
この、愛知者、知恵に執着する者、思惑愛好家、自己の心、思惑、に執着し、自己の心を脱せない者。
に対する、心でない、自己を度外視して、真実を見、掴もうとする、知恵、に執着する者、が
哲学者、(学舎、ではなく、哲学もの)となります。
哲学のスタ-トは、自己の思惑を否定し見直す事。心、を否定すること。なのです。
東洋の哲学、インドの釈迦の考え方、中国の「老子」の考え方は、さらにはっきりと。
自己の心に執着するのが、亡者であり、俗人、小人物、であり。
その対極が、菩薩(悟りを求める人)であり、賢人、なのです。
哲学にとって、心理、人の心、は、動物の心の延長であり、
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人間(の心)を厭え、人の心、から逃れよ。が釈迦の哲学の、スタ-ト、とも言えるのです。
猫には虎の心は解らない、というのがありますが。
ギリシャ哲学の、頂点、とも見れる。心、執着を滅した、樽の中の哲人、を。
デイオゲネス、コンプレックス。などと言う真理学者の言葉などは、まさに、猫には虎の心は理解出来ない。
ではないでしょうか。

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フロイト系の精神分析にしろ、ハブロフ系の生理学、にしろ、追い求めているのは、動物の心=行動。
なのです。それが結構当てはまる人間が多い、ことも事実でしょうが。
人間は思想によって作られる。思想によって、自らを構築するものなのです。
それには、動物の心は当てはまらない、理解するには、その人を構築している、思想、考え方、を理解するしかない。理解出来たなら、その人は心理学者ではなく、哲学者でしょう。
心、や心の機微を表現する、ニ-チェに言わせると、詩人にすぎぬ、阿呆に過ぎぬ、文学などでも、
最高峰とも言われる。芭蕉の
古池や、かわず飛び込む、水の音  という俳句に、心、が読み取れますか?

在るものをあるがままに見る者は、思惑愛好家ではなく、愛知者と呼ぶべきものではないかね。
とソクラテスが言った(とブラトンが「国家」に書いていました)
この、愛知者、知恵に執着する者、思惑愛好家、自己の心、思惑、に執着し、自己の心を脱せない者。
に対する、心でない、自己を度外視して、真実を見、掴もうとする、知恵、に執着する者、が
哲学者、(学舎、ではなく、哲学もの)となります。
哲学のスタ-トは、自己の思惑を否定し見直す事。心、を否定すること。なのです。
東洋の哲学、インドの釈迦の...続きを読む


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