こんばんは!

昔からもそうですが、最近ゲームとかドラマでよく死とか暴力が出てるじゃないですか
それって普通になってて、不倫もそうですが、それがあって当然という風になってると思うんですが
みなさんはどう思いますか?

というのも、死が正しいとか暴力が正しいとはありませんが
簡単に死や暴力が出てる気がするんです。
社会でもよく「死ね」とか平気で言う人や、特に子供が平気で「死」と言う言葉を使ってる
そのことに驚愕をおぼえるんですが。

私が子供の頃はやられたーとかやっつけろでした。
今は殺せーとか死んじゃったーとか。まぁ私の周りだけかもしれませんが。
死ねとかいう言葉は間違いなくよく聞きます。

そしてドラマでもよく死とか暴力が出てると思うんですが
どう思いますか?
私は死んだ人が生き返ると思ってる人が多いと聞いて、ちょっと怖いです。

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A 回答 (15件中1~10件)

 こんにちは


・「死ね」という言葉
 ドラマですよね。悪くないと思います。言葉だけでは気持ちは伝わりませんし。
・現実の暴力シーン
 実際に学校を取材して見たらどうでしょうか。もしくは、病院とか、警察とか、暴力がはびこっているところでしょうか。
・生き返る
 私も、これはいけない発想だと思います。死んだら生き返りません。万が一本気にして、乱暴な行為に及ぶ子供がいてはいけないですよね。

この回答への補足

みなさんすみません。急病で返事を書く余裕がなくなったのでまとめてお礼を書かせていただきます。

補足日時:2005/04/17 09:33
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この回答へのお礼

素晴らしいご意見の数々、本当にありがとうございました!

お礼日時:2005/04/17 09:35

今はみんな長生きをして、かつ、身近に死人を見ることがない(自宅での死、、etc)ので「死」を逆に特殊な事と捉えすぎているような気がします。



明らかに殺人事件や強盗、強姦等の凶悪犯罪は昔の方が多かった(昭和30年代がピーク)のは事実です。

今が安全な社会であるという認識があまりにも強すぎるので逆に、死に関して敏感になりすぎている側面も見逃せないと思います。
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#10 さんの参考URLを見て思い出しましたので、追加の参考資料です



長崎:児童生徒の「生と死」のイメージに関する意識調査について
http://www.pref.nagasaki.jp/cgi-local/koho_cgi/k …

痛ましい事件をうけて長崎の公立校で行われたアンケートの資料です。
読み進んでいき、答えた理由を見ると調査者とは異なる意図で回答をしている子供がいることがわかります。
これを見る限りにおいては、子供たちはマスメディアで言われているより健全な気がします。


「死を通して生を考える教育」の重要性
http://momi.jwu.ac.jp/jidou/nakamura/kyouiku_9.h …

上のものとは別の調査に関する資料。
テレビゲームと死生観の調査結果が「今回の調査では最初の仮説であるゲーム等と死の認識の間には直接の関係は見られなかったが、死の認識がこれまでとはかなり異なり、「生き返る」事があると考えている子どもが約1/3に見られているのは、極めて重視すべき結果と考えられた。」と考察されています。


サイコドクターぶらり旅(2005-01-26)
http://psychodoc.eek.jp/diary/?date=20050126

私がこれらの資料を知ったところです。
(つーか、上の2つはこのページからのリンク先)
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「死ね」を普段のコミュニケーションに使うことが、私や私の周りに浸透したのは、多分中学生の頃くらいだと思います。

もちろん、「死=生命が停止すること」ということは常識以前の知識になっている時期です。

どうしてわざわざ「死」という言葉を使うのか。少ない知見からの考察ですが、多分「ありえない」や「ハンパない」や「びみょー」のように、誰かがふいに言い出して、いつの間にか自分達の世代の共通言語のようになっていき、定着してしまったからではないでしょうか。

また、不謹慎な話ですが、「死」が笑いに結びつきやすい単語だということもあります。非日常の言葉なので、突然脈絡なく使われると、案外笑いに結びつくものなのです。私が前アルバイトしていた塾では、スタッフの人が何かの度に、「死にました」「死んでください」みたいなことを言って笑いをとっていました。聞きなれない人には、冗談にも聞こえないかもしれませんが・・・。

しかし、これらは単に言語文化の話で、子供達の生命観の危うさの話とは、本質的に違うかもしれませんね。

前出のURLの記事のことですが、このサイトの他の質問の所でもこのことが話題になっていました。ある回答者さんによると、このアンケートは「はい/いいえ」のどちらかに○をつける形で行われたもので、「死んだ人は生き返ると思うか はい/いいえ」という文面を見て、ばかばかしくて適当に○をつけた生徒も多いのでは、とのことでした。下記URLのNo.3の回答をご覧下さい。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1305699
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友人の言っていたことですが。


現実感が無いためにかえって気楽なのだそうです。
私も「死ね」とか「殺す」と言うのに違和感があって「憂さが晴れるまで殴る」とか「嘘だったら気が済むまで攻撃する。反撃するなとは言わないけど、反撃されたらもっと殴る。怪我はさせない」等と言うと、「かえって生々しいからいやだ」「むしろ殺すとか針千本とかの方がいい」と言っていました。
仮想現実に飛んでしまう人はいますけど、飛ばない人にとっては壁向こうの言葉に思えて、かえって聞き易いのでは?
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No.5で回答した者です。

私の場合、「死ねや!」をお決まりのツッコミのように使うのは、ずっと付き合ってきて腹の底まで気心が知れた親友との間だけです。コミュニケーションとして定着しているので、本気に受け取られるかも、という心配はまずありません。大阪の人は、「アホか!」と言われても、「自分は知的レベルの低い人間だと思われているんだろうか・・・」なんて悩んだりしませんよね。それと同じです。

言語感覚が「マヒしている」と言うよりは、「ズレてきている」のだと思います。他の方の回答を読んだり、こうして書きながら、やっぱり良くないかも、とも思います。しかし、「死ね」をよく使うというだけで、その人の生命観や人間性に問題がある、とは思ってほしくないのです。(ただ、集団で誰かに「死ね」と連呼したり、人のノートに「死ね」と書くといった、明らかに悪意のあるものは問題ですが・・・)

ところで、下記URLに、小中学生を対象として行われた「死んだ人は生き返ると思うか」のアンケートの詳細が載っています。
「死んだ人は生き返ると思うか」という聞き方のようなので、tiltilmitilさんの言うように、クリスチャンの生徒がいたら、生き返ると答えるのが当たり前かもしれません。しかし、それを差し引いても、驚きを覚えるアンケート結果ではあります。

参考URL:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050124-00000 …

この回答への補足

みなさん回答ありがとうございます!
中には何度も回答頂いた方もいて嬉しいです。
ちょっと今お礼を書く前に自分で色々考えている中であります。
ですのでもう少し締め切らずに待ちたいと思っています。

ちなみに私がイエスキリストが生き返るのは、明日今までと同じように生活ができるような
生き返るような物ではないと思います。
で、このアンケートは、私がどのように解釈しても
死んでも次の日からとは言いませんが、アンケートの時期からも考えて
次の日やまた近日中に同じ記憶を持ち、今まで通りの生活を行えると思っている人がいるのではないか?
と思ったんです。まぁあくまで私が思っただけですので
クリスチャンがいた可能性かなり高いとも考えられます。
例え半分が宗教的だとしても、あとの半分は怖くないですか?
私は一人でもこういう人がいると怖いと感じます。
ちょっと意見が一つの所に集中しそうなので私はこれ以上は言いませんが
なんというか「悪」という一括りにするのもまずいですが
そういう面がよりいっそう全面に出てきており、それが日常化され
当たり前のものとして教育されているような気がしてならないんです。
この教育は大人にも当てはまります。
そして善がいかにも悪ととらえられているような異常な感覚がします。

補足日時:2005/04/04 05:26
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この回答へのお礼

再回答ありがとうございます^^

特に批判してる訳ではないのを先に言わせてください。
私はすごく仲のいい友達によく「アホか!」と言われます。
私も友人も関西人です。しかし私は「アホ」とか「バカ」と言われるのが嫌です(笑)
嫌だって言ってるんですけど言ってくるんですね。
まぁ意思表示しても忘れちゃうこともあるし、意思表示できない人もいます。
そして24時間365日一緒にいる訳じゃないので、その時の心境や考えは全くさっぱりです。
まぁコミュニケーションの言葉として今まで使っていたので
私も嫌ですが気になりません。(ここが微妙なニュアンスです)
そういう風にお互いが密室で言うならいいですが、第三者がいればちょっと考えます。
なんというか何でコミュニケーションでバカとかアホとか死って言葉がでるんだろうと…?
使うには使うなりの理由があると思うので、周りに聞こえない場所ならばいいと思いますし
真っ正面から批判するつもりもありません。

ただ、なぜそういう言葉がでるんだろうと…。
他に「よぉ」とか「まじかよ~」とか「ちょっ!!!ちょっとまってくれ」
とか色々あると思うんです。
なのになぜあえてその言葉なんだろうと。そういうことです。
ゲームでも殺さなくても「やっつけた」とか「たおした」じゃダメなの?
使うことを否定はしてません。なぜ使うのか。
多分別のアンケートにした方がいいかもしれないですけど、時間があれば答えていただければ嬉しいです。

お礼日時:2005/04/04 05:42

 再び#4です。



>死んだとしてもその人が、その人としてすぐ生き返る。
>ようはリセットがきくと思ってることが怖いってことです。

 わたしが疑っているのは、そういう結果が出たという発表自体なんです。アンケートを採るときに、そのような訊き方をしたのかどうか。単に

「死んだ人が生き返ることがあると思うか」

という問いならば、敬虔なクリスチャンであればあるほど「思う」と答えるのではないでしょうか。なにしろイエスが死後に復活したのは聖書に記述されているのですから。

 マスコミはセンセーショナルな取り上げ方をして注目を集める傾向が高いと思っていますので、素直に全部を信じる気にはなれないのです。
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私も最近ドラマやゲームでの死や暴力が普通になってきたことをとても悲しく思っています。



あまりにもひどい暴力があるゲームなどは15禁などされていますよね、でも実際いくらでも入手できます。私の知り合いも中学生のときでもそんな残酷なゲームや映画を見ていました。そして、それを「おもしろい」というのです。私にはどうしても理解できませんでした。

そういうものから大切なことを伝えることはできないと思います。本当の「死」とは身近に体験することでやっと理解できるものだと思うんです。しかし簡単にそういうものが手に入る今、「死」というものが違った方向に向かっているのではないでしょうか。少年犯罪が増加しているのも少なからずこのことがかかわっていると私は思っています。

それから、子供がつかう「死ね」も他の皆さんの言うとうり、マヒしているのでしょうね。
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私の意見は偏ってるような気がしますが、


一意見として…

>私は死んだ人が生き返ると思ってる人が多いと聞いて、ちょっと怖いです。

これは、いくつか解釈があると思います。
たとえば、Aというひとが、一度死んでも、おなじAさんとして「生き返る」と 「あたりまえに」、「高学年で」思ってる子供が「大多数」いたら、怖いと思います。スーパーマリオが、命が三つあったように。。。

また違う解釈で、命は一回死んで終わりじゃなく、
「おばあちゃんは死んでしまったけど、またどこかで赤ちゃんに(人間とは限定しませんが)なって生まれ変わってるかも」。。。みたいなものなら、輪廻転生というものではないかと。

小学校低学年の 男の子供がいますが、
この子供がはじめに行った幼稚園では、暴力厳禁でした。ピストルで撃つまねも、ヒーローごっこも厳禁です。「なんでも言葉で言うこと、言う練習をすること、
それにじっくり付き合うこと。」という方針でした。
男の子たちは、ヒーローごっこの代わりに、恐竜とか、消防士とか、ごみ収集人とかにあこがれます。
強くても、威圧、傷つけるわけではない存在もいるわけです。「正義のために戦う。。。って、それじゃいつまでたっても暴力は終わらない」、とはっきり言っている幼稚園でした。3歳でも、けんかでも、手を出さずに解決していました。(言葉の暴言も同様です)(理由を詳しく聞いて原因を取り除きます)

わたしもこれに賛成していたし、
幼稚園を引越しで変わったのですが、
子供も、いきなりチョップする男の子より、
女の子と遊ぶほうが良いらしく、
ぴかチューとかヒーロー物とかの爆発シーン、アンパンマンの攻撃シーンまで怖がったので、テレビもそういうものは一切見せない、サスペンスも、安易なものも、
見せない、これでうまくいっていました。

ところが小学生になって、
人のノートに、「しね」と書いたりする子が複数いること、先生も、厳しくは指導されない(本気でいってるわけではない、との判断のようです)こと、
うちの子も面白がって真似始めたこと。。。
きつくしかると、「お母さん、死んで良いよ」すごくびっくりしました。

そのころ、おばあちゃんの死に立ち会う機会があり、
「お水をかけたら いきがえる?」などと おろおろしていました。「僕もいつか死ぬの?お母さんも?」と、かなり動揺していました。「焼いちゃダメ!」とも。

それから、「お母さん死んで良いよ」、は なくなりましたが。。
みんな言ってるから、大人をびっくりさせるため、ただの面白いフレーズとしていうことは、うちでは(私は)聞くたびに注意します。「ちっとも面白くない、私はいやだから
これ以上言っても反応しないからね」

サスペンスや、不要な残虐なニュース解説、ワイドショーも見せません。
起こってることは事実であり、隠しは、しませんが、

起きてる間に テレビつけっぱなし、
(殺人の手口など、一度聞けばもう十分。別に 自分の生き方に参考になるわけではないし)
繰り返し同じことを言う、気味悪いニュースばかりに取り囲まれる、それが当たり前ではないですから。

子供の心の中に、残虐な気持ちや、いじめたい、いじめられたときのもやもや、
そういう欲求があるのも知っています。

嫌いな人にどう対処すればいいか、暴力はなぜダメなのか、そういうことを時間をかけて教えて行きたいと思います。子供から見たら うっとおしいんでしょうけど。

正直、私は極端すぎると思いますし、
亭主はまた別の考えでしょう、サスペンスや安易な殺人事件解説のニュースが好きです。

ちなみに私は、10歳のときに、クラスメイトに、
「あんた死ねば」といって 親に張り手を食らいました。
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私は祖父の死を見届けたのですが、「死」というものが、まだ理解できていないような気がします。


(不可逆の命の喪失ということは知っているのですが、どこか納得がいかない気持ちがある)
そういう経験をしたことが無い人は、さらに漠然とした現実感の無いものとして「死」を捉えていることでしょうから、私は身近な「死ね」とか言う人を「仕方がねぇなぁ」と思って、度が過ぎる場合のみ注意をしています。

自殺者は死にたいのではなく、今抱えている問題を全部投げ出してしまいたいのだそうです。
「死ね」と普通に言っている人は、それと同じ構造が自分ではなく相手に向っているのでしょう。
つまりそういう人は、かなりの(ひょっとすると病的な)ストレス状態にあるのでしょう。

どうでもいいことですが、最近のサスペンスドラマを見ていると、犯人の動機がほとんど「追い詰められていた、殺すしか無いと思った」なのですが、これって現実のニュースで同じ内容が流れたら、アレな人扱いですよね。
でも、そういうドラマから「追い詰められたら、相手を殺すという選択肢がある」という(間違った)学習をする人もいると思うのです。
本当に痛そうな暴力シーンは、そういうことをされたら痛いのだという教育につなげることができますが、これはどうやっても教育的な所に持っていけないような気がします。
(結論:シナリオライターはもう少し真面目にやれ)

以下は根拠の無い、単なる思い付きです
「死」から「殺す」という言葉を連想する。
「殺す」には「活動や動作をおさえとどめる」「勢いを弱める」という意味がある。
そこから「死ね」という言葉は、強圧的な「おとなしくしていろ」という意味で使われるようになった
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