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ポツダム宣言を即時受諾していれば原爆は落ちなかったでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 鈴木貫太郎のミスじゃないですか?

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/08/03 23:01

A 回答 (7件)

そうですね。


でも即時受諾する程度の性根だったら、そもそも開戦もしなかった可能性が高く、連合国による戦後処理もかなり形が変わっていたでしょう。

受諾の是非で一番問題になったのは、昭和天皇の処遇です。
内閣、特に阿南陸相は、昭和天皇を護る任務があった陸軍の代表だった。ポツダム宣言では天皇の安全の保証、つまり国体の護持(天皇制の維持)の保証がなかった。
だから陸軍としては天皇の命と国体の護持の保証がない以上、ポツダム宣言を受諾することは絶対に出来ない。

鈴木貫太郎内閣が昭和天皇に聖断を仰ぐことにしたのは、ポツダム宣言が昭和天皇を戦争犯罪人として処刑されるリスクと天皇家が平民化されるリスクが極めて高かったからです。名目上は天皇の臣下でしかない内閣には天皇に「あんた、死んでくれ」とは言えなかったということです。

結局、天皇の命と国体の護持問題はあいまいなまま、聖断によってポツダム宣言が受諾されることになった。あの聖断は昭和天皇が、国民に対する敗戦の責任と連合国が要求する戦争犯罪の責任を一人で受けて処刑される意志の表明だったことになる。
阿南陸相が長く苦しみながら介錯無しの割腹自殺をしたのは、天皇の安全を護れなかったことに対する責任だろう。

戦争自体は緒戦を除けば無茶苦茶極まりないものだったが、開戦に至る過程では軍人を含めて多くの人々が苦悩し、覚悟を決めての決意だった。
だからこそ、敗北を認めざるを得ない状況でも、簡単に結論がでなかったのだろう。

それを簡単に受諾するということは、大した覚悟もなく安易に戦争を始めたということになる。
昭和天皇も含めて、そういういい加減な話で戦争を始めたのなら、おそらく昭和天皇はA級戦犯のトップとして処刑され、天皇制も廃止されていただろう。
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この回答へのお礼

大変詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2022/08/09 09:46

時系列をちゃんと整理します。



ポツダム宣言は1945年の7/26に出されたものです。
広島型・長崎型の原爆がテニアン島のB-29の基地に到着したのは7/31か8/1とされています。

なので、7/30日ぐらいまでにポツダム宣言受諾を決めていれば、原爆が落ちることは100%なかったといえます。
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徳川慶喜が大政奉還をしても、結局、鳥羽伏見の戦いから函館戦争までがありましたからね。


日本が降伏後、なにかと理由をでっちあげて、落とす可能性、否定できません。
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わからんよ。

原爆は(人体)実験+戦後体制でのソ連への威嚇って側面があったんで、仮に日本がポツダム宣言を受諾しても投下まで引き延ばされた可能性は否定できない。
 余談だけど終戦の年の2月、近衛など閣僚が「もういけません、講和を」って進言したときに昭和天皇が「もう少し戦果を挙げてからでないと」って否定したって話がある。真相は闇。
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そうです御前会議で陛下が「もうやめましょう」と仰ってるのを阿南陸軍大臣が反対してたんですね、結局は御前会議を抜け出して切腹して終戦です。

「一死をもってこの大罪に謝す」ポツダム宣言の受諾がもう少し早ければ、原爆投下もシベリヤ抑留もなかったのです。映画「日本の一番長い日」で詳しく分かります。
この回答への補足あり
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はい。

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