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究極のクオリアそれが神。つまり如何なる神であろうと見るものがそれを作り出すことでそれは存在しうる
言い換えるならば作り出さなければ如何なる神も存在しない
私個人は如何なる神も不要だから如何なる神も作り出さないので私の視界では如何なる神も存在しない
皆さんはどうですか?

A 回答 (5件)

明確な神の定義はできないけど



生まれたての子供が、母親を神格するような存在とかって

あるとは思うんですよね

質問者さんが如何なる神も視界に入らないってのは

視界や聴覚で神の存在を認識しょうとしてるからじゃないかな?
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この回答へのお礼

クオリア的に言えば見えていないものは存在していないとなります。これは量子論でも示唆された事柄。
例えば下を向いて月が見えていない人にとって月は存在していない。その隣で上を向いて月を見ている人にとっては月は存在している。これは決して矛盾ではなくてクオリア的にあるのです。これが神はにも当てはまるということです。
つまり私にとっては如何なる神も不要であることから私のクオリアによって作りだされた私がいる私のの世界において私は如何なる神も作り出さない事から私のクオリアによって作りだされた私がいる私の世界には如何なる神も存在していないのです
ですがそれはあくまで私個人の事に過ぎません
ついでに言えばクオリア外それが私の知性を超えているとしても私のクオリアでは無い事から私からみたらそれは無の世界なので如何なる神も存在していません

お礼日時:2022/08/06 22:03

神が存在するかどうかは置いておいて、結局、よくわからない存在である神は各々(人間たち)が勝手にイメージした「神」像があるんだと思います。



 例えば同じ宗教を信仰していようとも、人によって「神」のみえかた、
捉え方も違うのだと思います。

これは神だけでなく「クオリア」ゆえに、すべての物事の見方は違うのでしょうね。

ーー
なので神だけでなく「法律」でさえも、各々の解釈、捉え方で違うように見えるのでしょう。

 じゃあ、そもそも人間が体験するこの世界やらも、人によって相当見え方が違うのかもしれませんね。

 同じように見えるは錯覚で、同じ義務教育、しつけを施しても
「解釈」の仕方が違えば、この世界もまるで違うと思います。
⇒これを一般的に「性格」と言ってますが、もしかしたら見えかた、捉え方が違うからそういう気質になるのかもしれません(苦笑)

 例えば、目があっただけで「ガンを飛ばしているのか!?」と思うのは
幾ら相手がそうでなかったとしても、その人にとってはそれが真実。

そっから、場合によっては殺してしまったりします(;^_^A
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このカテでは何度も言っているのですが、『神』というものは宗教・宗派によってその存在、扱いは異なってきます。



仏教では、『神』は信仰の対象とはされてはおりませんが、仏典にも良く出てくる(書き示されている)ものです。

『神』は人間に対して対外的なものであり、その存在は『善神』にもなり『鬼神』にもなります。
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この回答へのお礼

クオリアの外は一切確定されない事からそれは無の世界。それがコメ主さんの言うところの人間に対して対外的なものであっても同じ。つまり如何なる神も存在し得ない。それが存在するとしたらそれはともかく神の存在を肯定しているから。
私個人は神が不要であるのでその存在を否定しているので私からみたら人間とっての対外的な者であろうとなかろうとに関わらいかなる状況状態であってもイカ神も存在していません
とはいえそれはあくまで私個人の事です

お礼日時:2022/08/06 22:11

視界に入ってはいても、気付かない事てあるでしょ?

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この回答へのお礼

視界に入っていても気付かない=意識しないということは自ら作り出している世界=視界に存在していないこと。

お礼日時:2022/08/10 14:38

それもまた一つの真理です

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