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八幡太郎義家(源義家) の正妻は誰ですか?

妻には、藤原有綱の娘、源隆長の娘などがいたそうです。

源頼朝は、義親系(源隆長の娘)です。

昔は、正妻が身分が高く、劣り腹(異母兄弟)は正妻の子の家臣になったと思うので、正妻の子孫が、頼朝、頼家、実朝まで続いていたということですか?

頼家も、正妻より愛人の身分が高いことから、愛人を正妻に迎える為に、今までの正妻を側室にしましたよね。

また実朝が亡くなって義親系ではなく、義国系(足利)が武士の棟梁になりましたが、八幡太郎義家の正妻が本当は藤原有綱の娘だったからですか?

質問者からの補足コメント

  • さらに源義国の正妻は、藤原敦基娘(新田)と、源有房娘(足利)のどちらですか?
    足利が武家の棟梁になった事から、源義国の正妻は、源有房娘だったのですか?

    藤原氏が実権を握っていても、藤原氏(出自不明)と、源氏(皇孫)では、源氏の血の方が身分が高かったということですか?

      補足日時:2022/08/09 12:29
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A 回答 (3件)

タイトルの質問で言えば


明治、大正の頃までは
身分、家系が目的で結婚して
本当に好きな人を側室というか
妾にしているのが普通でした

昔の政治家などが
妾が何人もいたなどと書かれていることがありますが
それは
今の常識で判断することで
当時からすれば
当たり前のことでした

ただ
明治の頃から
少しづつ男女同権ということが
言われ始め
まだ当時には
その名残があったということですね

平安時代でいえば
貴族などに側室がいるのは
当たり前でした

平民は身分や家計などには
関係がなかったし
養う金もなかったので
なかったようです
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この回答へのお礼

大正くらいまでは普通でしたよね。
うちの先祖も妾を作り、妾とその子に家を持たせ近所に住んでます。異母兄弟ということで、今でも親戚付き合いをしていますが、家の序列はありますね。

お礼日時:2022/08/09 12:54

美人だからでしょう...自分のDNAを残すには美男、美女に限る

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この回答へのお礼

義経の愛人「静御前」は、美人で有名な白拍子(遊女)でしたが、正妻にはなれませんでしたよね?
腹に宿った子供も、産み落とされてすぐ海に投げられて殺されてます。

お礼日時:2022/08/09 12:35

基本的に実家の家格ですが、例外もあり、正妻と側室という区別をしない場合も多く、絶対的基準は無いです。


事後的に遡って跡を継いだから嫡男でその生母を正妻とすることもあるようです。
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この回答へのお礼

源氏物語に出てくる葵の上は、左大臣(父)が決めた縁談で、光源氏の正妻となりましたよね。

お礼日時:2022/08/09 12:47

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