こんにちは。

よく、自殺を考えている人に対し
「死ぬ気があればなんでもできる」と
いって励ましてくれる人がいます。
その人が善意でそういってくれているのはわかります。

でも違うと思うんですよ。それは。
死ぬほうが生きているより楽だから死をえらぼうとする。
自殺する人にとってはそうだから
死を選ぼうとする。

わたしは自殺志願者ではないです。
しかし生きることをあまり望みません。

「死ぬ気があればなんでもできる」という観方は
いつからできたのでしょう?
ご意見をおきかせください。

A 回答 (10件)

死生観がなくなってきてからでしょうね。



つまり、死を見つめなくなってきてから・・・そして人生・生きる事の意義を考えなくなってからでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
これしかかけなくてごめんなさい。

お礼日時:2005/04/04 06:09

>生きていてよかったと思われましたか?


良かったと思いますよ(^^)
経済的にも精神的にも絶望してたときはほんとに何も見えてなくて大変でしたけど、いろいろな方の知識や知恵に触れているとちゃんと解決策があったり。
いろいろな人に支えられて生きているのだと実感したのと同時に、知らないということがとても恐ろしいことだと、無知は人を殺してしまう事さえあるのだと学べましたし。
自分はそんなに立派な人間ではないと思いますし、むしろつたない人間だとは思いますが、こうして私の経験からorivetさんにアドバイスできるのですからお互い生きていて良かったのではないのでしょうか。
これから先不安が無いわけではありませんが、様々のことを学びそれが体感できるのですから楽しみですし。
「生きることは学ぶこと」こちらの方が励まし方としてはいいのかも知れませんね。

この回答への補足

締め切る前に、この場をお借りして、
回答をくださった親切なみなさまがたに
もう一度お礼を申し上げます。
ありがとうございました。

補足日時:2005/04/08 23:18
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
お礼を申し上げるのに自分の表現力が足りず
今の気持ちをなんと書いていいのかわかりません。
ただ、自分以外の人が、「生きていてよかった」と
お思いになっているのを知り、
よかった、と思ってしまいました。
自分が別方向で考え込んでいるのに、変ですね。
生の充実って、なんでしょうね。

重ねて、ありがとうございました。

お礼日時:2005/04/08 03:29

>死ぬほうが生きているより楽だから死をえらぼうとする。


そもそも“死ぬと楽”という考え方は何処から来たのでしょう?
おそらく死後の世界の考え方から来ているのかも知れません。ですが死んだ人間がいく場所です。人間関係に疲れたりした人間が命を絶って死んだ人間の世界へいくのだとしたら、それはかえって苦痛でしかないのでは無いでしょうか?
たとえ無に消えゆくのだとしてもそれが全く苦痛を伴わないのかは甚だ疑問の残るところです。

私自身自殺を図って周りに迷惑をかけた口の人間です。そこで思ったのは死ぬは死ぬで何かとめんどくさい物だと感じました。下手をすると自分の手が叶わなくなる分、生きるより大変かもしれません。
だとしたら“死ぬ気があればなんでもできる”という考え方は「言い得て妙」なのかもしれません。
だって生きることより死ぬ事の方がめんどくさいのですから。
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この回答へのお礼

あまりに貴重なご意見なので、
あえて自分の考えはもうしあげません。
でもひとつ教えてください、
生きていてよかったと思われましたか?
新たに回答いただくことがご負担になるようなら
無視してくださっても仕方ないけど
ききたくなりました。
回答いただいたことに大変感謝してます。ありがとう。

お礼日時:2005/04/04 17:36

死ぬ気があれば、っていうのは、時と場合によると思いますな。



>死ぬほうが生きているより楽だから死をえらぼうとする。
>自殺する人にとってはそうだから
>死を選ぼうとする。

うん、そうだよ。いや、そうでなくちゃ死にませんから。死は楽です。一先ず、その意見には賛成です。
でも、死って終止符でしょう?
生き返るわけじゃあるまいし、楽であってもソレは最終手段なわけですよ。死んじゃったらそれで終わりなわけですから。

別に生きることが楽しいから、とか死ぬのはいけないことだ、という意味で「死ぬ気で~」という意味じゃなくて、
死を選んだらあんたそれで終わりだよ、心残りないわけ?みたいな。

それにしても「死ぬ気があれば何でもできる」という言葉は初めて聞きました。大抵「死ぬ気でやれば何でもできる」ですからね。そこから派生したんじゃないですか?

遡ると、
「死ぬ気があれば何でもできる」→「死ぬ気でやれば何でもできる」=一生懸命・一所懸命=戦国時代辺り?
戦国時代は自分の土地を守るために命をかけてました。
だから一所(一つの所=自分の土地)に懸命(命を懸けた)わけです。
その辺りかな、なんて思いますけど。
まあ、昔から「腹を決める」とかありますしね。
戦なんてそれこそ命懸けなわけですよ。
ってことで、戦ある所に言葉アリ、でいいんじゃないですか。(戦ってことはもうそれこそ室町時代も遡って……奈良時代も……)

どちらにせよ、これ、カテゴリ歴史だともっと判りやすく教えてくれる人がいると思います。

この回答への補足

思い返してみたのですが
やっぱり「死ぬ気があればなんでもできる」ですね。
言われたのは。うちのあたりではよく言われますよ。
死ぬ気でやればなんでもできる、というのは
ある仕事に対するすごく追い詰められた励まされ方だと
思うんですがね。
ほかに同じ表現で言われたことのある人はいないですかね。私だけ(うちのあたりだけ?)

補足日時:2005/04/04 17:28
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この回答へのお礼

どの回答者のかたにもそうなのですが、
お礼をゆっくりかきたかったので
回答を読ませていただいた直後の気持ちを
補足欄にぶつけてしまいました。
すみません。
回答をいただいてありがたかったです。
ありがとうございました。
落ち着いたら歴史分野で調べてみます。

お礼日時:2005/04/08 03:25

No・6ですが、書き忘れましたすみません。



いつから使われていたか、は知りませんでした。
戦時中とかですかねぇ、わからないんですけど。
調べればわかるかなぁ・・。
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こんにちは。

 もちろん個人的な考えですが・・。
「死ぬ気で・・」というのは何かをやろうとしている人にかける言葉で、自殺しようとする人にかける言葉ではないと思います。
もし、人の言葉に拘りがちの私が、まさに自殺しようとする時こんなこと言われたら、あんまりあほらしくてショックを受けて、感受性などぶっ飛んで、普通の人みたくなれちゃうかもです。死ぬ自由も無い・・って感じですねぇ。
複数の心中や「死んでやらぁぁ!!見てろ!!」って元気のいい自殺とか、ポジティブに振り返る可能性があるタイプには効くかもしれませんが。
また独りの自殺志願でも、内容はどうでもいいほど自分にかけてくれる言葉を必要としていたとか、言葉をかける人の気持ちや人柄が他のところで感じられれば効くかもわかりません。
何かの手を借りずに生きている命を断つのは、体のSOSを振り切らねばならず、かなりキツイ事なので、これを体験して、もうこんなのヤダと思えた人には効くでしょう。

質問者様も消え入ってしまいたいと思うことがあるのですか。ほんとに生きてるだけで辛い今の世の中ですから思うのも無理ありません。でも自分の命のことを考えるのは多くの時間をかけるべき問題だと思います。
もし質問者様がお若い方でしたら、あまり突き詰めず無理矢理でも他の事を考える様にしたほうが良いかもしれませんよ。でも考えちゃいますけどね。「死ぬ気で・・」と言ってくれる人と議論でもしてみては?でもホドホドにです。
答えを書く機会を下さって有難かったです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
時間をかけて考えるべき問題だということを
思い起こさせてくださりありがとうございました。

お礼日時:2005/04/08 03:22

こんにちは


 死ぬ気になっても、なんでもできないよ。
僕はそう思います。人間なんて、出来ることなんて
限られているから。神様じゃないし。

 でも、限られている範囲は本当に膨大です。
例えば、世界旅行にいくとする。選択肢はいくつ
ありますか?
 1国限定でも、200いくつあるんじゃない?
(国の数だけね。何国か?と組み合わせると、すごい
数になるよね)

 僕はうつの時、死にたいと思ったけれど、今正直に
思うのは「死ぬことより怖いことは無い」と思える
事です。だから、好きな人に告白する、大勢の人の
前で質問したり、発表したりする、嫌いだったり苦手
な人と直接コミュニケーションをとりにいく。これら
は、怖いことだけど、「死ぬことより」は怖くないと
経験してしまったから、そうできてしまいます。

 とはいうものの、僕もこれからバイトにいくのだけ
ど、苦手な人と会うのは今日も苦痛で、吐き気止めを
飲んで働くのも辛いし、死ぬことより大したことじゃ
ないとしても、正直辛すぎるよ(笑)多分、近いうち
に限界が来そうです。

 なので、死の恐怖を経験すると、勇気は出やすく
なるけれど、やっぱり人間は弱いところもある、
というのが僕の考えです。

 昔は、今よりマジで衣食住に事欠くことが多かった
ろうから、このままじゃ死んじゃうから、娘を売る
とか、過労で倒れる寸前で仕事したりしていたんじゃ
ないかな?そしてこの言葉が生まれたような気がしま
す。

 産業革命の頃の歴史を(イギリスと日本)少し
調べてみると、「あー、俺にはこんなに働けない!」
ってぐらいに働かされてたみたいだよ。
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この回答へのお礼

回答をいただいてありがとうございました。
お礼がおそくなりました、回答者さまの文も他の方の文も
読んで考え込んでいたのでお礼がかけなかったです。すみません。
回答者さまもつらくなりすぎないようになさってくださいね、自分のことを棚にあげてますが。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/04/08 03:20

#3ですが、訂正です。



>「死ぬ気でやればなんでもできる」

ではなくて、「死ぬ気があればなんでもできる」の間違いでした。すみません。
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>死ぬほうが生きているより楽だから死をえらぼうとする。


自殺する人にとってはそうだから
死を選ぼうとする。

私は一度死にそうになった人を間近で見ています。
病気で私の目の前で生死をさまよっていました。
今でこそその人は普通に生活していますが、
「あの時の苦しみを考えたら生きているのがラクだ」
と言っていたのが今でも忘れられません。
一度死の間近にあった人の言葉は重みがありました。

「死ぬ気でやればなんでもできる」
この言葉に疑問を持たれるのもわかります。
でも自分で死を選べるという時点で幸せなのかもしれないと思うのは私だけでしょうか。
世の中には死にたくないのに死んでしまう人もたくさんいる訳ですから・・・。

自分の価値観を押し付けてしまっているかもしれません。
こんな答えしか出せずすみません。
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この回答へのお礼

回答をいただきありがとうございます。
お礼がおそくなり申し訳ありません。
複雑な気持ちです。
こういった問題を自分で考えてしまうと、
世の中には死にたくないのに死んでいく人のことを
どう考えてよいかわからなくなります。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/04/08 03:16

私も死ぬ気があれば何でもできるという言葉には多少引っかかるところがあります。


どうしようもなくて死を選ぶという状況が本当に苦しくてということなのですから死を選ぼうとしてしまうんだと思います。
もちろん死ぬ事は一番いけないことだと思いますがあまりそれを強調しすぎるのも不思議な気がします。
変な回答ですみません。
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この回答へのお礼

回答をいただいてありがとうございました。
考え込んでいたので、
お礼がおそくなりましたが、ご理解いただけると幸いです。

お礼日時:2005/04/08 03:13

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