輪廻転生という考え方は、仏教のもののようですが、キリスト教にも
輪廻という考え方はあるのでしょうか?
キリストは死んだ後1度蘇ったという話を聞きますが、それとこれとは
関係がないのですか?
教えてください。
もし、キリスト教にそういう考えがないとしても輪廻を信じる人は
いるものですか?聖書以外にある信念は信じてはいけないものなんですか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (12件中1~10件)

キリスト教の事は余り興味がなかったのでうろ覚えなのですが、


輪廻という考え方を持っているキリスト教は存在していたと思います。

どこだか忘れてしまったのですが、聖書の中にも輪廻を表している所があると聞いた事があります。

多分、エドガー・ケーシーは、輪廻の話をしている可能性は高いと思います。
多分、エッセネ派とか言う所だったような気がするのですが、大分昔に読んだ本に書いて有ったのでほとんど覚えていません。
確か、死海写本も関係あったような気がするのですが。

多分が続いてしまってすみません。

※日本エドガー・ケイシーセンターのURLを見直して見ました。
 やっぱり、輪廻の概念を持っているようです。

参考URL:http://www.eccj.ne.jp/
    • good
    • 0
この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
早速URLをのぞいてみました。
エドガー・ケーシーって、名前は知っていましたがどういう考えなのか全然知らなかったので
とてもおもしろかったです。
ホームページの内容は、まさに「そうそう!私もそう思う!」ということが書かれていました。
gould09さんは輪廻を信じますか?また、転生したいと思いますか?
もしご覧になっていたら教えてください。よろしくおねがいします。

お礼日時:2001/09/07 00:42

yama-daさんこんにちは。

お返事が遅くなりました。
私自身100%輪廻転生を信じている訳ではありませんが、前出「前世療法」などを通じてその考え方の面白さには惹かれています。私なりに現在理解している姿は次のようなものです。
----
1. 輪廻とは「何かに縛り付けられてぐるぐる回るだけの苦行」ではない。時と場所を変えて何回も生まれ変わりながら自己の魂を磨いていく主体的な行為である。

2. ある人生とその次の人生の間には「中間生」とでも呼ぶべき時期がある。そこではそれまでの人生を点検し、問題は何で、自分の魂を磨くためには次の人生はどのような場所でどのように送ればよいか、「カウンセラー」の助言のもと決定がなされる。
「中間生」は非常に居心地のよい場所らしく魂はそこへ留まりたがるらしいのだが、1.の「魂を磨く」行為は現実の人生でしか行えないため、再び地上(地上という言い方が正確かどうか別として)へ下りていくことになる。

3. 人生は神様が気まぐれでが決めているのではなく、全て自分が決めているのである。自分が誰でどのような境遇にあるかは全て自分の選択である。他の誰の選択でもない。

4. 「グループ転生」という考え方がある。ある人生で深い関係があった人とは次の人生でも何らかの関係を持つことが多い(「魂のグループ」などと呼ばれる)。前世では親子であった関係が、次の人生では友人であったり、おじ-めいであったりと役割は変わる。
次の人生で巡り会うのは良好な関係であった同士とは限らない。いがみあった関係であれば、次の人生では宥和できるようそのお互いが努めることになる。それを昇華できれば一つの「業」が解消され、魂は一つ高い段階に進んだことになる。
このほか、特定のものに心を強く惹かれるような場合(絵を書くのが好き、○○国の風景には心が和む、など)、今の人生以外でもそれらと深く関係があったことが多い。

5.  それぞれの人生の間での考え方の統一は必ずしもなされているわけではない。ある時は仏教徒であったり、またある時はキリスト教徒であったりということは普通に起こり得ることである。
上記のような個々の人生での自我と別に、人生全体を束(つか)ねる「高位の自我」というものが存在する(高位の自我の考えは、全ての人生を通じ一貫している)。現世の自我はその一部が投影されているに過ぎず「高位の自我」の持っている能力のうちの一部しか使えないが、2.の中間生では「高位の自我」が「自分」そのものとなる。
----

このほか「(その人にとっては)一度きりの人生なら輪廻を信じる意味は何か」の質問を頂きましたが、私なりの解釈で申し上げれば5.が回答になると思います。「その人」の指す内容が「その一度の人生における自我」であれば確かに一度きりで、その人生が終わってしまえば意味の無くなる事象ですが、「高位の自我」にとってみれば永遠に続く「自分」の中の、不可分な事象なわけですから。
「このできごとは過去生の何と関係があって、今自分はなにをすべきで、それによって次の人生がどのように決定されるか」と考えれば決して「一度きり」ではないと思います。

この辺のは人の考え方ですからどれか一つに決める必要もありませんし、また上記についてはそれが正しいのか確かめようもありません。
ご興味がお有りであればぜひ、ご自身でそれらの文献を読んでyama-daさんなりの解釈を見つけられることをお勧めします。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

Umadaさん、お返事ありがとうございました。詳しく書いていただいてとても感謝しています。
>3. 人生は神様が気まぐれでが決めているのではなく、全て自分が決めているのである。自分が誰でどのような境遇にあるかは全て自分の選択である。他の誰の選択でもない。

このくだりが私はとても関心を持ちました。おもしろいですね。
Umadaさんのご意見はUmadaさん自身が考えた末に出したものですもんね。
私も色々本を読んで自分なりの考えを持ちたいと思います。こういう話は正解が無いですものね。

自分以外の人がどのような意見を持っているのか調べている所だったのでたくさんの方の意見が頂けて感謝しています。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/09/09 04:19

>できないこと・できそうもないことは望まない、という事にもなってしまうのですか?



説明は難しいですね。
自分の意味しているのは反対です。
今、自分が何か出来るのは所は今しかありません。
自分の心が家に帰っていても、何も出来ません。
今、出来ることは歩くことです。
できそうもない事を実現しようと望んだ時でも、自分が出来ることから始めると言うことです。

>私の理解力がないので

そんなことはないです。
自分のわかりづらい説明に、ポイントを押さえた回答をもらえてうれしいです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

gould09さん、何度もありがとうございます。
確かにgould09さんのおっしゃる通りですね。
自分ができることから始める、当たり前の事のようで実は難しい事だったりするんですよね。
最初は「後ろ向きなのかな?」と思いましたが、とても前向きな歩き方ですね。
私もgould09さんのように着実に希望に向かっていきたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/09/08 17:24

>hebikeraさん自身が輪廻に関してどのような意見をお持ちなのか教えていただけますか。



私の考え方は輪廻とは少し違うかもしれませんが・・・
私の死後、私の体を構成していた物質はあるものは土に帰り、あるものは水に溶け、あるものは大気に散ります。そしてそれらが再び他の生物の体を構成することで私はこの世に生命として「蘇る」のです。
また、同様に私の「魂」(別に呼び名は「気」でも「エネルギー」でもよいのですが)も私の死とともに体から拡散していき、森羅万象の源になる、と考えています。
これが私の輪廻についても考えでもあり、宗教観でもあります。
参考になれば幸いです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お答えを催促して申し訳ありませんでした。ありがとうございます。
hebikeraさんのご意見は「そういう考え方があったんだ」というように私の考え方に新風が巻き起こった(?)感じでした。
確かにその通りかもしれないですね。どこかに帰ることでまた何かの源になる、ってすばらしいことですね。
10年程前、とある偉い方に「全てのものは滅びていく(形が無くなり、忘れ去られること)。その中で決して滅びないもの
を一生かけて見つけなさい」と言われたことがあります。なんだかその質問を解く鍵になりそうです。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/09/08 08:03

>体と気持ちが同じ所に・・・



わかりずらい表現をしてしまったようなので少し補足します。

体と気持ちが同じ所にいないという状態は、
どうして、もっと早く歩けないのだろうとか、何でまだ家に着いていないんだろうと考える事です。
このときには、今自分のいる場所と自分が望んでいる場所が違っています。

体と気持ちが同じ所にいる状態は、
急いで帰っているのだけれど、地面を蹴っている足の感覚とか腕の感覚、回りの景色を感じながら帰る事です。
この時は、今以外の場所には自分の気持ちは有りません。

つまり、現在の自分の状況と自分が望む状況にずれがないと言う事です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

何度も気にかけて下さってありがとうございます。
>現在の自分の状況と自分が望む状況にずれがないと言う事です。

それもまた、難しいことですね。でも面白いなぁと思います。(不謹慎ですいません。)
何故そう思うのでしょう?私の頭にあまり無い考え方だったので、どうしてかがすごく気になっちゃいます・・・(?_?)
できないこと・できそうもないことは望まない、という事にもなってしまうのですか?
私の理解力がないのでgould09さんのお気に触ったら申し訳ありません。でも興味深いご意見ありがとうございました。

お礼日時:2001/09/08 07:55

キリスト教については既に皆さんが十分な回答をなさっているので、仏教について、少し補足。



輪廻転生というのは、仏教の考え方ではありません。(仏教以前からの)古代インドの思想です。
仏教というのは、輪廻転生を所与の前提として、それを否定・超越したところに意義があるのです。
ちょうど現代人が、物理法則を前提として、それを超越した空中浮遊を信仰とするのと同じです(?)。

つまり、仏教以前のヴェーダの思想は、現世の「生」を肯定し、死後も、より良い「生」に転生することを目標としました。
しかし、この論理は、ヴェーダの司祭者(バラモン)の権威が及ぶアルカイックな共同体の中でしか通用しないフィクションでしかありませんでした。なぜなら、実際、生きることは辛いことだからです。

都市化が進みバラモンの権威が低下する中、仏教は「生」は苦であるという認識の元に成立しました。
つまり、現世は苦である。それは、死んでも逃れられない。なぜなら、死んでも転生して、また苦しい生を生きねばならないからである(六道輪廻)。
この苦しみから逃れる唯一の方法が、「解脱」なのです。(話が長くなりすぎるので、ここでは解脱とは何かには触れません)

ちなみに、キリスト教では最後の審判で救われることにより、苦しい生から逃れることができます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

<輪廻転生というのは、仏教の考え方ではありません。
えっ、そうだったんですか?!知りませんでした。
現世は苦である・・・輪廻は迷いの世界を生き変わり死に変わること、と載っていました。
仏教では今では転生するということは苦しみから逃れられないということでしょうか?
輪廻転生という言葉は一種の希望に満ちた使われ方をしているのだと思っていましたが違うのですね。
もし生きることが苦であるなら、喜んで転生したいと言う人などいないのでしょうか。でもそれは人それぞれですね、きっと。
うーん、とても参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2001/09/07 16:44

>artist0さんは魂や霊、輪廻について考えをお持ちですか?



霊については、興味があります。
霊感が強い人には五感以外の(?)何らかの感覚で感じ取れる、
写真に写る、霊が人にとりつく、など不思議な現象が解明される
のを楽しみにしています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

何度もすいません。お返事いただけて嬉しいです。
科学で証明できないことはまだまだありますもんね。私も色々な不思議なことが解明されればすばらしいと思います。
お話参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2001/09/07 16:34

輪廻と言う考え方は、自分にとってはかなり前から当たり前の考え方になっています。


ただ、その事を人に話したことはないです。

信じない人と議論する気もありません。
人それぞれですから、信じない方が今の生をきちんと生きられる人もいると思います。

転生したいと思った事はありません。
今は、目先の事で精一杯なので先のことを考える余裕がないのだと思います。

もう一つの理由は、今この瞬間にいられるようになりたいと言うのが自分のやりたいことだからです。
例で話してみると、家に帰ろうと急いで歩いていたとします。
この時、自分が努力するのは1cmでも気持ちが先に行かないで、今いる所と気持ちが同じ所にいられればと思っています。
自分の経験では、自分の体と気持ちが離れれば離れるほど苦しくなります。

>もしかしてキリスト自身が輪廻を唱えていたという可能性もあるのでしょうか。

エドガー・ケーシーが正しければ、確かそんな話しもあったと思いますが忘れてしまいました。
多分、エドガー・ケーシーの死海写本の本に確か書いて有ったと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お返事を催促してすいませんでした。でも答えていただけて嬉しいです。ありがとうございました。
gould09さんは輪廻を信じているんですね。とても参考になりました。
体と気持ちが同じ所に・・・というお話はとても興味深いですね。だけど、とても難しそうです。
エドガー・ケーシーの本読んでみます。
ただ、人の生の人生観を聞けたことはとても良い経験になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2001/09/07 12:31

宗教について詳しいわけではありませんが、


復活後のキリストは spirit というのでしょうか、
霊的な存在のようです。

というのも、第一コリント一五・四四に
「肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。
肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである」
という記述があるようなのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
聖書の抜粋でしょうか、なんだか意味深い文章ですね。
キリストは肉体が復活したわけでなく、魂が見えたということでしょうか。
artist0さんは魂や霊、輪廻について考えをお持ちですか?
もしあれば教えてください。おねがいします。

お礼日時:2001/09/07 00:55

私は宗教学の専門家ではありませんが、ryuitiさんの紹介されている「前世療法」(原題"Many lives, many masters", Brian Weiss, 山川紘矢/山川亜希子訳、PHP研究所)、「前世療法2」(原題"Through time into healing", Brian Weiss, 山川紘矢/山川亜希子訳、PHP研究所)に、その辺の事情がある程度書かれているので紹介させて下さい。



1. 1981年ギャラップ社の調査で、アメリカで輪廻転生の考えを受け容れている人は23%。その後シャーリー・マクレーンの"Out on a rim"が出てからは35~40%にまで上がったと言われる。(「前世療法」、訳者あとがきより)
2. 紀元4世紀にキリスト教がローマ帝国の国教となったとき、新約聖書にあった輪廻転生の記述が削除された。紀元6世紀には宗教会議で輪廻転生が正規に異端であると宣言された。(「前世療法2」、49ページ)
3. 上記宗教会議以前の初期キリスト教時代には輪廻転生を信じる教派がいくつも存在した。(「前世療法2」、49ページ)

私自身は1はともかく、2と3は読んでいて新鮮な驚きがありました。もしご興味があれば探して一度読んでみると面白いと思います。
もちろんryuitiさんの指摘のように「何が正統なキリスト教であるか、それはキリストの教えと一致しているのか」という点には気をつける必要ありですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
詳しいお話が聞けてとても嬉しいです。
現代では3~4割りの人が輪廻を信じているというお話、正直びっくりしました。
そして4c頃の時代で聖書に輪廻の話が載っていたということは、もしかしてキリスト自身が
輪廻を唱えていたという可能性もあるのでしょうか。
人生は一度きり、という言葉をよく聞きます。魂が生まれ変わるとしてもその人にとっては
一度きりの人生なら輪廻を信じるという意味は何なのだろうと考えてしまいます。
Umadaさんのお考えを教えていただければ嬉しいです。
もしまだご覧になっていたらよろしくおねがいします。

お礼日時:2001/09/07 00:50

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q輪廻転生の思想はいつごろから

一遍上人の出家したきっかけは、「独楽をみて、人の輪廻転生の運命に思いをはせたため」と聞きました。

すると少なくとも鎌倉時代には輪廻転生の思想が日本に根づいていたを思われます。
この輪廻転生の思想はいつごろから日本にあったのでしょうか?
仏教の教えの中にあったものでしょうか?

また世界的にみると、輪廻転生の思想はいつ、どこで発祥したものでしょうか?

Aベストアンサー

釈迦は「輪廻転生」について直接の言及はしていなかったといわれています.

しかしながら,輪廻思想はこれまで,いわば仏教のメタファーとして存在するかのように扱われてきましたし,そう解釈されてきました.

輪廻転生と宿業(カルマ)は表裏一体の考えであり,成仏することでカルマを克服し,輪廻を抜け出す(=解脱)のだとされてきました.(だからこそ輪廻を超克した仏が信仰されるのです)

輪廻転生思想の発端が仏教以前であるというのは定説ですが,これはアーリア人の一種のイデオロギーのようなもので,広くインド社会で受け入れられていました.このことからも,古代インドにおける新興宗教としての(釈迦入滅後の)仏教が輪廻思想を自明のこととして,自らの教義を整えていったのは自然なことなのかもしれません.

日本に移入された時期ですが,そもそも輪廻転生や宿業論と類似した思想は世界各地に存在します.古代ギリシャにも輪廻思想はあったといいますし,誤解を恐れず言えば,キリスト教における原罪も,宿業論につながる考えと言えるかもしれません.

その意味では,日本においても仏教伝来以前からの土着信仰に輪廻思想につながるものをみることができるでしょうし,そうした土台があったからこそ,日本において仏教が受けいれられたともいえるのではないでしょうか.
(ここでいう「日本」は=日本人という意味ではなく,地理的概念上,便宜的に使っているものです.)

ここらへんはさまざまに解釈が可能ですし,厳密には日本伝来の仏典解釈や,古代土着思想の解釈にもかかわってきます.
ひとまず大づかみですが,私は以上のように考えています.

釈迦は「輪廻転生」について直接の言及はしていなかったといわれています.

しかしながら,輪廻思想はこれまで,いわば仏教のメタファーとして存在するかのように扱われてきましたし,そう解釈されてきました.

輪廻転生と宿業(カルマ)は表裏一体の考えであり,成仏することでカルマを克服し,輪廻を抜け出す(=解脱)のだとされてきました.(だからこそ輪廻を超克した仏が信仰されるのです)

輪廻転生思想の発端が仏教以前であるというのは定説ですが,これはアーリア人の一種のイデオロギーのよう...続きを読む

Qキリスト教徒、聖書における死の観念

キリスト教徒の人は死をどのように考えているのか。
聖書では死はどのように受け止められているのか。

ある文献で「罪の報酬は死である」という聖書の文句・・・・
と書いてあるのを見たのですが、その他にもどのように
考えているのか、分かる方よろしくお願いします。

文献や、サイトなどを紹介していただけると嬉しいです。

Aベストアンサー

経験の浅いキリスト教徒として。

罪の報酬は死は聖書のなかに出てきます。
それなら人はみな死ぬんだからとお思いでしょうが、
私たちクリスチャン(というか、私)は、死は天国に行くことなので
決して忌まわしい物ではありません。
ですので、お葬式などもハレルヤ!という賛美の言葉とともに
苦しみから逃れ天国に上り、父なる神の御許に行くという
ことで、悲しみよりも喜びの気持ちから送り出すという形になります。

罪を犯した者の死とどうちがうのかというと
彼らは裁きを受け、天国の狭き門より入れないということです。

この場合の罪とは聖書などでいう罪で、実際の犯罪のことをさしてはいません。

たしかに実際の犯罪も罪ですが、一番の罪は
罪を犯し、悔い改めないことや、神様を信じないことですね。

未熟なクリスチャンの私の考えですが、ご参考までに。

Qなぜ輪廻転生が必要なのでしょうか?

なぜ輪廻転生が必要なのでしょうか?

私は輪廻転生という考え方が怖いです。(すみません……)
小学1年生で六道についての本を読み、子供ながら怖くなった覚えがあります。なぜ輪廻転生する必要があるのか、と考えています。丁寧に教えていただけると非常に嬉しいです。

Aベストアンサー

zakky74です。

観点固定・・・これ一つが中々に受け入れにくく、厄介なシロモノですね。

>確かに観点が自分に固定されている、というのはあります。あなたも昔は観術を学ぶ際に色々あったのですね。今からは想像できません。観点を変化するのが観術。これでやっと腑に落ちました。

しかし、この観点についての理解が進む事は、全てを理解する土台が飛躍的に高まります。分離されたモノの総和を理解するやり方ではなくて、観点一つだけを明確に理解するだけで全体を理解する姿勢は圧倒的に創られるものです。

b-w-stepさんの観点が、人間に固定されています。

ですが、もし動物に移動すれば、一体何が見えますか?
モノは?光は?細胞は?人間は?

本当に人間が見ている様に見えるのでしょうか?
その場合、人間の科学だけが本当に正しいのでしょうか?

もし植物に移動すれば、一体何が見えますか?
モノは?光は?細胞は?人間は?

人間が見ている様に見えているのでしょうか?

地球に移動して、地球から認識する時には?地球の認識方式では?
モノは?光は?細胞は?人間は?

太陽系・銀河系・宇宙・宇宙の外・・・に観点が移動して、そこから認識する時には?
モノは?光は?細胞は?人間は?・・・一体どう見えているのでしょうか?

人間が見ている世界は、一部ですし、部分ですし、真実の姿とは言えないのではないでしょうか?

その状態で

存在を確認する(脳の認識が働いています)。
名前を付ける。
覚える。
因果関係を規定する(判断基準が働いています)。
覚える。
因果関係に基づき、体系化を行う(判断基準が働く)。
覚える。

だから、次の様に思い切った事を言い切ります。

学術は、観点が人間に固定した時の認識方式しかまとめていません。
当然、物理学・数学・生物学・医学などもそうですし、ハリソン内科学もです。

それでは当然足りません!

人間の細胞は、人間が見ている細胞だけではありません。
他の全ての観点から見たときに見える人間の細胞こそが、真の人間の細胞です。


繰り返しますが、観術とは、観点を変化・運動・移動する認識技術です。
人間から観た人間の細胞を語る事も、当然にして出来ますよ。
それは2017年には確認できると思います。

>知っている、と思った瞬間に他の可能性を無視する。そして自信を持った瞬間に成長は止まる。これが人間なのかもしれません。

仰る通りです。

ですから、僕はよく観術からも離れます。僕が分からない事については素直に聞く様にしています。僕が知らないだけで、もしかしたら相手は知っているかもしれないからです。

このQ&Aでも何回がありました。

「最終理論を、明々白々に説明しているのは観術しかありません。」・・・これが僕の観点ですが、この観点自体も固定されているとそこから話は進みません。つまり、相手は最終理論を明々白々に説明できる存在かもしれません。この可能性を、僕は常に見ています。

ですので、最終理論について理解していたり、知っている節がある時には、観術の事をいったん置いておいて、まずは聞く様にしています。なぜならば、最終理論を明確に理解していて、しかも人に伝達可能な状態の場合には、人類の全ての問題を解消・解決する道までも明確に見えてしまっている為に、その喜びや可能性について共有したくて仕方がないからです。

歓喜溢れる心ですね。
人類500万年間の限界を突破した事の意味ですから。
涙だし、興奮ですし、感動はちきれんばかりです。

その事を分かるので、観術とは切り離す作業に切り替えます。

>>疑う程に逆に理解・納得が進みます。
>のは胸に響きました。他のサイトまで紹介してくださってありがとうございました。2017年をお待ちしています。

僕がそうでした。
また、観術に触れる多くの人がそうです。

信じて仰ぐ信仰は、妄信でとどまってしまいます。宇宙自然、人類文明歴史の何の整理もないままに、確信っぽい妄信で人生を突き進むから、69億人の幸せに及ばない程度の力しか発揮できません。

信仰よりは理解です。
天動説から地動説に移った事は、その事を教えてくれました。

ただ、学術的理解は信仰を抜ける意味ではそれなりに功を奏しましたが、まだ中途半端です。信仰・妄信よりは洗練されていますが、確信には絶対に至りません。ゆえに、学術からは輪廻転生や悟りについてノータッチです。

理解による確信。
その為には、疑問はとても大事です。
信じる事によって、疑問を有耶無耶にしたり曖昧にしたりする時代はもう終わりです。

b-w-stepさんの疑問については2017年の時には相当数晴れている事が、僕の目には観えています。その時の感動の出会いを楽しみにしています。

zakky74です。

観点固定・・・これ一つが中々に受け入れにくく、厄介なシロモノですね。

>確かに観点が自分に固定されている、というのはあります。あなたも昔は観術を学ぶ際に色々あったのですね。今からは想像できません。観点を変化するのが観術。これでやっと腑に落ちました。

しかし、この観点についての理解が進む事は、全てを理解する土台が飛躍的に高まります。分離されたモノの総和を理解するやり方ではなくて、観点一つだけを明確に理解するだけで全体を理解する姿勢は圧倒的に創られるものです。

...続きを読む

Qキリスト教信仰者の方に質問ですキリスト教を信仰するようになったきっかけとはなんですか?

キリスト教信仰者の方に質問です

キリスト教を信仰するようになったきっかけとはなんですか?

Aベストアンサー

私は洗礼は受けていません。
しかし、立派な信者と出会ったとき、自分も信者になろうかなと心が傾きました。
また聖書には多くの貴重な言葉があります。

Q輪廻転生

輪廻転生を信じている人に伺いたいのですが、どうすれば輪廻転生の流れから抜け出して二度と生まれてこなくなりますか?
本当に輪廻転生があるのかはわかりませんが、もしあったらイヤなので、質問します。

Aベストアンサー

悟りを開いて解脱をすれば輪廻の輪から解き放たれることができます。
ただこれは仏になるということなので、仏として仏界にあり続けることになります。
仏界は最上位の世界で大変居心地のいい世界ですが、同時に最も不安定な世界でもあります。
少しでも疑心を抱けば再び下位の世界に転落して輪廻の輪に捕われることになるのでしょう。
おそらくお尋ねの内容は輪廻転生の世界観の中で転生しないように消滅する方法はないかということなのでしょうが、この世界観のなかでそのような方法が存在すれば、世界観の中に矛盾を生じてしまうため、存在しようがないのではないでしょうか。

Qキリスト教を信じておられる方に質問です。

キリスト教を信じておられる方に質問です。
下のような疑問に対してどう考えられているのでしょうか。
(1)神とは何でしょうか。絶対唯一神がすべてを造った。そして神は全知全能、完全であり
愛であり、善である、等等いっておられますが、その存在の因果関係、神の実体は全く
明かされていません。もし本当に完全な神が私たちをつくったというならば何故、生まれながらの
不平等や一生、不幸の宿命に泣く人がいるのでしょうか。
(2)キリストの贖罪愛で地上の罪は消えたはずなのに、いっこうに減らずますます複雑多元化している
事実。
(3)キリスト教では、よう信仰が深まれば死に
直面しても驚かないとか、不安に耐えうるとかいってるが、それはすべて
あきらめの結果であるのではないか。
(4)キリスト教には現実の生活を変える力がない。生活の
苦悩をいいわけする論理をくみ上げてあるだけである。 現世の宿命すら
転換することができないのだから、まして天国などという来世の保証など
およびもつかぬ話である。というのに反論できるのでしょうか。
(5)宗教の究極である生命に関して、
紀元前4年に誕生したキリストの母は、処女マリア、
父は神であったという。 そして三十歳ではりつけになったキリストは、三日目に
復活し、1ヶ月後には昇天したとしている。 たんなる科学の常識から考えても、
まことにバカらしい話であるが、キリスト教では、これをそのまま信じている人も
あれば、宗教上の一表現として、合理化した解釈をたてたりしている。 しかし
どんな理屈をつけようと、宗教の教義は万人の納得する普遍妥当性のある哲学
でなければならない。仏法は生命とは何か、死後はどうなるか、原罪の幸、不幸はなにによって決ま
ったのか。 こうしたらあらゆる生命の状態を、因果のうえから解き明かし、そのうえ
で原罪の宿命を打開し未来の宿命を開いていこうとするものである。仏法に劣る教義ではないか。
(6)敵を愛せよというキリスト教が、教会に対立したガリレオ等、多くの科学者を迫害してきた事実。
(7)日本のキリスト教の町、長崎に、真っ先に原爆が投下されたこと。
(8)日蓮大聖人は竜の口で命におよぶ難に勝たれたが、キリストの死は悲惨きわまる横死であった。
(9)キリストの予言は1つよして実現していない。
(10)世界教会運動が提唱されているほどの内部不統一は、教義が無力だからではないか。
(11)清貧、精神愛を説きながら、ローマ法王庁が示してきた膨大の権力、圧政の歴史ついて。
(12)キリスト教各派中どれが正統主義のキリスト教か? 他派はみな邪義をかまえ、キリストに背く罪深き人になる道理だが・・・・。
(13)法の無力をカバーするために盛んに社会事業を行って民衆を迷わせているのではないか。
拙問ですが、おねがいします。

キリスト教を信じておられる方に質問です。
下のような疑問に対してどう考えられているのでしょうか。
(1)神とは何でしょうか。絶対唯一神がすべてを造った。そして神は全知全能、完全であり
愛であり、善である、等等いっておられますが、その存在の因果関係、神の実体は全く
明かされていません。もし本当に完全な神が私たちをつくったというならば何故、生まれながらの
不平等や一生、不幸の宿命に泣く人がいるのでしょうか。
(2)キリストの贖罪愛で地上の罪は消えたはずなのに、いっこうに減らずますます複雑...続きを読む

Aベストアンサー

ごめんなさい。
信者じゃ、ないんですけどいいですかね。

イエズス会が来日して、布教活動をしたんですけど、
日本人に反論、質問され、信者にするのに四苦八苦したそうです。
参考までにその理由を掲げておきます。

1,天地のすべてを創ったのなら、なぜ悪人を創ったのか。
  神の手落ちではないのか。
2,キリスト教が誕生する以前の人間は、救われないのか。
  それでは、我々の先祖は救われないではないか。
  救われる、とすれば、入信する意味もない。
3,天地のすべてを創ったのが神だとすれば、神は
  誰が創ったのだ?
  神は自ずから誕生した、というのなら、天地も自ずから
  誕生した、といえるのではないか。

その他)
1,日本人は絶対悪である悪魔の存在をどうしても理解できなかった。
  悪なんてのは、相対的なものだ、ということが解っていたみたいだ。
2,キリスト教が侵略の手先になっている、という他
  イエズス会が、日本人を奴隷として海外に人身売買
  しているのが発覚し、秀吉が激怒して、以後の弾圧に
  向かった。

Q輪廻転生を信じている方で、人間は何のために輪廻転生を繰り返すと思います

輪廻転生を信じている方で、人間は何のために輪廻転生を繰り返すと思いますか。

Aベストアンサー

はっきり言えば、わかりません。
もしかしたら、たましい そのものが存在し続けるためには、
入れ物(肉体)を、必要としているからかもしれません。
又、
沢山の生物が存在するけれど、
たましい の数に限りがあるか?、増えるのにもの凄く長い時間が、
必要なのかもしれません。

輪廻転生を信じる、信じないは、別として
生前の前の記憶を持って生まれてくる人が居ることは、
事実のようです。
ただ、どうゆう分けか、大きくなると忘れてしまうようです。
よって、科学的には、実証できませんので、
なにも、答えは、ないです。

Qユダヤ教キリスト教イスラム教について

今この宗教の人たちが戦争したら勝つと思いますか?
国とか関係なく信者たちでの戦いを想定して

Aベストアンサー

どうなんでしょうね…?
“宗教”と一口に言っても蓋を開けば意見の相違によって更に枝分かれしていますから、利害が一致すればそれぞれの一派が手を組んで…という事もあり得ますから
確かに何処の宗教も侵略等を行った際は、ごく一部を除き土着していた神々を悉く悪魔に変えてきましたが(代表的な例がベルゼブル:元はカナン人(パレスチナの先住民族)が崇めていたヘブライ語で“館の主”や“神殿の王”という意味で“バアル・ゼブル”という神だった『ウガリット神話』)、しかし異教徒だからといって敵になるとは限りません
実際に異教徒の土着していた神の中には、悪魔にならずそのまま天使・神であり続ける事の出来た神がおりますから
残念ながらそれが誰かは覚えていませんでしたが…

Q輪廻転生と唯識

輪廻転生と唯識の関係について教えてください。

輪廻転生はヒンズー教の思想で、唯識は仏教の一派ですが、
どのように関係しているのでしょうか。


また、輪廻転生と唯識を説明したいのですが、
どのような切り口で、どう説明すればよいかわかりません。
私自身殆ど知識がなく、相手も初心者(20代)です。

Aベストアンサー

こんにちは。。

 仏教も、教えを広めるにあたって、インド古来からの輪廻の考え方を取り入れています。唯識思想が興る前から、仏教もまた、当時は輪廻転生とその輪廻からの脱出を説く教えとして認知されていたと思います。

 ややこしいところですが、仏教と輪廻の関係は、いろんな見解があって、一定ではないです。「方便」として、人々に広く信じられていた輪廻を取り入れた、と捉えることもできますし、お釈迦さまは本気で輪廻を説いたと考えることもできなくはないです。(自分はどちらかというと前者。)

 仏教の説く輪廻は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道輪廻が有名です。
 表向き、仏教は輪廻転生を繰り返す世界を「苦」とし、輪廻から脱して転生しない世界に安住することを「悟り」として、悟りを目指して実践を積むよう奨め、説きます。

 「表向き」としたのは、仏教は一方で「無我」を説いているためで、これは輪廻転生とは相反する考え方になります。
 物事には不変の実体はなく、縁によって変転するのみ、と説く無我説では、「輪廻する主体」が想定されていません。

 輪廻する主体は何だろう?何が輪廻するのだろう・・・これは仏教にとって極めて重大な問題となりました。

 唯識は、仏教元来の唯心論的な傾向と、無我説をさらに推し進めた大乗仏教の空思想、輪廻の主体の探求、さらに瞑想体験を成立要因として生まれた思想だと言ってよいと思います。

 あらゆる事象すべてが「深層心理」から作り出される・・・外界にあると思えるモノ、自身の心、見るもの、聞くもの、感じること、考えていること、すべては自身が考えているのではなく、実体を持たない深層心理が生み出したものと考えるのが、唯識的な考え方だと言えると思います。
 そして、唯識思想では、輪廻する主体をその「深層心理」としました。深層心理には人の業が染み着き、その染み付き具合によって、さまざまな因果が廻っくるのだと考えています。

 唯識思想は、実体を持たない深層心理が輪廻することで、無我だけど輪廻するという世界を解き明かした思想と言えると思います。
 そしてそれは、単につじつまあわせの理論ではなくて、瞑想体験に裏打ちされ、確信をもって説かれた、深層心理学だと言えるでしょう。

 思いつくまま書いてしまってまとまりないですが・・・取り付く島ぐらいにはなりますかね??

こんにちは。。

 仏教も、教えを広めるにあたって、インド古来からの輪廻の考え方を取り入れています。唯識思想が興る前から、仏教もまた、当時は輪廻転生とその輪廻からの脱出を説く教えとして認知されていたと思います。

 ややこしいところですが、仏教と輪廻の関係は、いろんな見解があって、一定ではないです。「方便」として、人々に広く信じられていた輪廻を取り入れた、と捉えることもできますし、お釈迦さまは本気で輪廻を説いたと考えることもできなくはないです。(自分はどちらかというと前者...続きを読む

Qキリスト教の方の他宗教についての考え方

キリスト教の方は、他宗教は一切信用しないのですか?聖書の中には、キリスト教は永遠に唯一絶対の存在である、偶像崇拝はいけない、というような内容が記されている箇所がありますが、キリスト教の方には、キリスト教以外の宗教を受け入れる、認めるということは難しいのでしょうか?
私の彼はアメリカ人でクリスチャンです。私のほうはもともと我が家が別の宗教をしており、小さい頃からその中で育ってきました。しかし、「神様はひとつ。全ての宗教の源はひとつ」という教えがあるので、私はキリスト教も仏教も全ては天地創造の唯一神からのものであると信じています。しかし、クリスチャンの彼には私のような考えが納得いかないようで、ちょっときついことを言われてしまいヘコんでしまいました。今はほとんどメールでのやりとりなのですが、その中で「クリスチャンにならないのなら一緒に歩いてはいけない」と。すごくショックでした。私は別の宗教をしているけれども、他の宗教から学ぶべきものもいっぱいあると思っています。そしてイエス様も信じているし、聖書だって読むし、教会にだって何度か行ったことがあります。しかし、彼は私が別のことをやっているというのに納得がいかないようです。仏教など他にもほんとの教えがいろいろあるだなんて信用ならないようです。私は私の教わっていること、思っていることを一生懸命に伝えましたが、まだ彼からの返事を待っている状態で、いったいどんな反応が返ってくるのかと、不安な気持ちでいっぱいです。クリスチャンの方から見れば、わたしみたいな考えかたは納得いかないもんなのですかね?

キリスト教の方は、他宗教は一切信用しないのですか?聖書の中には、キリスト教は永遠に唯一絶対の存在である、偶像崇拝はいけない、というような内容が記されている箇所がありますが、キリスト教の方には、キリスト教以外の宗教を受け入れる、認めるということは難しいのでしょうか?
私の彼はアメリカ人でクリスチャンです。私のほうはもともと我が家が別の宗教をしており、小さい頃からその中で育ってきました。しかし、「神様はひとつ。全ての宗教の源はひとつ」という教えがあるので、私はキリスト教も仏教...続きを読む

Aベストアンサー

> その中で「クリスチャンにならないのなら一緒に歩いてはいけない」と。

失礼を承知で、ストレートにお答えいたします。

あなたの彼が、本気で自分をクリスチャンだと思い込んでいるのなら、それはただのカン違いです。

ホンモノのクリスチャンなら、信仰は純粋に個人の問題であることも、キリスト教ほど自由な宗教は他に例がないことも、よく知っています。まして、恫喝まがいの言動で他人に信仰を強制することなど考え付きもしないでしょう。

> わたしみたいな考えかたは納得いかないもんなのですかね?

ホンモノのクリスチャンなら、(少なくとも宗教的な意味で)あなたを受け入れることに何の抵抗も感じないと思います。ホンモノのクリスチャンから見れば、納得いかないのは彼の方です。


人気Q&Aランキング

おすすめ情報