輪廻転生という考え方は、仏教のもののようですが、キリスト教にも
輪廻という考え方はあるのでしょうか?
キリストは死んだ後1度蘇ったという話を聞きますが、それとこれとは
関係がないのですか?
教えてください。
もし、キリスト教にそういう考えがないとしても輪廻を信じる人は
いるものですか?聖書以外にある信念は信じてはいけないものなんですか?

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A 回答 (12件中11~12件)

キリスト教と一口に言っても、多種に分裂していて、どれが本当の古来からのキリストの教えかわからないというのが今のキリスト教だと思います。

ですから、同じキリスト教の中には転生を信じている教派もあるかもしれません。
確かにキリストは一度死んで復活しています。イースターがそれですね。だからといってみんなが転生するとは考えていないかもしれません。それにキリストが生き返った話も実際確かめる方法がないので、あくまでも言い伝えだと思います。そこでキリスト教の国アメリカ人達はどう考えているかというと、精神科医の書いた「前世療法」という生まれ変わりを内容とする書物がベストセラーになったり、かつてはエドガ-ケイシ-(ノストラダムスより有名)という霊能者が転生を語っていてこの霊能者を信じる人は転生も信じていたのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

早速お返事ありがとうございます。
本当にキリスト教にはたくさんの派閥(?)があるようですね。
政治と宗教を混同したものや、国によって違うもの、教会なんかも色々ありますもんね。
私はキリスト教徒ではないのでほとんど聖書に対する知識がないのですが、イースターの日というのは
キリストが復活した日ということで祝福をするわけですか?他にも何か特別な意味はあるのですか?
輪廻を信じる人は意外と多いかもしれない、ということですね?
ryuitiさんが輪廻に関してどのような意見をお持ちなのか、もしまだご覧になっていたら教えてください。
ごちゃごちゃ言ってすいませんが、よろしくおねがいします。

お礼日時:2001/09/07 00:36

キリストの復活は輪廻とは違うものだと思います。


輪廻は死後、まったく別の人や別の生物に「生まれ変わる」ので、「蘇っ」たキリストは輪廻をしたことにはならないと思うのですが。
基本的にキリスト教では全ての人は死んだ後、「最後の審判の日」に蘇り、神の王国に行くのだと考えられています。
だから輪廻は信じないはずなのですが、実際には信じている人も結構いるのではないでしょうか?
また、聖書にある事柄以外のことを信じるのは、ひいてはYHVH以外の神を信じることにもつながるので厳密には許されないことなのですが、輪廻を信じることを厳しく禁じるような神父や牧師はほとんどいないとおもいます。
輪廻を信じたくなるような事態に遭遇した人に「それはちがう!」と否定してしまえばかえってキリスト教の信仰の妨げになることでしょうし。
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この回答へのお礼

早速お答えありがとうございます。
なるほど、確かにキリストは輪廻をしたわけではないですよね。
わかりやすいご説明ありがとうございます。
hebikeraさん、もしまだご覧になっていたらhebikeraさん自身が輪廻に関して
どのような意見をお持ちなのか教えていただけますか。
よろしくおねがいします。

お礼日時:2001/09/07 00:28

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Q輪廻転生の思想はいつごろから

一遍上人の出家したきっかけは、「独楽をみて、人の輪廻転生の運命に思いをはせたため」と聞きました。

すると少なくとも鎌倉時代には輪廻転生の思想が日本に根づいていたを思われます。
この輪廻転生の思想はいつごろから日本にあったのでしょうか?
仏教の教えの中にあったものでしょうか?

また世界的にみると、輪廻転生の思想はいつ、どこで発祥したものでしょうか?

Aベストアンサー

釈迦は「輪廻転生」について直接の言及はしていなかったといわれています.

しかしながら,輪廻思想はこれまで,いわば仏教のメタファーとして存在するかのように扱われてきましたし,そう解釈されてきました.

輪廻転生と宿業(カルマ)は表裏一体の考えであり,成仏することでカルマを克服し,輪廻を抜け出す(=解脱)のだとされてきました.(だからこそ輪廻を超克した仏が信仰されるのです)

輪廻転生思想の発端が仏教以前であるというのは定説ですが,これはアーリア人の一種のイデオロギーのようなもので,広くインド社会で受け入れられていました.このことからも,古代インドにおける新興宗教としての(釈迦入滅後の)仏教が輪廻思想を自明のこととして,自らの教義を整えていったのは自然なことなのかもしれません.

日本に移入された時期ですが,そもそも輪廻転生や宿業論と類似した思想は世界各地に存在します.古代ギリシャにも輪廻思想はあったといいますし,誤解を恐れず言えば,キリスト教における原罪も,宿業論につながる考えと言えるかもしれません.

その意味では,日本においても仏教伝来以前からの土着信仰に輪廻思想につながるものをみることができるでしょうし,そうした土台があったからこそ,日本において仏教が受けいれられたともいえるのではないでしょうか.
(ここでいう「日本」は=日本人という意味ではなく,地理的概念上,便宜的に使っているものです.)

ここらへんはさまざまに解釈が可能ですし,厳密には日本伝来の仏典解釈や,古代土着思想の解釈にもかかわってきます.
ひとまず大づかみですが,私は以上のように考えています.

釈迦は「輪廻転生」について直接の言及はしていなかったといわれています.

しかしながら,輪廻思想はこれまで,いわば仏教のメタファーとして存在するかのように扱われてきましたし,そう解釈されてきました.

輪廻転生と宿業(カルマ)は表裏一体の考えであり,成仏することでカルマを克服し,輪廻を抜け出す(=解脱)のだとされてきました.(だからこそ輪廻を超克した仏が信仰されるのです)

輪廻転生思想の発端が仏教以前であるというのは定説ですが,これはアーリア人の一種のイデオロギーのよう...続きを読む

Qキリスト教徒、聖書における死の観念

キリスト教徒の人は死をどのように考えているのか。
聖書では死はどのように受け止められているのか。

ある文献で「罪の報酬は死である」という聖書の文句・・・・
と書いてあるのを見たのですが、その他にもどのように
考えているのか、分かる方よろしくお願いします。

文献や、サイトなどを紹介していただけると嬉しいです。

Aベストアンサー

経験の浅いキリスト教徒として。

罪の報酬は死は聖書のなかに出てきます。
それなら人はみな死ぬんだからとお思いでしょうが、
私たちクリスチャン(というか、私)は、死は天国に行くことなので
決して忌まわしい物ではありません。
ですので、お葬式などもハレルヤ!という賛美の言葉とともに
苦しみから逃れ天国に上り、父なる神の御許に行くという
ことで、悲しみよりも喜びの気持ちから送り出すという形になります。

罪を犯した者の死とどうちがうのかというと
彼らは裁きを受け、天国の狭き門より入れないということです。

この場合の罪とは聖書などでいう罪で、実際の犯罪のことをさしてはいません。

たしかに実際の犯罪も罪ですが、一番の罪は
罪を犯し、悔い改めないことや、神様を信じないことですね。

未熟なクリスチャンの私の考えですが、ご参考までに。

Qなぜ輪廻転生が必要なのでしょうか?

なぜ輪廻転生が必要なのでしょうか?

私は輪廻転生という考え方が怖いです。(すみません……)
小学1年生で六道についての本を読み、子供ながら怖くなった覚えがあります。なぜ輪廻転生する必要があるのか、と考えています。丁寧に教えていただけると非常に嬉しいです。

Aベストアンサー

zakky74です。

観点固定・・・これ一つが中々に受け入れにくく、厄介なシロモノですね。

>確かに観点が自分に固定されている、というのはあります。あなたも昔は観術を学ぶ際に色々あったのですね。今からは想像できません。観点を変化するのが観術。これでやっと腑に落ちました。

しかし、この観点についての理解が進む事は、全てを理解する土台が飛躍的に高まります。分離されたモノの総和を理解するやり方ではなくて、観点一つだけを明確に理解するだけで全体を理解する姿勢は圧倒的に創られるものです。

b-w-stepさんの観点が、人間に固定されています。

ですが、もし動物に移動すれば、一体何が見えますか?
モノは?光は?細胞は?人間は?

本当に人間が見ている様に見えるのでしょうか?
その場合、人間の科学だけが本当に正しいのでしょうか?

もし植物に移動すれば、一体何が見えますか?
モノは?光は?細胞は?人間は?

人間が見ている様に見えているのでしょうか?

地球に移動して、地球から認識する時には?地球の認識方式では?
モノは?光は?細胞は?人間は?

太陽系・銀河系・宇宙・宇宙の外・・・に観点が移動して、そこから認識する時には?
モノは?光は?細胞は?人間は?・・・一体どう見えているのでしょうか?

人間が見ている世界は、一部ですし、部分ですし、真実の姿とは言えないのではないでしょうか?

その状態で

存在を確認する(脳の認識が働いています)。
名前を付ける。
覚える。
因果関係を規定する(判断基準が働いています)。
覚える。
因果関係に基づき、体系化を行う(判断基準が働く)。
覚える。

だから、次の様に思い切った事を言い切ります。

学術は、観点が人間に固定した時の認識方式しかまとめていません。
当然、物理学・数学・生物学・医学などもそうですし、ハリソン内科学もです。

それでは当然足りません!

人間の細胞は、人間が見ている細胞だけではありません。
他の全ての観点から見たときに見える人間の細胞こそが、真の人間の細胞です。


繰り返しますが、観術とは、観点を変化・運動・移動する認識技術です。
人間から観た人間の細胞を語る事も、当然にして出来ますよ。
それは2017年には確認できると思います。

>知っている、と思った瞬間に他の可能性を無視する。そして自信を持った瞬間に成長は止まる。これが人間なのかもしれません。

仰る通りです。

ですから、僕はよく観術からも離れます。僕が分からない事については素直に聞く様にしています。僕が知らないだけで、もしかしたら相手は知っているかもしれないからです。

このQ&Aでも何回がありました。

「最終理論を、明々白々に説明しているのは観術しかありません。」・・・これが僕の観点ですが、この観点自体も固定されているとそこから話は進みません。つまり、相手は最終理論を明々白々に説明できる存在かもしれません。この可能性を、僕は常に見ています。

ですので、最終理論について理解していたり、知っている節がある時には、観術の事をいったん置いておいて、まずは聞く様にしています。なぜならば、最終理論を明確に理解していて、しかも人に伝達可能な状態の場合には、人類の全ての問題を解消・解決する道までも明確に見えてしまっている為に、その喜びや可能性について共有したくて仕方がないからです。

歓喜溢れる心ですね。
人類500万年間の限界を突破した事の意味ですから。
涙だし、興奮ですし、感動はちきれんばかりです。

その事を分かるので、観術とは切り離す作業に切り替えます。

>>疑う程に逆に理解・納得が進みます。
>のは胸に響きました。他のサイトまで紹介してくださってありがとうございました。2017年をお待ちしています。

僕がそうでした。
また、観術に触れる多くの人がそうです。

信じて仰ぐ信仰は、妄信でとどまってしまいます。宇宙自然、人類文明歴史の何の整理もないままに、確信っぽい妄信で人生を突き進むから、69億人の幸せに及ばない程度の力しか発揮できません。

信仰よりは理解です。
天動説から地動説に移った事は、その事を教えてくれました。

ただ、学術的理解は信仰を抜ける意味ではそれなりに功を奏しましたが、まだ中途半端です。信仰・妄信よりは洗練されていますが、確信には絶対に至りません。ゆえに、学術からは輪廻転生や悟りについてノータッチです。

理解による確信。
その為には、疑問はとても大事です。
信じる事によって、疑問を有耶無耶にしたり曖昧にしたりする時代はもう終わりです。

b-w-stepさんの疑問については2017年の時には相当数晴れている事が、僕の目には観えています。その時の感動の出会いを楽しみにしています。

zakky74です。

観点固定・・・これ一つが中々に受け入れにくく、厄介なシロモノですね。

>確かに観点が自分に固定されている、というのはあります。あなたも昔は観術を学ぶ際に色々あったのですね。今からは想像できません。観点を変化するのが観術。これでやっと腑に落ちました。

しかし、この観点についての理解が進む事は、全てを理解する土台が飛躍的に高まります。分離されたモノの総和を理解するやり方ではなくて、観点一つだけを明確に理解するだけで全体を理解する姿勢は圧倒的に創られるものです。

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Qキリスト教信仰者の方に質問ですキリスト教を信仰するようになったきっかけとはなんですか?

キリスト教信仰者の方に質問です

キリスト教を信仰するようになったきっかけとはなんですか?

Aベストアンサー

私は洗礼は受けていません。
しかし、立派な信者と出会ったとき、自分も信者になろうかなと心が傾きました。
また聖書には多くの貴重な言葉があります。

Q輪廻転生

輪廻転生を信じている人に伺いたいのですが、どうすれば輪廻転生の流れから抜け出して二度と生まれてこなくなりますか?
本当に輪廻転生があるのかはわかりませんが、もしあったらイヤなので、質問します。

Aベストアンサー

悟りを開いて解脱をすれば輪廻の輪から解き放たれることができます。
ただこれは仏になるということなので、仏として仏界にあり続けることになります。
仏界は最上位の世界で大変居心地のいい世界ですが、同時に最も不安定な世界でもあります。
少しでも疑心を抱けば再び下位の世界に転落して輪廻の輪に捕われることになるのでしょう。
おそらくお尋ねの内容は輪廻転生の世界観の中で転生しないように消滅する方法はないかということなのでしょうが、この世界観のなかでそのような方法が存在すれば、世界観の中に矛盾を生じてしまうため、存在しようがないのではないでしょうか。

Qキリスト教を信じておられる方に質問です。

キリスト教を信じておられる方に質問です。
下のような疑問に対してどう考えられているのでしょうか。
(1)神とは何でしょうか。絶対唯一神がすべてを造った。そして神は全知全能、完全であり
愛であり、善である、等等いっておられますが、その存在の因果関係、神の実体は全く
明かされていません。もし本当に完全な神が私たちをつくったというならば何故、生まれながらの
不平等や一生、不幸の宿命に泣く人がいるのでしょうか。
(2)キリストの贖罪愛で地上の罪は消えたはずなのに、いっこうに減らずますます複雑多元化している
事実。
(3)キリスト教では、よう信仰が深まれば死に
直面しても驚かないとか、不安に耐えうるとかいってるが、それはすべて
あきらめの結果であるのではないか。
(4)キリスト教には現実の生活を変える力がない。生活の
苦悩をいいわけする論理をくみ上げてあるだけである。 現世の宿命すら
転換することができないのだから、まして天国などという来世の保証など
およびもつかぬ話である。というのに反論できるのでしょうか。
(5)宗教の究極である生命に関して、
紀元前4年に誕生したキリストの母は、処女マリア、
父は神であったという。 そして三十歳ではりつけになったキリストは、三日目に
復活し、1ヶ月後には昇天したとしている。 たんなる科学の常識から考えても、
まことにバカらしい話であるが、キリスト教では、これをそのまま信じている人も
あれば、宗教上の一表現として、合理化した解釈をたてたりしている。 しかし
どんな理屈をつけようと、宗教の教義は万人の納得する普遍妥当性のある哲学
でなければならない。仏法は生命とは何か、死後はどうなるか、原罪の幸、不幸はなにによって決ま
ったのか。 こうしたらあらゆる生命の状態を、因果のうえから解き明かし、そのうえ
で原罪の宿命を打開し未来の宿命を開いていこうとするものである。仏法に劣る教義ではないか。
(6)敵を愛せよというキリスト教が、教会に対立したガリレオ等、多くの科学者を迫害してきた事実。
(7)日本のキリスト教の町、長崎に、真っ先に原爆が投下されたこと。
(8)日蓮大聖人は竜の口で命におよぶ難に勝たれたが、キリストの死は悲惨きわまる横死であった。
(9)キリストの予言は1つよして実現していない。
(10)世界教会運動が提唱されているほどの内部不統一は、教義が無力だからではないか。
(11)清貧、精神愛を説きながら、ローマ法王庁が示してきた膨大の権力、圧政の歴史ついて。
(12)キリスト教各派中どれが正統主義のキリスト教か? 他派はみな邪義をかまえ、キリストに背く罪深き人になる道理だが・・・・。
(13)法の無力をカバーするために盛んに社会事業を行って民衆を迷わせているのではないか。
拙問ですが、おねがいします。

キリスト教を信じておられる方に質問です。
下のような疑問に対してどう考えられているのでしょうか。
(1)神とは何でしょうか。絶対唯一神がすべてを造った。そして神は全知全能、完全であり
愛であり、善である、等等いっておられますが、その存在の因果関係、神の実体は全く
明かされていません。もし本当に完全な神が私たちをつくったというならば何故、生まれながらの
不平等や一生、不幸の宿命に泣く人がいるのでしょうか。
(2)キリストの贖罪愛で地上の罪は消えたはずなのに、いっこうに減らずますます複雑...続きを読む

Aベストアンサー

ごめんなさい。
信者じゃ、ないんですけどいいですかね。

イエズス会が来日して、布教活動をしたんですけど、
日本人に反論、質問され、信者にするのに四苦八苦したそうです。
参考までにその理由を掲げておきます。

1,天地のすべてを創ったのなら、なぜ悪人を創ったのか。
  神の手落ちではないのか。
2,キリスト教が誕生する以前の人間は、救われないのか。
  それでは、我々の先祖は救われないではないか。
  救われる、とすれば、入信する意味もない。
3,天地のすべてを創ったのが神だとすれば、神は
  誰が創ったのだ?
  神は自ずから誕生した、というのなら、天地も自ずから
  誕生した、といえるのではないか。

その他)
1,日本人は絶対悪である悪魔の存在をどうしても理解できなかった。
  悪なんてのは、相対的なものだ、ということが解っていたみたいだ。
2,キリスト教が侵略の手先になっている、という他
  イエズス会が、日本人を奴隷として海外に人身売買
  しているのが発覚し、秀吉が激怒して、以後の弾圧に
  向かった。

Q輪廻転生を信じている方で、人間は何のために輪廻転生を繰り返すと思います

輪廻転生を信じている方で、人間は何のために輪廻転生を繰り返すと思いますか。

Aベストアンサー

はっきり言えば、わかりません。
もしかしたら、たましい そのものが存在し続けるためには、
入れ物(肉体)を、必要としているからかもしれません。
又、
沢山の生物が存在するけれど、
たましい の数に限りがあるか?、増えるのにもの凄く長い時間が、
必要なのかもしれません。

輪廻転生を信じる、信じないは、別として
生前の前の記憶を持って生まれてくる人が居ることは、
事実のようです。
ただ、どうゆう分けか、大きくなると忘れてしまうようです。
よって、科学的には、実証できませんので、
なにも、答えは、ないです。

Qユダヤ教キリスト教イスラム教について

今この宗教の人たちが戦争したら勝つと思いますか?
国とか関係なく信者たちでの戦いを想定して

Aベストアンサー

どうなんでしょうね…?
“宗教”と一口に言っても蓋を開けば意見の相違によって更に枝分かれしていますから、利害が一致すればそれぞれの一派が手を組んで…という事もあり得ますから
確かに何処の宗教も侵略等を行った際は、ごく一部を除き土着していた神々を悉く悪魔に変えてきましたが(代表的な例がベルゼブル:元はカナン人(パレスチナの先住民族)が崇めていたヘブライ語で“館の主”や“神殿の王”という意味で“バアル・ゼブル”という神だった『ウガリット神話』)、しかし異教徒だからといって敵になるとは限りません
実際に異教徒の土着していた神の中には、悪魔にならずそのまま天使・神であり続ける事の出来た神がおりますから
残念ながらそれが誰かは覚えていませんでしたが…

Q輪廻転生と唯識

輪廻転生と唯識の関係について教えてください。

輪廻転生はヒンズー教の思想で、唯識は仏教の一派ですが、
どのように関係しているのでしょうか。


また、輪廻転生と唯識を説明したいのですが、
どのような切り口で、どう説明すればよいかわかりません。
私自身殆ど知識がなく、相手も初心者(20代)です。

Aベストアンサー

こんにちは。。

 仏教も、教えを広めるにあたって、インド古来からの輪廻の考え方を取り入れています。唯識思想が興る前から、仏教もまた、当時は輪廻転生とその輪廻からの脱出を説く教えとして認知されていたと思います。

 ややこしいところですが、仏教と輪廻の関係は、いろんな見解があって、一定ではないです。「方便」として、人々に広く信じられていた輪廻を取り入れた、と捉えることもできますし、お釈迦さまは本気で輪廻を説いたと考えることもできなくはないです。(自分はどちらかというと前者。)

 仏教の説く輪廻は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道輪廻が有名です。
 表向き、仏教は輪廻転生を繰り返す世界を「苦」とし、輪廻から脱して転生しない世界に安住することを「悟り」として、悟りを目指して実践を積むよう奨め、説きます。

 「表向き」としたのは、仏教は一方で「無我」を説いているためで、これは輪廻転生とは相反する考え方になります。
 物事には不変の実体はなく、縁によって変転するのみ、と説く無我説では、「輪廻する主体」が想定されていません。

 輪廻する主体は何だろう?何が輪廻するのだろう・・・これは仏教にとって極めて重大な問題となりました。

 唯識は、仏教元来の唯心論的な傾向と、無我説をさらに推し進めた大乗仏教の空思想、輪廻の主体の探求、さらに瞑想体験を成立要因として生まれた思想だと言ってよいと思います。

 あらゆる事象すべてが「深層心理」から作り出される・・・外界にあると思えるモノ、自身の心、見るもの、聞くもの、感じること、考えていること、すべては自身が考えているのではなく、実体を持たない深層心理が生み出したものと考えるのが、唯識的な考え方だと言えると思います。
 そして、唯識思想では、輪廻する主体をその「深層心理」としました。深層心理には人の業が染み着き、その染み付き具合によって、さまざまな因果が廻っくるのだと考えています。

 唯識思想は、実体を持たない深層心理が輪廻することで、無我だけど輪廻するという世界を解き明かした思想と言えると思います。
 そしてそれは、単につじつまあわせの理論ではなくて、瞑想体験に裏打ちされ、確信をもって説かれた、深層心理学だと言えるでしょう。

 思いつくまま書いてしまってまとまりないですが・・・取り付く島ぐらいにはなりますかね??

こんにちは。。

 仏教も、教えを広めるにあたって、インド古来からの輪廻の考え方を取り入れています。唯識思想が興る前から、仏教もまた、当時は輪廻転生とその輪廻からの脱出を説く教えとして認知されていたと思います。

 ややこしいところですが、仏教と輪廻の関係は、いろんな見解があって、一定ではないです。「方便」として、人々に広く信じられていた輪廻を取り入れた、と捉えることもできますし、お釈迦さまは本気で輪廻を説いたと考えることもできなくはないです。(自分はどちらかというと前者...続きを読む

Qキリスト教の方の他宗教についての考え方

キリスト教の方は、他宗教は一切信用しないのですか?聖書の中には、キリスト教は永遠に唯一絶対の存在である、偶像崇拝はいけない、というような内容が記されている箇所がありますが、キリスト教の方には、キリスト教以外の宗教を受け入れる、認めるということは難しいのでしょうか?
私の彼はアメリカ人でクリスチャンです。私のほうはもともと我が家が別の宗教をしており、小さい頃からその中で育ってきました。しかし、「神様はひとつ。全ての宗教の源はひとつ」という教えがあるので、私はキリスト教も仏教も全ては天地創造の唯一神からのものであると信じています。しかし、クリスチャンの彼には私のような考えが納得いかないようで、ちょっときついことを言われてしまいヘコんでしまいました。今はほとんどメールでのやりとりなのですが、その中で「クリスチャンにならないのなら一緒に歩いてはいけない」と。すごくショックでした。私は別の宗教をしているけれども、他の宗教から学ぶべきものもいっぱいあると思っています。そしてイエス様も信じているし、聖書だって読むし、教会にだって何度か行ったことがあります。しかし、彼は私が別のことをやっているというのに納得がいかないようです。仏教など他にもほんとの教えがいろいろあるだなんて信用ならないようです。私は私の教わっていること、思っていることを一生懸命に伝えましたが、まだ彼からの返事を待っている状態で、いったいどんな反応が返ってくるのかと、不安な気持ちでいっぱいです。クリスチャンの方から見れば、わたしみたいな考えかたは納得いかないもんなのですかね?

キリスト教の方は、他宗教は一切信用しないのですか?聖書の中には、キリスト教は永遠に唯一絶対の存在である、偶像崇拝はいけない、というような内容が記されている箇所がありますが、キリスト教の方には、キリスト教以外の宗教を受け入れる、認めるということは難しいのでしょうか?
私の彼はアメリカ人でクリスチャンです。私のほうはもともと我が家が別の宗教をしており、小さい頃からその中で育ってきました。しかし、「神様はひとつ。全ての宗教の源はひとつ」という教えがあるので、私はキリスト教も仏教...続きを読む

Aベストアンサー

> その中で「クリスチャンにならないのなら一緒に歩いてはいけない」と。

失礼を承知で、ストレートにお答えいたします。

あなたの彼が、本気で自分をクリスチャンだと思い込んでいるのなら、それはただのカン違いです。

ホンモノのクリスチャンなら、信仰は純粋に個人の問題であることも、キリスト教ほど自由な宗教は他に例がないことも、よく知っています。まして、恫喝まがいの言動で他人に信仰を強制することなど考え付きもしないでしょう。

> わたしみたいな考えかたは納得いかないもんなのですかね?

ホンモノのクリスチャンなら、(少なくとも宗教的な意味で)あなたを受け入れることに何の抵抗も感じないと思います。ホンモノのクリスチャンから見れば、納得いかないのは彼の方です。


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