芸術という言葉をよく耳にします。
芸術性が高いとか、芸術的とか、芸術点とかいいますね。
でも説明せよといわれても、うまくできません。
どなたか簡単にうまく説明してください。
どういう価値観に基づいているのでしょう?
そもそも定義があるのでしょうか?

また芸術の反対語は何になるでしょうか?
生活ですか?
そう考えるのは、芸術とは少なくとも生活するのに役にはたたないものだと思えるからです。
日常で使う道具は芸術でないと思います。
使わずに鑑賞するものに芸術が多いようです。

世界でもっとも芸術的(最高芸術)と呼ばれているものは何ですか?
芸術は民族によって変わってきますか?

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A 回答 (4件)

20世紀芸術の一大ムーブメントとしてキュビスムがある。

ピカソやブラック、デュシャン等の絵画を見たことがあるだろうか?あの角々した多次元的な視点を持った絵画群のことである。彼らに影響を与えた思想は四次元思想である。人間が捉えうる三次元の知覚に拡大と自由を与えるものとしてこの四次元の思想がもてはやされたのである。
僕が思うに芸術というのは「世界認識を根源的な“創造する衝動の発露”とした表出の形態」のことを指すのではないかと考えている。したがって創造するその根源に「どういう世界認識があるのか?」これがその芸術の質になるのである。
わたし達は美しいと感じるものを見たり聴いたりする。しかし花や鳥の声をきいて即ち「芸術だ。」というのには違和感を感じ、芸術的であるというに留まるのは上記のような理由からなのである。つまりそれらが「世界認識を根源的な“創造する衝動の発露”とした表出の形態」ではないからなのだ。

反対語を考えるのはナンセンスではないだろうか?人の反対語はなんですか?と同様にその語の含まれるコンテキストによって変わってくるだろうし場合によっては反対語が存在しないこともありえると思う。

>芸術とは少なくとも生活するのに役にはたたないものだと思えるからです。
>日常で使う道具は芸術でないと思います。

マルセル・デュシャンを含めたのレディ・メイドの作品は日常で使う道具にそのまま名前を入れただけのような作品が少なくない。日常で使う道具は芸術でないとするのは早合点のようである。

>世界でもっとも芸術的(最高芸術)と呼ばれているものは何ですか?

20世紀の最も影響力のあった芸術家はマルセル・デュシャンと言われている。前述した「世界認識を根源的な“創造する衝動の発露”とした表出の形態」を芸術の定義と仮にするならばデュシャンの「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」(大ガラス)あたりはどうだろうか?

>芸術は民族によって変わってきますか?

民族によってその価値が変わってくるのか?という意味だろうか?
現実的に言えば提示された世界認識が理解不能と判断されれば価値の無いものとして扱われるだろう。
しかし論理の上では普遍だと考えている。世界認識とはつまるところ人間の知覚にかかわることであり、文化に左右される次元のみならず、人間の普段知覚できる三次元的世界を超越した何かを提示できるかどうかさえをも範疇としたものだからである。それは民族にとっての価値ではなく、人間にとっての価値なのである。よって芸術は民族によってその価値は変わらないと僕は考えている。

上はもし参考になればよいです。
僕もいつもこのことについて考えていて、なかなか答えが見つからず、上記もとりあえず今のところの僕なりの見解といったところなのです。真理とは何か?そう問うところから出発して今のところ上記にたどり着いた次第です。
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 芸術とは、心の内にたぎる思い(感性)をそのエネルギーによって最も力強く忠実に表現することでしょう。



 心の内にある原始的なイモーションをそのままなんのためらいもなく素朴に表現したものも芸術の範疇に含まれるものの、これに知性が加わればさらに深く複雑な表現を求められることになり、表現されたものにはそれだけ深い思いが込められることになると思われます。

 「芸術は美なり」という解釈もありますが、「美」は時代や社会背景によってその評価が変わりますので、芸術とはという問いへの正解とは一概に言えません。

 芸術的とは、心の内なるものの質(感性)とその表現上の技術が合いまったもの。
 表現されたものが他人に共感を覚えさせた時にはじめて芸術的と評される。その段階で表現する行為を芸術性と呼びます。

 芸術点とは、表現されたものによって他人が共感を覚えた時、その表現行為の質をある基準値に置き換えて、数字などによって評価することと言えばいいかと思います。

 芸術は純粋な表現行為ですから反対語はないと思います。反芸術などという言葉もありますが、これ自体第三者の規範に基づいた評価であるため、時代や社会背景、あるいは環境の変化などによってその意義や評価基準自体が変化してしまいます。

 芸術はそれを日常使用するものという条件のもとに発露し表現されるものではないので、もちろん最初から使う道具として表現されるということはまずありません。
 ただし、最初からお金を得るために表現する芸術ということはありますが、これを純粋な芸術というか否かはかなり難しいものです。なぜなら、一般の大多数の人にはできない表現で、(美しいと感じさせることによって)多数に快感を与えるというところに存在価値があるからです。

 また、最初から使う道具として機能やその時代における姿の美しさを求める行為は一般的にデザインと呼ばれ、その直訳で言えば「設計」の一種、芸術ではなく技術の範疇に含まれる行為と言えます。

 ただし、最初から使う道具としてデザインされた道具でも、時代での評価によって他に得がたい「美」があると評価される場合、その器具は芸術の域にあると評価され、美術品と呼ばれることは多くの例があります。この場合、評価される時代が長いほど、芸術性が高いと言えるでしょう。

 この世界で至高の芸術と呼べるものをわたしはまだ知りません。

 芸術は民族や人種が持つ独特の感性に深くかかわり、なかでも宗教と密接な関係が見られます。敬虔な信仰心という純粋なイモーションが豊かな感性や想像力を育て、たくましくし、そこから優れた表現が生まれてくるのではないでしょうか。
 
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自然を描いている、しかし心に印象深く刻まれるのはその自然の風景ではなく、作家が表現する何か。

技法や偶然ということもあるけれども、芭蕉の俳句のように、言葉や素材によって、その言葉や素材を超えたものが表現され感銘を与えるもの。まぁ、こんなところでしょうか。だから、芸術作品は世界中で数えられるくらいしかありえないはず。

回答になっているかどうかよくわかりませんが、定義としてはこんなものだろうと考えます。
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>そもそも定義があるのでしょうか?


個人的解釈ですが…
一言では、対象を一旦抽象化して、具象化する技。
平たく言うと、思いを込めて表現したいエッセンスを抽出していること。
名前の通り、芸ですから技術に裏打ちされた表現であること。

>また芸術の反対語は何になるでしょうか?
「芸術」の反対は、「自然」かしら?
芸は必ず人のINPUT、OUTPUTを通すので、人工的だと考えました。
というわけで、人の手を介した抽象表現として考えますと、
生活の中にも芸術はあると思います。
例えば、商業デザイン(食器や家具など)と呼ばれているものは、
機能を追求した結果が、デザインという抽象化に結びついている
と考えます。

>世界でもっとも芸術的(最高芸術)と呼ばれているものは何ですか?
「もっとも芸術的」については、
ある程度、表現の技術的なことで甲乙は付けられますが、
抽象化については、自分はまったくそのように捉えられなくても、
作品の作者は、そう捉えたということは考えられるので、
この良し悪しの判断はつけられないと思うのです。
もしあるとすれば、芸術作品を見ることに長けた
(技術を判断する目、抽象化を読み取る力を持つ)専門家が、
「良し」といったものになるのでしょうね。私も知りたい!

>芸術は民族によって変わってきますか?
「芸」は地域によって様様であり、
またそれをよしとするか文化によって価値観も異なりますので、
各地域、各時代に様様な芸術が存在すると思います。

ただし、「美」は普遍だと考えています。
芸術以外にも「美」は存在しますよね。例えば花の美しさ。
時代を経ても、場所を越えても通用するものが「美」なのでしょうが、
言葉で定義するのは私自身も一生の課題です。

とりとめなくなりましたが、お役に立てましたら幸いです。
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Q芸術性と知性との関係

やはり、セットでしか考えられませんか?
必然的に、高い芸術性には知性の裏打ちが必要となりますか。あるいは、少数例は除いて、それが王道ですか?

Aベストアンサー

#11さんのコメントに付いてのコメント:

昔、私の先生がノーベル賞をもらった朝永振一郎の頭の良さにについて面白いことを言っていました。「頭が良いとは何か」ということに付いてです。それなりの寄与を成し遂げた物理学者は、皆自分は頭が良いと思っています。そのように自分に自信を持った人達が朝永さんと議論をしてみて、そのほとんどの人が朝永さんは頭が良い、と言うのです。だから朝永さんは頭が良いといってもいいのだ、というこでした。要するに、頭の良し悪しは多数決で決まるというのです。ただし、この選挙に参加できる人は、自分の頭に自身のある人達だけです。

私がこれを聞いたとき、芸術も同じだと思いました。例えば、私自身がリンゴを描くことを私のライフワークとしていたとします。何百枚も何千枚もいろいろなリンゴを描き続けて来て、自分にはリンゴを描くについて自信を持っているとします。この私がある展覧会で他の人の描いたリンゴを見て(あるいは、キュウリの絵を見て)、このような絵はまだ自分には描けないと、舌を巻きびっくりしたとします。その場合、その絵が芸術的に優れている可能性は高いでしょう。でも、それは自信があるとは言え、まだ私一人の意見です。さて、このように、「リンゴ」等にこだわり続けて来た人が何人も、その絵が凄いと言ったとします。その多数決によって、その絵は芸術的に優れていると結論できます。理由は分かりませんが、歴史的に見て、その分野に自分を捧げて来た人達の意見は以外に収束するようです。例えば、最も優れた作品を5つ選べと言われたら、順位はともかく、1~2個位の作品が共通に選ばれているようです。

そこで、次の定理がありそうです:
作品の芸術性の高さは、受け手の多数決によって決まる。ただし、その選挙の有権者は、自分を何かに捧げ続けて来て、自分の判断に自信がある者だけである。

ゴッホの絵のように、彼が生きている間は彼に票を入れた人は殆どいませんでしたが、彼の死後、当選ラインを大幅に超えて彼は議席を確保できました。彼が目指したのは芸術的知的究極であり、現世的な利益ではなかったので、彼はともかく、作品が残された我々にはそれで良しとすべきでしょう。(でも彼は『生きているあいだに理解されたかった~』とぼやいているかも知れません)

その分野に関して経験に培われて身に付いた自信のを持っていない殆どの人達は、その作品を「善し悪し」で判断しているのではなくて「好き嫌い」で判断しているので、その芸術的価値とは関係ない判断だと思います。例えば、家のかみさんの容貌を私は好き嫌いで判断していますが、それを美学の立場から判断をしてはいません。この辺をごちゃ混ぜにしてしまうと、なぜゾウじゃ駄目なんだと言い出してしまいそうですゾオ。

#11さんのコメントに付いてのコメント:

昔、私の先生がノーベル賞をもらった朝永振一郎の頭の良さにについて面白いことを言っていました。「頭が良いとは何か」ということに付いてです。それなりの寄与を成し遂げた物理学者は、皆自分は頭が良いと思っています。そのように自分に自信を持った人達が朝永さんと議論をしてみて、そのほとんどの人が朝永さんは頭が良い、と言うのです。だから朝永さんは頭が良いといってもいいのだ、というこでした。要するに、頭の良し悪しは多数決で決まるというのです。た...続きを読む

Q芸術とは何か。

この前カンブリア宮殿に『村上隆』さんが出演されていました。
その中で彼の絵が1億3000万円という信じられない値段で売れていきました。

正直信じられなかったのですが色使いは綺麗と言えなくはなかったし
『芸術とはこういうものか』と無理やり納得させたのですが
その後にでできたGEISAI入賞者のロッカクアヤコさんの作品は
『これでいいのか?』と正直目を疑いました。

私は芸術というものがわかりません。
写実的なものはうまいと思うし、色使いがいいものは綺麗だと思います。
しかし抽象絵画などは見てもよくわかりません。

芸術とはいったい何なのでしょうか?
皆さんの意見をお聞かせください。

Aベストアンサー

芸術って胡散臭い世界ですよね。
スポーツならいくら屁理屈こねようが記録が出なかったら「だってお前弱いじゃん」で、優劣がすぐ分かってしまうのですが、芸術はいくら多くの人が「は?これ下手じゃない?」って感じてても、本人が「君には理解出来ないんだ」と主張したら、完全に否定することは出来ないし。

怖いのはその作品に興味を示す、金持ちが一人居ようもんなら、下手するとそれが「一億の作品」になってしまうんですよ。

私は一部の訳わかんない芸術作品は「激辛カレー」なんじゃないかと思うんですね。

つまり、超激辛カレーって「まともな舌」を持ってる人には、美味しくもなんともないんですよ。
しかし、もう舌がマヒするほどの激辛マニアにとっては、辛ければ辛いほど、そう、一般人にとっては味とはもはや言えないくらいの超激辛こそが、全身を揺さぶるほどの「まさに究極の味」になってしまうんです。

そしてここに、たまたま、間違って成金になってしまったが、芸術も何もわからず、もう金が余っちゃってどうやって使おうかも分かんない??みたいな変な金持ちが、たまたまその作品に「ピ~ン!」ときてしまったら・・・

そう、その訳分かんない作品は「高額芸術」になってしまうのです。

でもね、やはり本当の芸術と「たまたま」それが時流や運に乗ってしまい、売れてしまったものって違いあると思いますよ。

以前聞いた話なんですが、ある高校に、子供の頃からその才能を認められて、書道の英才教育を受けている少年がいたんだそうです。
彼は、休み時間とかでも年がら年中空間に指で図や字を書く練習をしていたんだそうです。

彼の作品を見ても「へ~、これが良い書なのかね~」なんて周りの友人は思っていたそうなんですが・・・

ある日数学の時間に、教師に指名されたその少年が黒板に描いた円の図形を見て、皆がほ~っと感嘆の声を挙げたんだそうです。
なんでも、そこにはまるで印刷でもしたような美しい円が描かれていたんだそうです。

そう、そういう地味な訓練が下地にあってこその芸術だったらしいんですね。

ピカソの幼少時の絵なんかも、見ると「は?これが小学生や中学生の歳の子供が描けるの??」ってくらい、まるでどっかの遺跡や歴史建造物の壁画にでも描かれた絵みたいに上手いです。

話はズレますが、昔、生まれて初めて世界トップレベルのバレエを見た時、踊りや芸術には素人の私でさえ、感嘆してしまいました。
「なるほど。幼少時から血と汗で鍛え抜かれたトップバレリーナってのは、こんなにも凄いのか」と。

正直、中学校くらいで学校の勉強に落ちこぼれて、たまたま「オレは踊ることが好きなんだ」なんて能書き言って、駅前の広場とかで、ただ自分がやりたい時に好きで踊ってて、たまたま少しセンスと運動神経が良かったなんて勢いで「プロのダンサー」とか言う職業をやってるのと、
涙を流して、足先から血を流しながらも世界のトップに立つバレリーナって、明らかに違うんですよ。

それはちょうど、小さな頃から血のにじむ努力をして金メダルをとる柔道やマラソンの選手は、やはりチャラチャラとスケボーで遊んでいるうちにオリンピック出ちゃったような某選手とかは違いを感じるのと同じだと思います。

芸術に関しても一緒だと思います。
本当のプロとして、芸大や音大のトップ連中の中で勝ち抜いて来たアーティストと、たまたま芸能人で名前が売れているうちに「絵に興味を持って」とか、街中で壁にスプレーでいたずら書きをしているうちに「アーティスト」なんて言われるようになったアーティストでは、そこに雲泥の差があるのではないでしょうか?

芸術って胡散臭い世界ですよね。
スポーツならいくら屁理屈こねようが記録が出なかったら「だってお前弱いじゃん」で、優劣がすぐ分かってしまうのですが、芸術はいくら多くの人が「は?これ下手じゃない?」って感じてても、本人が「君には理解出来ないんだ」と主張したら、完全に否定することは出来ないし。

怖いのはその作品に興味を示す、金持ちが一人居ようもんなら、下手するとそれが「一億の作品」になってしまうんですよ。

私は一部の訳わかんない芸術作品は「激辛カレー」なんじゃないかと思うん...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q芸術の必要性

最近の疑問なんですが、芸術とは音楽、絵画、彫刻、映画、劇などはば広い意味があると思うのですが、なぜ人は芸術を生活の中に取り入れてるのでしょうか?私が思うには、人の気分や雰囲気を変えるためや歴史などの知識を得るため、あと商売のためだと思います。ほかの意見を聞いてみたいです。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

臨床心理士の河合隼雄先生と詩人の富岡多恵子さんの往復書簡の中で、

人間は2分割したり、区分けし、規定することを好む。
(男と女とか、善悪とか、社会の役割とか、何かの組織とか)
その固まった区別をカキマゼルのが芸術だ

という話が出てきました。


知識を得るとか商売にするとかもあるかもしれませんし、結果的にそうなる場合もあると思いますが、根本的というか、最初はそういうもののためではありません。

鑑賞する側は「取り入れる」という感じでしょうが、創っている人のほうは芸術そのものが生活であり、人生なのだと思います。
外から取り入れるものではなく、(他の方もおっしゃっていますが)内側から勝手に生まれてくるものです。

岡本太郎さんとか読むと、画家の気持ちが書いてありますよ。
「芸術は爆発だ!」の意味が、この本でやっと分かりました。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4413021452/249-2535324-6753125

Q「すいません」と「すみません」どちらが正しい?

 タイトルにあるとおり、素朴な疑問になりますが、「すいません」と「すみません」ではどちらが日本語として正しいのでしょうか。分かる方ぜひ教えてください。

Aベストアンサー

もともとは「すみません」ですが、「すいません」と発音しやすく変えたものもたくさん使います。
話す時はどちらでもいいですよ。

ただ、私個人の語感で言うと、公式的な場では「すみません」の方がいいような気もします。「すいません」はちょっとくだけた感じかな。でも、これはあくまで私個人の語感。人によって、あるいは地方によっても感じ方は違うだろうと思います。

書くときはもちろん「すみません」にしましょう。

発音しやすく変化した発音の他の例としては
手術(しゅじゅつ→しじつ)
洗濯機(せんたくき→せんたっき)
などがあります。これも、話す時にはどちらでもいいです。「しじつ」「せんたっき」と書いてはいけませんが。

Q東京芸術大学ってそんなに凄いんですか?

中学校の美術の教師が東京芸術大学芸術学部美術学科卒業でした。授業中「俺は東大よりも難しい大学を出てる」とよく自慢していました。中学生の時はその意味が分かりませんでしたが、大学受験の時、その意味は分かりました。ただその先生のことは本当に嫌いでした。そんな凄い大学出てても所詮は中学校教師。何が凄いのか分かりません。東京芸術大学でた人はどんなところで働くんでしょう?官僚になるわけでもなく、大手企業に行くわけでもなく・・・。いったい何をしてるんでしょうか?

Aベストアンサー

あてにならないウィキペディア情報ですが、出た人はだいたい以下のような仕事をしているようです。職業によっては、成功すれば、はぶりがよくなるでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E8%8A%B8%E8%A1%93%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E4.B8.BB.E3.81.AA.E5.8D.92.E6.A5.AD.E7.94.9F

ただし、東京芸大の、それも大学院卒の俳優である伊勢谷友介さんがテレビでおっしゃっていたと記憶していますが、東京芸大は貧乏人を算出する大学だそうです。つまり、極めて優秀な芸術家を輩出する大学なわけですが、そもそも芸術家は芸術を生み出す人なわけで、お金を生み出す人ではないので、お金儲けにはつながらないのです。

「難しい大学を出る=安定した生活を送る」という理論に基づいて考えれば、芸大は「難しい大学」ということには確かにならないかもしれません。でも大学は本来、学問をするところです。そして東京芸大が、人の心や感覚をゆさぶるような優れた芸術を生み出すための優秀な教育を施してくれるのは事実です。東京大学法学部を出ても優秀な芸術家にはなれませんが、東京芸大を出れば優秀な芸術家になれる可能性が極めて高いのです。そして、あくまでも芸術家として優秀なだけであって、優秀な教師を育てる大学ではありませんので、中学教師として劣っていたとしても、まったく不思議ではありません。

ちなみに、私の中学時代の美術の先生は、当時、現役の東京芸大院生でしたが、実践的なことと芸術的なことの両方を楽しく学べる工夫をしてくださった、人としてもすばらしい愉快な先生で私は大好きでした。今は東京芸大以外の芸術系の大学などで教えながら、たまに展覧会を開いておられるようで、作風は変わりましたが、当時と同じジャンルの芸術を生み続けておられるようです。

あてにならないウィキペディア情報ですが、出た人はだいたい以下のような仕事をしているようです。職業によっては、成功すれば、はぶりがよくなるでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E8%8A%B8%E8%A1%93%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E4.B8.BB.E3.81.AA.E5.8D.92.E6.A5.AD.E7.94.9F

ただし、東京芸大の、それも大学院卒の俳優である伊勢谷友介さんがテレビでおっしゃっていたと記憶していますが、東京芸大は貧乏人を算出する大学だそうです。つまり...続きを読む

Q野暮ってどういう意味?

野暮ってどういう意味なんでしょう?
色々調べてもわかりやすく記されていないで、
イマイチ理解できません。

例えば、無職の人にお金貸してって言うのは
聞く自体が野暮だよって。

あとゴホゴホ咳をして風邪を引いてると思われる人に
なんでマスクしてるの?って
言うのも言うだけ野暮だろって。

こういう使い方あってます?

Aベストアンサー

気が利かない、垢抜けない、空気が読めない、そんなことを「野暮」っていいますね。

例文だと、使い方が間違っているわけじゃあ無いけれどしっくりきませんね。
お金の無いひとが金を貸してくれないのは当たり前のことなのでここに「野暮」云々を持ち出すのは皮肉にもエスプリにもなりません。

お金持ちだけどけち臭いやつに金借りようとして失敗した人が他人に借金の首尾を訊かれて「訊くだけ野暮だよ」と答えるような状況の方がいいような気がします。

首筋を蚊に食われて赤くなっているのを「それキスマーク?」なんて訊くのも野暮ですね。「蚊に食われたんだよ」なんて答えるのも野暮ですね。

Q芸術の定義

 芸術の定義とは、何でしょうか?(個人的な意見で、構いません。)

 美術鑑賞の本等を数点読みましたが、今一理解出来ません。
既成を再構成する事が可能な物は、全て芸術という考え方が今の自分の考え方です。

Aベストアンサー

定義することがナンセンスだと思います。

Q「観点」と「視点」の使い分け

「観点」と「視点」は、どう使い分けたらいいでしょうか。用例なども含めて、教えてください。

Aベストアンサー

私の語感でお答えします。

私は、視点と観点の両方を用いますが、
視点の方は、「見る、目を向ける」という意味合いを
強く引っぱっているように思います。

視点を「考え方・見方」という意味で使う場合も、例えば、「視点をかえる」という場合、「こっちから見れば、こう考えられるが、発想を転換すると、異なる考え方もできる」という意味で用いる際、「表から見ていたものを、方向を変えて裏から見る」など、物事を見る場合の立ち位置――しかも矢印で表せそうな――見る際の方向を表すイメージがあります。

一方、「観点をかえる」といった場合、視点と同じ意味合いを持ちつつも、単なる方向だけではなく、「考える次元や、そもそもの思考の基盤をかえる」という意味が加わると思います。

したがって、私の語感では、例えば、「哲学とは無関係に思われた事柄を、そもそもの前提を見直して、哲学の立場から考察すると」という場合、「哲学的観点に立てば…」とは言いますが、「哲学的視点に立てば…」はやや表現の適切さに欠けるように思われます。
 ただし、「そもそもの前提を見直さないで、単に考えの方向を変えてみて」という意味でなら、「哲学的視点では」とも言えると思います。

視点と観点とは、totanさんが挙げた:
視る→まっすぐ目を向けてみる、一点を集中して見る。
観る→多くを並べてみくらべる、広く見渡す。
という漢字本来の意味内容をかなり正確に引き継いでいるのではないかと感じます。

以上、私の語感でした。

私の語感でお答えします。

私は、視点と観点の両方を用いますが、
視点の方は、「見る、目を向ける」という意味合いを
強く引っぱっているように思います。

視点を「考え方・見方」という意味で使う場合も、例えば、「視点をかえる」という場合、「こっちから見れば、こう考えられるが、発想を転換すると、異なる考え方もできる」という意味で用いる際、「表から見ていたものを、方向を変えて裏から見る」など、物事を見る場合の立ち位置――しかも矢印で表せそうな――見る際の方向を表すイメージがあります...続きを読む

Q西洋美術史の近代の前と後ではどう違うのか?

1週間で西洋美術史の範囲で
近代より前と後ではどのようにかわったのか?違いがあるのか?
をまとめると言うレポートを書いております。
私はまだ中3なので知識がなく
図書館の本で調べているのですが、
あまりよい本もなく途方にくれております。
少しでも知識がほしいです。
色々教えてください。

Aベストアンサー

♯2です。補足します。

 確かに、自由な芸術作品というのは、特にフランス革命を待たずとも、いくらでも存在していました。
 ボスにしたって、ダ・ヴィンチにしたって、どの時代にもあらゆる自由意志によって制作する権利は有していたと僕も思います。例えばルネサンス以前を暗黒時代なんて呼びますが、当時の人々が自由意志を略奪されており、日々封建体制に束縛されて幸福感を感じることすらできなかった、なんてことはありえないのと同じことです。実際、作品も残っています。
 
 フランス革命以後だって、ブルボン復古王朝が成立しますし、急に時代に線を画したように様式が変化することなどありえません。歴史は単線で語れるものではありません。ヨーロッパ全土をひとくくりに考えるなんて無理な話ですから。また、近代の線をどこに引くか、というのも大きな問題です。
 僕が書いた考えは、それを無理に単線にしてかなり単純化したものです。ですから、単にひとつの手掛かりとして考えてください。ひとつの意見だけに偏るのは危険なことですから。

>近代の芸術の顕著な特徴は、創作者自身の
様式への意識の芽生えだと思っています
♯3さんのこの意見には僕も賛成です。これを頭の片隅に置きながら調べていけば、ariarimikaさんのレポートの方向性がだんだん見えてくると思いますよ。

♯2です。補足します。

 確かに、自由な芸術作品というのは、特にフランス革命を待たずとも、いくらでも存在していました。
 ボスにしたって、ダ・ヴィンチにしたって、どの時代にもあらゆる自由意志によって制作する権利は有していたと僕も思います。例えばルネサンス以前を暗黒時代なんて呼びますが、当時の人々が自由意志を略奪されており、日々封建体制に束縛されて幸福感を感じることすらできなかった、なんてことはありえないのと同じことです。実際、作品も残っています。
 
 フランス革命以後だ...続きを読む


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