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種子島に鉄砲が2挺伝来したそうです。

1挺は地元で複製。
他の1挺は根来へ。
もう1挺は薩摩・将軍と渡り国友へ。
堺衆は種子島で研修。

質問は、伝来は2挺なれど、行く先では都合3挺。どこで間違っていますか?

A 回答 (4件)

最近は、種子島以前に、倭寇を通じていくつも南蛮製や中国製の鉄砲が日本に持ち込まれていたという説がありますし、すぐに日本が独自に発達させていた製鉄法やバネなどの部品を使った改良が行われて、たちまち南蛮製や中国製の銃より高品質なモノにしています。



そもそも地元での複製が1挺だけということはないでしょう。
種子島に鉄砲をもたらした南蛮人が、日本に鉄砲を売ろうと大量に持って舞い戻ってきたら、そのときにはすでに鉄砲が量産されていたという話もあるくらいです。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
諸説あり、明快な断定はできないのですね。

お礼日時:2022/08/31 16:38

> 質問は、伝来は2挺なれど、行く先では都合3挺。

どこで間違っていますか?

事実はいまとなっては、だれにも分からないでしょう。

種子島に到着した人からの鉄砲2丁の購入と、1丁の譲渡、その後の鉄砲製造法の伝授を受けて数十丁を作ったことは、記録にあります。
https://kuchinoerabu-jima.org/img/tepou.pdf
1回目のときは、使用法や火薬の調合法を学んでいますが、鉄砲の製造を試みても失敗し、翌年に来島した商人が鉄砲の製造法を知っていたので、それから学んで、数十丁の鉄砲をつくった。 その後に大阪の商人の使用人や畿内、関西だけでなく関東からも製造法を習いに人が来た そのように書いてあります。

park123さんは、自分ではwikiのみたり、ネット検索をしないで、知りたいことは他人に調査を任せるタイプなのでしょうか。
「種子島に鉄砲が2挺伝来したそうです。しか」の回答画像4
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。

お礼日時:2022/09/03 07:52

たぶん時系列の問題なのでは。


まず、伝来してから鉄砲A(1挺)は地元で複製の見本になり、鉄砲B(他の1挺)は根来へ。
その後、複製を作り終えた鉄砲A(もう1挺のオリジナル)が薩摩・将軍と渡り国友へ、堺衆は種子島で(複製した種子島銃を教材にして)研修を行う、という流れかと。
説明の文章も良くないですね。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうござました。
<時系列の問題>なのですね。

お礼日時:2022/08/30 11:50

あなたが「地元で複製」の意味を理解できないからでしょう。

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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。

お礼日時:2022/08/30 10:17

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