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中世ヨーロッパで質問です

フランスには三部会がありました。
議決権を貴族が1.聖職者1.庶民1
でそろえてました。
特権階級の貴族と聖職者が、税金を出したくないので、庶民が税金をさらに上乗せするしかなかったようですが、フランスの王は、それは無理があるとわかっていたと思います。

貴族に反発されたからと言って、何が怖かったのでしょうか?嫌われる勇気がなかったのでしょうか?
でも、中世ヨーロッパの王達はわりと、好き勝手に国民と交わした約束を破ったり、戦争したりとしたいようにしていたので、やろうと思えば我儘通せたのではないかなと思いますが…

何故、貴族やら聖職者に嫌われることを恐れて、そちらに税を課すよう働きかけなかったのでしょうか。

A 回答 (3件)

現代の中央集権国家のイメージでは測れない。



封建国家とは大河ドラマで語られる通り、諸侯がリーダーを推戴することによって成り立つ。

諸侯は自分の領土を守るのが第一。
リーダーを立てるのは「こいつを神輿に担いだ方が自分の領土を守れる」と判断するから。
もしそのリーダーが自分の領土を保証してくれないとなれば、諸侯はさっさと次の人間をリーダーに担ぐか自分がリーダーになり替わろうとする。
これが日本の戦国期に見られた「下剋上」の真実。

逆に言えば、リーダーは諸侯に嫌われればさっさと足元を払われる。
徳川将軍家は、諸侯を圧倒する兵力と財力をもって200年以上の平和を成し遂げた。
しかしそれでさえ永遠ではなかった。
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今でも、大統領や首相(国王)は、資産家・上級国民(貴族)と宗教団体(聖職者)の意向には逆らいにくい。

逆らったら次の選挙が恐いですからね。
中世の国王だって明日の命が危なくなるような行動はしたがらないでしょう。
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政治権力だけでは無く


資金力があったり、私兵を蓄えていたりする
封建領主が徒党を組んで国王に反抗したら??

実際に英国では国王を追放して、オランダの貴族を新たな国王として迎え入れたような事例もありますね
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この回答へのお礼

なるほどですね、それは結構こわい、ですね

お礼日時:2022/09/01 10:40

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