プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

こんにちは。
いつもお世話になっております。

私の妻一族は霊など宗教まがいな活動をしています。
お布施などは一族の先導者(義父の妹)が払ってるようなので実生活に影響が出ることはありません。

ただ、何か出来事があるに付けては
「ご先祖様の霊が降りてきたから、このような事件が起こった」
「霊が今年中に交通事故を起こすと言っているので気をつけるように」
「ほら霊の予言通り、事が起きたでしょ?」
など、関連付けて言っています。

私は幽霊のビデオを見るのは好きですが、実際に居るのか
分かりません。(見たことがないので)
科学的には存在せず、脳が捕らえる神経の信号云々という話に発展していくと思います。

しかし、妻一族は絶対に居ると言い張ります。
困った時はご先祖様が助けてくれると言います。
オカルトの世界になってしまうかもしれませんが、
本当に霊やご先祖様のご加護が存在するならば、信仰心が厚い方ほど幸せを約束されるという事じゃないでしょうか??

実際、信仰心が一番厚い義父の妹の息子さんは中学1年の時、イジメを受けてから不登校になり、ずっとニートしてます。

働かない、学校に行かない、行かせる努力もしない、なのにゲームを毎月買い与え、寝てる時とご飯食べる時以外、ゲームしてる感じです。
ゲームを売ったお金は自分の物だと、訳の分からない思考回路の持ち主です。

宗教とか霊を完全に否定している訳ではありません。
ただ実際、霊とか加護とかあるのでしょうか??
答えは出ないとは思いますが、いつもこの事で口論になるので皆さんの意見を聞いてみたい思い、投稿しました。

A 回答 (12件中1~10件)

いるかいないかは、実際のところ、どっちとしても科学的に実証されたわけでは無いですので、何ともいえません。

だから、個々人が自分の判断でいるかいないか判断するしかないと思います。
私個人としては、いてもおもしろいかなとは思っています。
まぁ、いなくても困らないかなという感じではありますけど。
ただ、幽霊がいるかどうかは別としても、お墓参りは意味があることだとは思いますけどね。
ご先祖様をまつるとか言う意味ではなく、そういう方々がいたということを思い出す機会として。
少なくとも、自分が生きている間に無くなった人を忘れないためにも、お墓参りは意味のあることだと思います。
私としては、おもしろければ、どっちでもいいです。
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霊など100%いません。


阪神大震災、スマトラ大地震、9.11テロなどの被害者を見れば一目瞭然です。
あれだけたくさんの方々が亡くなられておりますが、全員が無宗教で、何の信仰もしない人とは言えないでしょう。熱心に信仰されていた方々も多いと思います。

先祖に手を合わせる、感謝すると言った気持ちは、今生きている自分達が心の拠りどころとするために行っていると思います。僕自身も、もちろん仏壇やお墓に手を合わせますが、それは宗教や思想ではなく、自分への問いかけのような気がします。

親しい人や身内が亡くなれば、本当なら気付くはずです。亡くなった方は、決して手助けをしてくれる事はありません。
例えば、「霊となって現れて大洪水の中からすくいあげてくれた」「落下中の飛行機から自分だけ脱出させてくれた」などありえませんもんね^^

また、そういう思想の方々は、自分が亡くなったとき、身内を助けに来てくれるのでしょうか?
自分を信仰していない人以外は助けないとしたら、それこそまさしく暴力団の上納金制度と同じですよね^^;

霊も神様も仏様も、それはその人の心の中に存在するもので、言い換えれば「草花を愛でる」「お気に入りのヌイグルミに話しかける」様なもので、本人の気持ち一つだと思います。
ただ、そういったことをネタに人に嫌な思いをさせるのは問題ですよね。
最近流行の血液型で人を判断するのも同様です。
信仰心が厚く、どんどんのめりこんで、一部の思想だけが大きくなり、アンバランスに成長して行くと、周りの人々とのコミュニケーションがうまく行かずに、取り残される、というのはよくあることです。
まわりから取り残されるから、相手をしてくれるその思想集団にのめりこむ。悪循環です。

何か言いたい事が、少し外れてきました^^;
僕自身も、かわいがっていた弟を病気で亡くし、大好くなおばあちゃんを亡くしましたので、経験上自信を持って言えます。
霊は100%いません。居るとすれば、その人の心の中だけで、実際の現象として現れる事はありません!
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日本人として先祖を敬う事が大切です。

現在の日本はご先祖を敬う考え方が無いので、飛んでも無い犯罪が起き、自己中心的な考えで日本自体が解体しかねない状態です。もちろん家庭内も同様で先祖様を敬わない親を見て子供が育つのでその子供は親を大事にしません。結局年を取り子供に相手にされなくなり、やっかい物扱いされます。ですのでご先祖様を大事にする事が将来年を取った時に自分に返ります。そこでご先祖様を敬う事は仏壇をきれいにしお線香を上がることです。だからご先祖様はいるのです、自分自身の中に。
仏壇を大事に=先祖を敬うです。先祖を軽視する=将来家族に軽視されるです。ここをよく考えてうまく良いことを受け継ぎ、受け継がせなくてはいけません。行き過ぎた所があるように見えますが、そこはあなたの器でうまく子供に受け継がせて下さい。そうすることが結局は日本を変え救います。この事をしなかったために今の日本は駄目になったのです。
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霊の存在を信じる信じないは個人の感性、それを信仰するしないは個人の自由であると思います。


でも、信仰にかこつけて、自分で判断しない、出来ない人がいる事には疑問を感じます。
神様にお伺いを立てなければ何も出来ない、何か良い事があっても神様のおかげ。
その人たちの中では自主性だとか判断力だとか個人の努力でさえ否定される事があります

甥がこの春高校に進学しましたが、本人の努力にもかかわらず、甥に向かって「神様にお願いしておいたからお礼をしておくように」と言い放った親戚がおり、本人は後で泣いておりました。

私は熱心とは言い難いですが信仰心は持ち合わせております、しかし、神様、仏様は心の拠り所であって、頼って生きて行くものではないと考えます。
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霊が存在するかどうかは私には判りません。


ただまともな宗教であれば自助努力というものを要求されます。
例えば試験でも99%は普段の勉強の成果ですが、残りの1%の部分で霊的な見えない手があると思います。
前夜勉強したところが出たとか、判らないから感でレ点を入れたら当たったとか。
こうした結果は日々の行い、例えば町内の世話役を引き受けて人脈を広げるとか常に新しいものに興味を持って知識を広げるという努力によってもたらされる物で、あなたの奥さんの一族は1%の努力と99%の天運で結果を得ようとしてるように思えます。
>信仰心が一番厚い義父の妹の息子さん
 この方などこの典型ですね。
霊は敬うものですが、自分たちと同じ世界に引き入れてはいけないものです。
ただ私の友人にもいますが、宗教だけはなかなか説得することは難しく、周囲が道理を説いても納得しません。
私の友人も宗教が原因で貧しく結婚も出来ず、父親は病気が手遅れになって亡くなり、何のための宗教なのかと思うのですが、「自分の人生そのもの」とまで言うので、他人が入ることが出来ません。
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霊は見たことがないのですが、もしかしたらいるのかなと思ってます。

特に根拠はないですが。
でも霊が加護してくれるとか、悪いことをするとは思っていません。あくまでも何か行動を起こすのは人間だと思っています。

宗教に関しては、本当に神や仏がいるとは思っていません。いたら殺人やテロなんておきないと思います。

が、霊や宗教を信じることで自分の言動がより良いものになるのなら信仰することはかまわないと思います。
しかし、心のよりどころにしている人たちを金儲けの道具にしかみない悪徳霊媒師や宗教家がいる限り、私は心から信じることはないと思います。

また何かことがあると「霊の仕業だ」とか「罰が当たった」と悪いことばかりいう人は特に信じられません。
「お布施」だの「ご利益」だの言ってはお金を集めるような宗教も信じられません。
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霊が存在するかどうかはわかりません。



先祖を敬うことは大事です。

ただ奥様一族の信仰している宗教がカルトなのか

調べて勉強したほうがいいと思います。

カルトの場合、信仰心が厚いほど不幸になっています。

相手を知ったうえで議論されたらいいかと思います。
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皆さんが既に論じている様に、霊がいるかいないかはその方の気の持ちようだと思います。


ただ、私自身は霊の存在を信じている部分もあるし、(母が去年なくなったのですが)
その母に困った時には助けてくれるようお願いしていたりもします。実際幽霊を見たり、霊体験をしたことはないんですけどね・・・。

私が質問者さんのご家族に対して思うことは、なんでもかんでも霊のせいにしたり霊のおかげにしたり、「霊」を実生活に反映させすぎているということです。
信心ってもっと自分の中だけのもので、後は自分の努力で人生を切り開いていかなければいけないし、
そういう気持ちを持たなければいけないと思うのですが、ご家族の方は全て霊頼みですよね?
この世界を動かしているのは生きている人間です。
霊は(他の方も書いていましたがほんの少しそれを助けてくれる存在だと思います。
人によってそれをラッキーな偶然だと捉えたり、先祖霊や神様の手助けだと捉えたりするだけの違いだと思います。

ただ、宗教の問題は難しいですね。例え相手が「カルト」ではなく、普通の宗教の信者だとしても、宗派の違う人同士は宗教について話し合わない方がいいと思います。
私と友人も、仏教徒とキリスト教徒なので宗教についての考え方が違い、宗教の話をするといつも口論になります。
質問者さんも特に実生活に害(お布施を要求されるとか、道場に行くよう 強制される等)がないようだったら口を挟まずに静観しているのがいいのではないでしょうか?
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個人的な意見として。


霊界は存在しません。
神も仏も霊も人が作り出したものです。

「ご先祖様が~」「悪霊の祟り~」というのは、なにかあったとき責任転嫁したいだけです。
霊界と言う自分では手の届かないところからの影響ではどうしようもない・・・ということですね。

友人に某宗教の熱心な信者がいますが、何かあったときでも「神の罰だ」「信仰が足りないからだ」とはいいません。
「神様はいつでも見ている。それに恥ずかしくない生き方をするのだ」と言っています。
これが正解ではないかとおもいます。

「神仏は敬えど頼らず」
宮本武蔵の言葉です。
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この問題は、見たことがあるかないかが分かれ目のUFOとおなじことで、神秘体験をしたか、していないかの違いだと思います。

超常現象を否定する大槻教授を疑問に思うのは、霊魂のことにしても、科学的に霊魂らしきものを出現させたからといって、霊魂の非存在を証明したことにはならないのに、したかのように思っているからです。「霊魂らしきものを科学的にも出現させた」ことを証明してみせたにすぎないのですから。

一度きりですが、神秘体験をしています。京都の洛西に空也滝という大滝があって、白装束の行者が注連縄をくぐって水煙立ちこめるなかを滝へとあるくその足もとを落下したばかりの水が勢いよく洗っているといったふうの滝ですが、年配の行者ふたりに導かれて、わたしも滝に打たれたのでした。十七歳の悩み。そういうことをしてみたくなったのです。滝ちかくの家に四五日泊まりこみましたが、神秘体験は一日めの夜のことでした。

三枚敷き並べたその端のふとんで寝込んでいる私の足首が、いきなり、ものすごい力でおさえつけられたのです。金剛力とはああいう力をさすのでしょう。おさえつけているものの感じは、とても人間の手ではない。筋肉の存在を感じさせず、骨か鉄のような硬質のもの。それが力まかせに両足首をおさえつけたのです。息がとまり、上体がふとんから剥がれるように、のけぞりました。

驚くのはまだ早い、とでもいうように、つぎに、正体不明の手は、ものすごい迅速さで足を駆けあがってきました。それが人間技と思えぬのは、足首をおさえつけた力をすこしもなくさないままの迅速さだったことです。もしその手に鋭利な刃物がついてたら、いくつもの輪切りにされていたことでしょう。太股をかけ抜けた手はさっと消えました。

我にかえって、すばやく視線をはしらせました。行者のいたずらかと思ったのです。離れて敷かれたふとんはいずれも静かな盛りあがりを見せていました。朝になってその話をすると、「新米やから、驚かせてやれ、と狸でもでてきたのやろう」と笑っていました。

こんな体験をしたら、変わるのか変わらないのか。テレビで大槻教授の顔を見るたびに思います。
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