アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

【縄文時代の縄文人は貝塚からマグロとカツオを食べていたことが明らかとなっています】

縄文時代の縄文人はどうやって遠海魚のマグロとカツオを釣り上げていたのですか?

当時は船と網漁業が主で釣りは少なかったと思います。

そして驚くべきことは時代が進化した弥生時代の弥生人から江戸時代まで日本人は近海漁を食べていました。

要するに縄文人だけが遠海魚を食べれていたわけです。どうやって獲っていたのでしょう?

A 回答 (4件)

カツオ、マグロって遠洋魚ですか?



カツオは四国の沖から関東東北沖まで上ってきます。
江戸時代の俳人芭蕉は「鎌倉を生きて出でけむ初鰹」と詠んでいます。
5月6月頃、伊豆沖で取れるのが初ガツオです。

マグロも太平洋から日本沿岸を回遊して東北まで行きます。
東北大間岬で取れるのが大間マグロ、高級マグロです。

カツオもマグロも日本近海でとれる回遊魚です。
現代では遠洋漁業、冷凍加工が可能になったから太平洋マグロが日本の市場に出回っているだけです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

みんなありがとう

お礼日時:2022/09/17 20:15

小舟で釣りをしていたと考えられます。


釣りというよりも、中型の魚は、(狩猟のように)モリで突き刺す!
(突かれた痕跡も見つかっているし、モリも見つかっています)

(遠海ではなく)今でも、ちょっと沖に出るとマグロは釣れますよ!
TV特番の大型マグロではないですよ 笑 両手で抱えるぐらいのマグロです。


現代は乱獲/汚染/環境変化によって魚は減り続けていると思いますが、
太古は、かなり豊富で、釣り人にとっては、入れ食い状態でしょうね!笑
(古代文明は、大きな河川で繁栄しましたが、上流の山ではなく、下流の海に近いという事は、魚介類の食料がかなり豊富だったという事)
狩りよりも漁がメインだったのでしょう。
    • good
    • 0

縄文時代は、写真のような獣の骨を削った釣り針を使って、マグロやカツオを釣っていました。

 すでに回答がある通り、マグロやカツオは日本近海でも捕れます。 江戸時代の初期では脂の多いマグロは「下魚 (げざかな)」つまり不味い魚として扱われていました。 マグロは「古事記」や「万葉集」にも登場しており古くは「シビ」と呼ばれていました。  日本ではマグロのことを古くからシビと呼んでいたのですがシビが「死日」に似ているとされ避けられていました。 一方カツオ漁の発展は、人々の間に鰹節が広まった江戸時代に始まりました。 江戸の繁栄に伴って、カツオの刺身は季節の趣向物として武家から町民まで広い階層に浸透していきました。  江戸時代の初ガツオ一匹は今の価値にして8.5万円ほどで取引されていたと言います。 また、鰹節がこの時代に改良され、最高の調味料として料理方法の改善に貢献しました。
「【縄文時代の縄文人は貝塚からマグロとカツ」の回答画像3
    • good
    • 0

縄文期の富山?の黒曜石が日本各地の遺跡で出土している


縄文人の航海術は決して侮れないレベルだった

その航海の最中に食料として大型魚をつり上げていたかも知れない

また漁業全体としては今よりも漁獲量は少ない筈だから
大型魚が沿岸近くまで入り込む事も充分に考えられる

また江戸での話になるが
当時の江戸の住民は初鰹は大金を叩いて手に入れて珍重しても
戻り鰹に関しては脂の多さを嫌って『猫またぎ』という別名が付くほど人気の無い魚種だった

と言う事から
貴方の言う『時代が進化した弥生時代の弥生人から江戸時代まで日本人は近海漁を食べていました』
には科学的な根拠があるとは言えない
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!