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あまりに神を求めすぎると人間は不幸になります。
神=人間の幸せのための道具。
その通り、神は人間の幸せのために作られた道具なのです。
これを人間原理と言います。
しかし、神だー、神だー、神だーと、あまりに神を求めすぎると人間は不幸になるのです。
神は道具に過ぎないのであり、そして道具は人間のためにあるのであり、道具のために人間があるのではございません。
それを勘違いすると、神だー、神だー、神だーと、あまりに神を求めすぎることになり、その結果人間は不幸になるのです。
実際、神を求めすぎた結果不幸になった人間は巷にあふれています。
オウム真理教、統一教会、創価学会、エホバの証人、モルモン教、キリシタン・・・、数え上げればきりがございません。

では、神はどの程度求めるのがよいのでしょうか。
神が人間的なものであれば、神は人間に幸福をもたらすものと勘違いをし、その結果、神だー、神だー、神だーと、神を求めすぎることになるのです。
ですから人間的な神は結果的に人間を不幸にするのです。
神は万物の根源、宇宙の法則、アルケーであるとみなす程度が人間にとって一番幸せなことなのです。

A 回答 (1件)

成る程です。

言えてるでしょうね。

人格神だとか言って決め事や罪や罰を作って人を苦しめても良いことはないです

苦しくなるばかりです。

アルケーの神は真理の神だ と言うくらいが良いと思います

真理の法則に従ってやれば何事も上手くいくのです

祈りや仕事や趣味も培ってきました

年を取ってやることがなくなった時趣味が在るのは大切です

お互いに「我らの神は こちらの神は」と言ってる段階では

それ自体が閉塞感というか軋轢というか自由にそして生産的になりません

一度全部統一して その中にゲームのように会社や球団を作って

綱引きして遊ぶのが良いのです。

個人主義もいいだろし大家族もいいでしょう 多様化の表れです

真理が我々人類をどう導くか? おそらくは平和裏に宇宙船を作ったり

地下施設を作ったり 耐震構造を開発したり

自然と優秀な人々は子育てに邁進し そうでもない人々は仕事やゲームや

ボランティアに熱心に成るのかも知れません

優生学という訳じゃないですがそのほうが苦しまなくて済むと思います

お叱りを受けるかな?

悪は滅び 楽しさや嬉しさが残るでしょう。

人口は ちと減るでしょう。

アルケーの神を信じるためには 真理を追求することです

そしてそう思いながら生きることです

日本では沈黙は金だそうです。黙っていても良いのです

真理と愛があれば何とかなります。
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