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哲学カテで なぜ哲学しないのか?

質問者からの補足コメント

  • ★ 〔哲学することに〕興味がない
    ☆ のに 哲学カテに参加するのは なぜ?

    来るなと言っているのではなく 参加しているなら 哲学しようとしているわけでしょう。

    なら そこでちょっとだけでも――哲学することを得て―― 次には変わっているはずです。

    けれど それが無い。進歩がない。世間話に終始している。

    なぜ?

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/10/14 20:44

A 回答 (9件)

哲学をするには哲学の歴史からですよね、そんなの誰も興味がないからです、やりたいなら自分で勉強する事です。

この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 興味がない
☆ のは 勝手です。

問うているのは:

 なぜ哲学カテで 哲学しないのか?

です。学問のジャンルで 物理学カテや経済学カテで 世間話をしているというのは まづ考えられません。

でも 哲学カテでは 世間話がさも哲学の質疑応答であるかのように横行しています。

なぜ?

お礼日時:2022/10/14 20:08

何と言うか、現代人はコミュニケーションと情報化で



考える暇がないですねえ

だから哲学者の書いたものを勉強したりして パクリをやるから

限界が見えてますねえ。パターンが決まってきています。

もっと考えて欲しいのですが 私も宗旨替えしようとか言ってるくらいで

根本的に考える土台がないのかもしれません。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 考える暇がない
★ 考える土台がない
☆ といった事情は 勝手です。まったくその人の自由です。

問題は 《哲学カテで》という点です。



たしかに このカテは いわゆる人生相談をもふくみますから その点では 世間話ふうのやり取りもあらわれます。

あらわれますが 哲学カテなんです。

つまり 《考える暇がない・考える土台がない》まま どうして哲学カテに参加するのか? です。



いやいや それは 《考えるためだよ》という反論が出たとします。

それは分かります。哲学しようとして参加するということですから。

ですが・ただし 世間話が十年一日のごとくつづくのは その反論の無意味を意味します。

そうではないですか?

なぜ?

お礼日時:2022/10/14 20:24

まず、ここの仕様がガチの哲学議論には不向きであること。


5ちゃんねるなどの大型掲示板の方が、まだ議論しやすい。
あとは、学術的な質問をしてもなかなか回答がつかないという現実ですかね。
そもそもレベルが低いのだから、時事ネタ世間話で平和に盛り上がるくらいがちょうどよいと思います。
こんな暇つぶしのしゃべり場に長く居座っている常連さんの方が、私には謎です。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ まず、ここの仕様がガチの哲学議論には不向きであること。
☆ 《ガチの》が どういう内容を言うのか よく分かりませんが ――わたしの感覚では――哲学の問題(そういう内容があること)と世間話とは 区別することが出来ると考えます。

スペースも お礼欄や補足コメント欄が 狭いですが 活用の仕方によっては 情報交換や補足要求を重ねて 哲学のやり取りが可能だと思いますが。


★ 5ちゃんねるなどの大型掲示板の方が、まだ議論しやすい。
☆ 対話・議論は 仕様などの点での向き不向きやしやすさ・しづらさにかかわらず じゅうぶんな内容を盛り込めるように思いますが。

★ あとは、学術的な質問をしてもなかなか回答がつかないという現実ですかね。
☆ 回答がつかないなら それでいいではないですか。つまり いまはその問題とはびみょうに違います。

学術的または専門的な内容といった基準を満たすかと 哲学するかということも 分けて考えることが出来るのでは?

★ そもそもレベルが低いのだから、
☆ レベルが低いことと 哲学しないこととは 別です。低くても 出来ます。


★ 時事ネタ世間話で平和に盛り上がるくらいがちょうどよいと思います。
☆ つまり 哲学しなくても 世間話でも――哲学カテとして――よい・・・といった見方でしょうか。

★ こんな暇つぶしのしゃべり場に長く居座っている常連さんの方が、私には謎です。
☆ つまり 《教育・科学・学問 >人文科学 >哲学》といったジャンル建てとしての《哲学カテ》は たまにやって来てあそぶ《暇つぶしのしゃべり場》でよい・・・ということですか。

お礼日時:2022/10/14 21:45

私の様な無学で無知な者が云うのも、可笑しいですが、、、



哲学には客観性が必須だと思いますが、そのような客観性のある質問・回答が寄せられないので、ブラジュロンヌさんのこうした疑問が生じるのだろうと思いました。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 哲学には客観性が必須だと思いますが、・・・
☆ そうですね。哲学を ほかの自然科学や社会科学と分けて捉えるならば その主題は 《わたしがわたしである》といった自己の確立にあると思います。

あるいは すでに確立しうる存在として生まれて来ている。その自己に還帰すること。


そういう意味では 極端な言い方をするなら 客観性というより主観性の自立といった主題が 考えられて来ます。

あるいは 知識が増えるという問題よりも 日から日へ 少しづつあたらしいわれがあらわれて来る・・・といった問題ではないか。



生活現実における・あるいはこの世界における自己の立ち位置が いかにあるか。これを哲学的に――つまりとにかく社会に生きるという観点から――了解してゆくといった問題。

ひとは 日々 あたらしい顔になると思うんですが。

お礼日時:2022/10/14 23:00

自称、哲学者さん達は、


それどれ、自分なりの哲学を持っているから、
他人の哲学を受け入れない。
受け入れられない。
受け入れる気が無い。
だから、ここでは、自分の哲学論を書き込みするだけでは??
ま~~ 
小生も、自称、哲学者の一人です。(笑い) ♪♪(=^・^=)♪♪

By 逆転地蔵

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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 自称、哲学者さん達は、
それどれ、自分なりの哲学を持っているから、
☆ それなら 何も問題ないと思います。

ただ 哲学と言うなら 世間話をかたちづくる常識とは すこし違ったところがあるのが のぞましい。

★ 他人の哲学を受け入れない。
受け入れられない。
受け入れる気が無い。
☆ ですから 哲学と言うなら 自己批判・自己否定をもふくむのですから 基本として 問題があるようです。


★ だから、ここでは、自分の哲学論を書き込みするだけでは??
ま~~ 
小生も、自称、哲学者の一人です。(笑い) ♪♪(=^・^=)♪♪
☆ ですから 哲学する人は 日から日へ あたらしい顔があらわれるかのように変わって行くのだと思います。

お礼日時:2022/10/14 23:24

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13186224.html
ここに何か書く気有るなら書いてください。

津額でなく心理学なら勉強した。一般教養だが。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


勉強をすすめていけば よいかと思います。

お礼日時:2022/10/15 09:13

プロフィールから質問履歴開けていきたいコーナー見えたらおいでください。


こんな時間に書いてしまった。

寝る姿勢で悩み中。
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この回答へのお礼

そう言えば:
★★ 【Q:イエスはなぜ復活できたの】
☆ に投稿したのをおぼえています。

中では:
★★ 
Q:社司と宮司
Q:日本の神代文字
Q:倭の五王
☆ など 日本古代史に興味があります。


あつかう主題は 必ずしも満遍なくとはいかないようです。わたしは好き嫌いがはげしく 知りたいな・しらべてみたいと思ったテーマにしかあまり進まないかたちで来ていますので。

お礼日時:2022/10/19 03:44

現代社会は閉塞感に苛まされているのではないか、と思います。



神を主軸とするならば。

有神論
無神論
神の存在可否を問わない科学論


の三つに大きく外分されるかと思われます。

20世紀は戦争の歴史でもあり、動乱の世紀でもありましたが。

科学分野では人類は二十一世紀を迎えて、飛躍的にメディアの発達、特に個人が事業主に成りうる機会到来は二十世紀と比較して、個人が事業主に成りうることは手段としては可能ではあっても。

知名度の問題は大きく立ちはだかり、矢張り、抑々、能力を問う機会到来が組織に属していなければ、能力が発揮できないという暗黙の了解があった、二十世紀とは異なって、組織力の低下は、人口減にも日本は揶揄されがちかと思われますが。

二十世紀を生きた人々の常識というものが、二十一世紀を迎えて、非常識の常識であり、二十世紀の常識を強く謳うことは二十一世紀では、営利すら、損ねる結末となったのではないのでしょうか。

ITは産業革命を呼び起こし、労働者の生き方を根本から変えました。新規参入する産業分野、没落していく産業分野、明暗はっきりしてきたこの二十一世紀を生き抜く常識という政治性が最早、時代錯誤化し、つとに、政治とカネと宗教の問題が如実に社会のこれからを占うに叩きつけれた難問中の難問として、社会に立ちはだかったという事実です。

温故知新

という、故事成語がありますが。

生き抜くセオリーというものが最早、既存の政治家に描けない、心許ない政治家をそれでも、大衆が輩出し続ける、ジレンマと焦燥感。

國の舵取りは逆に老成され、成熟した、壮年以上の中高齢者層には覚束ないほど、時代は急速に変貌しているという事実です。

何時の時代でもそうですけれど。

動乱の時代には若手の活躍が社会では目立つものです。
「哲学カテで なぜ哲学しないのか?」の回答画像9
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この回答へのお礼

★ 現代社会は閉塞感に苛まされているのではないか、と思います。
☆ ほおお。

★ ~~~
神を主軸とするならば。

有神論
無神論
神の存在可否を問わない科学論


の三つに大きく外分されるかと思われます。
~~~
☆ そうですね。わたしの認識するところでは:

【非経験の場】:カミ
___________________[絶対のへだたり]
【経験世界】:ヒト

 【 +α(霊我)】信じる:非思考の庭:《有る神+無い神》
 -------------------------
 【心(精神)】:考える:思考の緑野:《科学・思想》
 【身(身体)】:感じる:感性の原野:

☆ といった感じでですね。

普遍神は 《有る神 × 無い神》の重ね合わせ状態にあって ひとは自由にいづれかをえらぶ。したがって 有神論と無神論とは 互いに同等・対等である。


★ 科学分野では人類は二十一世紀を迎えて、飛躍的にメディアの発達、特に個人が事業主に成りうる機会到来

★ ・・・能力を問う機会到来が組織に属していなければ、能力が発揮できないという暗黙の了解があった、

★ 二十世紀を生きた人々の常識というものが、二十一世紀を迎えて、非常識の常識であり・・・
☆ 変化が 微妙であったりするかも。

LGBTQなどという問題は 性差の問題では必ずしもなくて 《他人の・また自己の心ないし意志を踏みにじるなかれ》といった問題でありつづけることではないかと。


★ ITは産業革命を呼び起こし、労働者の生き方を根本から変えました。

★ 政治とカネと宗教の問題が如実に社会のこれからを占うに叩きつけれた難問中の難問として、社会に立ちはだかったという事実です。


★ 生き抜くセオリーというものが最早、既存の政治家に描けない、心許ない政治家をそれでも、大衆が輩出し続ける、ジレンマと焦燥感。
☆ あぁ ニ階建て構造について触れていますね。一階と二階との逆立ち連関。


★ ~~~
國の舵取りは逆に老成され、成熟した、壮年以上の中高齢者層には覚束ないほど、時代は急速に変貌しているという事実です。

何時の時代でもそうですけれど。

動乱の時代には若手の活躍が社会では目立つものです。
~~~
☆ 一つの側面として 《あり得ぬことが起きるようになっている》といったことも 感じます。

お礼日時:2022/10/23 20:39

質問者君がしているのは物語の創作つまり文学。

質問者君は文学をしているのだから質問者君君が哲学をしていないなは当たり前です
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