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仏教において、釈尊の説かれた三法印を無視することは、
仏教徒ではなくなるということでしょうか?

● 諸行無常印(梵: anityāṃ sarvasaṃskārāṃ[2])-「すべての現象(形成されたもの)は、無常(不変ならざるもの)である」
  
●諸法無我印(梵: sarvadharmā anātmānaḥ[2])-「すべてのものごと(法)は、自己ならざるものである」

●涅槃寂静印(梵: śāntaṃ nirvāṇaṃ[2])-「ニルヴァーナは、安らぎである」

A 回答 (1件)

> 仏教において、釈尊の説かれた三法印を無視することは、仏教徒ではなくなるということでしょうか?



仏教、仏教徒ということと、《釈尊の説かれた三法印》との関係が微妙です。
宗派?によっては、《釈尊が三法印を説いた》ということになっているところもあるのでしょうが、多くのところでは《釈尊が三法印を説いた》とは言ってないでしょう。

ネットには次のようなことが書かれています。
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アッギヴェッサナよ、私はこのように弟子たちを戒める。このように頻繁に語る。
「比丘たちよ、色は無常、受は無常、想は無常、行は無常、識は無常である。
 比丘たちよ、色は無我、受は無我、想は無我、行は無我、識は無我である。
 すべての行は無常である、すべての法は無我である。」と。
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弟子が戒められたということは、それから逸脱する弟子が頻繁にいたと言うことでしょう。
戒めを守れないなどということは、結構多いのでしょう。 戒めを無視すると公言し堂々とやるのは問題なのでしょうが、結果で無視状態になるようなのまでも、それで仏弟子ではないということにはならないのでしょう。
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