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そのまんまなんですが、
主観、という言葉の定義にもよるんでしょうが、
科学的、という言葉は、主観の排除から始まるので、主観とは相容れないと思うんですが、
論理的、という言葉、論理性は主観と相容れると思われる方はどのくらいいらっしゃるでしょうか?

脳のメカニズムが生む心の現象であれば、脳の機能には構造的構成が当然あるので、その産物である、感情、主観も論理的な記述可能な構成をとると思うのですが、
あるいは脳科学的視点以外にも、主観でも世間一般に「理にかなっている」「筋が通っている」などという表現があります。これはある種の論理的な性質を感じるのですがどうでしょうか?
、ほかの方はこの点についてどう思われるでしょうか?

いろんな意見をききたいのでよろしくお願いします。

A 回答 (2件)

主観に論理性はないと思います。

論理学でいう「命題」と似た性質のものではないでしょうか。「命題」について、
(新聞等でも誤用される例が多いので念のため)補足しますが※(注1)、判断、陳述のことです。命題は判断の陳述であれば良く、その真偽は問われないため、「主観に論理性はない」という命題は当然、成り立ちますし、また、「その命題は間違っている」と反論できるものではありません。(真の命題と偽の命題が存在する為、判断は間違っていようとも、命題自体は間違えようも無い)
主観も同様に「意識が働き、そう判断した」だけですから、「論理的におかしい」「論理性が無い」と反証しうるものではないと思います。

※(注1)「新社長の至上命題は、赤字経営の修正である」といった誤用。至上命令との混同。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。命題-そうかもしれませんね。
参考にさせていただきます。

お礼日時:2005/04/10 17:02

客観が理論で主観が感情だと思いますが。



理にかなう。道義的に見て筋が通っている。
筋が通っている。話に偽りが見られない・つじつまが合っている。納得がいく。
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この回答へのお礼

御意見ありがとうございます。参考にいたします。

お礼日時:2005/04/10 17:01

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