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中年男ですが、年とともに人と言い争いになることが嫌いになってきています。人と言い争った後に残るいやな後味が、若いときよりも尾を引きます。時には毅然と対処しなければならないことがありますが、どうもそれがうまくいきません。人ときちんと議論しなければと思っても避けてしまいがちです。何かいいアドバイスを聞かせてください。

A 回答 (7件)

そもそもなぜ言い争いになるのかと言うことですが、それは誰もが知っている通り、自分の考えが他人の意見とは違っているからです。


年とともに嫌いになるのは、その考え方にかなり差が出てきているためだと思います。

自分が成長してその差が広がっているのなら今までとは違う方法で議論する必要があります。
自分の考えが数年前と変わりないという場合は回りに呆れられているのでしょう。

後者でない限りは言い争いを避けるという行動は当然出てきます。
高い思考はあまり受け入れられないものです。
レベルが同程度でない人と言い争いをすれば受け入れられないのは当然だと言うことに気づかなければいけません。

あなたがより高い位置に来ているのだとすれば、議論するよりはどうすれば他人が自分の位置にまでこれるかということを考えることが先決です。
そもそも、いやな後味が残る言い争いとはその議論が無駄に終わったという事を表しているのです。

大切なのは相手が議論をするに値する人かどうか見極める力をつけることです。
議論を避けがちなのはその力が身に付いてきているのでしょう。

議論をするならその人のレベルにあわせて、聞き役に回ることが必要です。
相手も学び、自分も学ぶことが議論だと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。「どうすれば他人が自分の位置にまでこれるか」これがとても難しいですね。

お礼日時:2005/12/23 19:05

何度も何度も言ってきたから、じゃないかな。


いろんな言い争いをして、いろんな議論をしてきて。
傷つくのが疲れたとか、精神的にどうでもよくなってきたとか。十分の刺激を得たからもういいや、とか。

無理に議論しなくてもいいんじゃないんですか。
聞き上手って言葉もありますし。
僕はまだ子供だから、ついつい口が出てしまうんですよ。でも、そういうときに母や祖父がはいはい、と頷きながら聞いていて、「それで、お前はどう思うの」って切り替えされて、なんだか冷静にモノが考えられて。
議論なんてしたくなければしなくていいんだと思うんです。もう疲れてしまったのなら、しなくてもいいと思うんです。
ただ、今度は聞き上手にまわって議論がいい方向に回るようにする人になればいいんじゃないかなと。それだけの経験と知識をお兄さんは持っているわけなんですし。

昔がどうの、って言っても戻ってこないんです。後は前に進むだけです。ちょっと昔に似た道を通ってみたりするけれど、それは貴方だけの踏む貴方の未踏の大地なんですから。自分の理想と現実にギャップがあるんだったら、理想を変えてしまえばいいんですし。
「議論をする自分」という理想じゃなくて。

毅然と対処しなければならないとき、というのがどう言うときなのかわかりませんけれど、そこはいっちょ気合を入れてみたらどうだろう。私にしかできないことなんだ、っていう誇りを持って。
でもしたくないなら極力避ければいいんですよ。
無理なさらないで。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。しかしなかなか理想はかえられません。それを捨てると社会は全く変わりません。でも「聞き上手」というのは大事なことですね。自分に欠けています。

お礼日時:2005/12/23 19:15

初めまして。


御気持、分かります。
言い争いに限ったことではなくても、たとえば可哀そうな話の映画とか見るのもイヤになってきてます。『蛍の墓』なんて絶対見ません。見たら涙がドバッと出て、あとで脱力しまくるの分かってるからです。
早い話、感情が強く揺さぶられること自体が疲れるんですよね。

そう言えば昔は親子喧嘩も激しくて長引いたのですが最近は親が、あんまり調子に乗ったことを言うと(向こうは向こうで私が調子に乗ってると思いたいんでしょうが)大音声で一喝した直後に元の雰囲気で「御飯もうちょっと、よそって上げようか?」なんて言ったりしてます。他人が見ると、きっと不気味でしょうね。父に「お前も、お母さんに似てきて怒ると恐ろしくなってきたなあ」と言われました・・・。

私も人生いろいろあり過ぎたせいか血圧のバランスが狂ってきてるんでしょうか普段はボオーとしてるんですが一旦腹を立てると若い頃よりも勢いが凄まじくなってきてる気がします。その代わり長続きしないんですよね。体力が衰えてきてるんだろうなと思います。シツコク怒り続けられる人って、それだけ体力があるってことでしょうね。

議論を避けてしまいがちなのは疲れや体力の問題が絡んでいるのだろうと思いますが(お年寄りが若い頃に比べて角が取れた丸くなったと言われるのも関連があると思います)それと共に
>人と言い争った後に残るいやな後味が、若いときよりも尾を引きます。

というのは切り替えの悪さだと思います。これも元々の性格に年齢的なものが絡んでいるのかも知れません。

まあ血圧が上がりっぱなしだと血管ぶち切れる恐れもありますから、ここぞというとき用にエネルギー保存するくらいでいいんじゃないでしょうか。
私も、この間ちょっといやな事が続いて久しぶりに全身に発疹が出ました。

「時には毅然と対処しなければならないことが」あるなら、それは全力で立ち向かうべきでしょう。でなければ大人としての責任が果たせません。そのためにも普段は余力を蓄えておくことを心がけるべきでしょうね。だいたい日常からガミガミ言う人のことばなんて凄みも何もないでしょう?ここぞ、というときにズバリ言えるのが迫力あるんですよ。それには精神的な蓄積もモノを言うと思います。蓄積の軽い人は言うことも軽いです。

アドバイスにはならないかも知れませんが、いま心がけるべきは「毅然と対処せねばならない」ときに逃げなくて済むよう心身のエネルギーをむやみに消耗させないこと、そのために、くだらない事にエネルギーを使わないように注意すること。だから普段言い争いを避けること自体は、そんなに悪いことじゃないと思いますよ。ただし何がくだらない事か、そうでないかという判断力は要求されてきますよね。

臨機応変にガンバリましょうや、御同輩。
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この回答へのお礼

あたたかみが伝わってくるご回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/12/23 19:03

若いときは経験がないのに、頭だけで理解したような気になって、すっかり想い込んでしまう傾向にあるんです。


つまり「主観」に凝り固まっているんです。

例えば、幼稚園児が「だってお父さんがそういったもん!」というレベルで、実際に体験もしてないし、確認もしていないし、根拠も無いようなことでも頭から信じきってしまうんです。

で、その間違った主観を信じているので、熱く議論できるんです。


ところが、大人になって経験値があがると、「自分の主観が絶対でない」という痛い想いを沢山してきますので、「主観」が崩れて、「客観性」が生まれてくるんです。

世の中を知れば知るほど、悟れば悟るほど客観性が生まれますから、熱く議論しようなどという愚かで、無知に基づいた主観もなくなってしまうんです。

・・・まあ、いい歳して熱い主観を持っている人たちも沢山いますがね。。。


言い換えれば、自動車の運転技術だって、免許取立てのころの運転と、熟練してからの運転では内容が違っています。
ですから、若い頃の運転テクニックをもう一度!などと想ってもこれは不可能なんです。だって成長してしまっているんですから、もう初心者の時代には戻れないんですから、ベテランとしての運転をマスターするより他はないと想います。

客観性のある議論というのは、相手の言い分を主観を抜きに素直に聞くんです。
相手の懐に入るというか、素直な態度で聞くんです。
そしてその上で素直に疑問に想ったことを質問すれば良いんです。
論理的に納得できなければ、「私にはこれこれこういう理由で納得できません」といえば良いんです。

頭から否定してやろ、排斥してやろうという主観に凝り固まった態度は、もう出来なくなっていると想いますので、ちょっと客観的な大人のやり方を覚えるといいと想います。(まあ、相手によりますがね)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。うんうんとうなずきながらご回答読みました。しかし、どうしても自分の意見はいいたい、けど相手はどうせわかってくれない、だからといって議論を避けていたのでは何も改善しない、というから回りがとうしても続いてしまいます。

お礼日時:2005/12/23 19:01

私も言い争いは嫌いです。

言ってしまって、(あぁ。きついこと言ってしまったなぁ)と思ってもそこでさらにキツイこと言い返されて悪循環…。でも、言い争いを避けるのもいいのではないかなぁ。と私は思います。私は言い争うと感情を抑えれず涙ばかりが先に出てしまい、進まなくなります。どうしても言いたいことがある時、伝えたい時、文章にしてメールで送ります。文章なら一度書いて確認もできるし、冷静になって書ける気がしますから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。ほんと文章にしてみるというのはいいことなんですよね。

お礼日時:2005/12/23 19:18

すいません、若輩者ですが回答させて頂きたく思います。


私自身は大学時代、議論というものを真剣に勉強し、大学生活の全てをそれにかけて過ごした経験があります。
その経験を通して、社会に出て感じた事は、本当の議論というものが出来る人が非常に少ないという事実でした。(深夜のテレビでやっていた論争など、全く議論とはよべません。)
もちろん、学生と社会人では大きく違いがありますし、私の学んだ物が正しいものだと言い切るつもりもありません。
ただ、思うことは、議論をする技術というものを真剣に学ぶのは非常に良いことだと言うことです。そして、その技術を持った人たち同士で行う議論は非常に楽しい物だという事です。
もし、何か対処がしたいという事であれば、議論の技術とは何なのかといった本等を読んで見られるのも面白いのではないかと思います。
完全ではありませんが、そういった技術が人との言い争いを避けれるのもまた事実です。
以上若さ故の生意気な発言でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。若い人の回答、とてもうれしいです。「本当の議論というものが出来る人が非常に少ないという事実でした。(深夜のテレビでやっていた論争など、全く議論とはよべません。)」本当にそのとおりですね。何でもいえる世の中もいいですが、空虚な議論が多すぎますね。

お礼日時:2005/12/23 19:09

こんにちは。


私も、やっぱり大人になって、歳を取ってからの方が言い争いは嫌いになりました。

なんでだかは判りません。

今では、極力言い争いにならないように努力してます。

まず、言い争うのは、反論するからです。
相手の意見に対して異論が合った場合、自分の考えを言う、それだけにしてます。
それに更に相手が何か言って来ても何も答えません。
論破する必要はないのです。
自分の意見より相手の意見が優れてれば採り入れればいい事だし、相手の意見の方が無理があるなり、勝っているとは思われないなら無視すればいいだけです。

相手は相手なりのやり方でやればいいので、別に干渉する必要はありません。

>毅然と対処・・・ですが、相手が押売の類なら、はなから相手にせず、「お断りします」の一手です。

そうじゃなくても、やはり同意できないなら「同意できません」でおしまいです。

私の経験ではきちんと議論しようとすればする程深みにはまってしまって、袋小路の議論となり、得るものがないような気がします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。さして大切でもない議論なら短く終わっていいのですが、どうしても大事な議論をどううまく人とできるかが難しいです。

お礼日時:2005/12/23 19:22

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