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組織=(organization)ある目的を達成するために、分化した役割を持つ個人や下位集団から構成される集団。(広辞苑)

1.組織って何でしょうか?あなたの定義は?

2.組織には目的があり、理念があり、意志がありますが、それは、トップの人間の考え方・意志とは必ずしも一致しません。ということは、組織に意志があると言えると思いますか?

3.企業は勿論のこと、家族も国家も組織だと思いますが、人類は組織化していません。人類は組織化するべきだと思いますか?そのためには何が必要でしょうか?

A 回答 (19件中1~10件)

人類を組織化するには、


・組織というものは観念のものであって、人間と人間がつながっているものなんです。したがって一人一人を強くするしかありません
・人間の論理を用いた優れた指導者による、「指導」「教授」「訓練」「擁護」により一人一人が強くなり理想の組織が築かれます

組織は本来 理想 理念 目的を持ち それが生命です
目的を追求するのが 組織の論理ですが、人間の論理を無視すると成果は上がらないのです
 人間の論理とは 生命 人間性に最高の価値を置く考えです
組織は手段 人間が目的との考えから 主体性 自由意志を尊重する必要があります

組織は中央にまとめるようとする 人間は反対に 好きな事をやりたがる
組織は秩序を求める、人間は自由を求める.
その矛盾をコントロールできる、指導者が優秀なのです
 指導とは 皆が自分の意思でやる気にさせる事です
分かりました は組織の論理、変わりました が人間の論理

・組織とは調和です
全体の中に個が犠牲にされてははならない。個の(野望のため)全体が無視されてはならない
・一人一人が根本の目的、理想と直結した、具体的な目標を持つ事が大事
・希望と夢、ロマンがないと、充実が欠け、持続、発展はない
・資質に応じ、最適の位置に配置する
・組織上の立場は違っても、他があって自己がある、と言う相互尊敬の精神を貫く
・活動が多岐になり発展しても、常に原点に帰る求心力が無かったら、官僚主義、権威主義に陥る
・人間的理想の追求の手段が実際の運営の段になると組織の強化、絶対化が目的になり個人が犠牲になると、組織嫌いが出る
・不信感は、上役から生まれる場合が多い、それは明確な展望や強い信念がなく、定められた方針を、理由無く変更したりする事から、一生懸命、働いている人に不安に陥らせ、目標が急に変わると、裏切られた気持ちになり、最後は不信感を抱かせる
・納得できる必然性がある的確な方針を決める
・原則が大切だが、原則と応用を駆使できる人が重要
・権利や自尊心が踏みにじられ、講義すらできない事態は組織の生み出す、
恐るべき悪である
・組織悪と言っても人間の変革が絶対必要
・均一化の側面は必要最小限に、自律の領域を維持拡大していきべき
・自主的に運営させ、経験を積ませ、自身を持たせる
・世代格差を埋めることは 妥協でなく 互いの違いを認め、各世代の良さを発揮、調和する努力が必要
・人材は見つけるもの、素質を持っていても、磨かなければ、球とならない
・一分野を任せられる人は多い、全体を統括できる人の育成は至難
・ワクにはめない、失敗も功績もなく育つと、状況の変化に対応できない
・人間と人間との触れ合いが育成、訓練の必衰条件
・洞察力、想像力、労働力、外交力、体力、人間性等、総合的にみる、一画的な要素で推量するのは危険
・組織の基本は人作り
・目的、理想のために、人間を犠牲にする組織は末長い発展はない
・組織の目指す理想、理念、思想が、すべての成員に浸透されなければ
 特定の人のみであれば、権威主義に陥り、自発的前進はない
・組織の中だけの価値観でなく、普遍的な人間の論理に立脚した判断
・後を任せる人間を育てるには、多少の失敗は覚悟の上で、権限と責任を持たせる以外にない
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この回答へのお礼

組織には優れた指導者が必要であり、その指導者による「指導」「教授」「訓練」「擁護」が強い組織を作る、と。その通りだと思います。

組織の命は、理想 理念 目的である、と。これらが曖昧であれば、いつか惰性に陥るでしょう。

組織の目的の追求のために、組織の論理に統一させるのではなく、人間の論理を考慮して上手く調和させてゆくことがリーダーの重要な仕事である、と。その通りだと思います。

しかし、残念ながら、日本の企業もアメリカの企業も、組織の論理一色で人間の論理は見えません。ただ、必要経費として様々な施策をしているように思えます。だから、現代の企業は非常に弱いと思います。

更に、組織の構成員が、大きな目標を持とうとしないことは「致命的」であると思います。

皮肉なことに中国や北朝鮮の方がまとまっているように見えます。

お礼日時:2022/11/19 22:12

「組織」と聞けば私は真っ先に"tissue"をイメージしますけどね。



で、

一。
「ゆるい組織」とか「フラットな組織」というのもあるので「組織」のコアイメージは質問者が考えるよりずっと広いかと。

ーーー
書きかけの回答文ですが一旦投稿します
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この回答へのお礼

そうですか。

お礼日時:2022/11/19 22:16

組織を語る上で


鉄壁の組織、新選組なんかも参考になりますよ
 又「人は石垣人は城」と歌われ城を築かず、優れた組織を築いた戦国の武将、武田信玄に学ぶ事も多いです。
 江戸時代から現代にかけて『甲陽軍鑑』に描かれる伝説的な人物像が広く浸透し、風林火山の軍旗を用い、甲斐の虎と呼ばれ、強大な武田軍を率い
上杉謙信の好敵手としてのイメージが形成されていますね。

天下を取った徳川家康や、かの織田信長も、信玄を恐れ、一目も二目もおいていました。
 また、徳川家康は、作戦でも、政治面でも、信玄の戦略、政策の影響を多くうけたとされています。
とくに近年の戦国武将ブームで、人気を集めている戦国武将の一人です。

●万人を生かす慈悲心
大将の条件の一つとして「慈悲を忘れぬことが肝要である」と教えたことは特筆すべきこと。
 優れた大将はというものは、武道に優れていることは言うまでもないが、
学芸についてもたしなみがあり、慈悲が深い。礼儀をわきまえ、普段はおだやかであるが、いったん怒ると殿中はもちろん、国中の泣く子も泣きやむほど威厳がある。

信玄は、平素から領民を慈しみ、規律を正し、領民から信頼されるように努めた。
 慈悲の名君・信玄を慕って、甲斐の領民は食事の際には必ず、「館君」と称えたほどである。
 また、信玄は「万事小さいことより、次第次第に組み立てていって、後に大事が成るのである」との信念を持っていた。

ものごとの理をきちんと弁えて、鋭い人間洞察のうえから「小事が大事」ととらえたのである。
 こうした信玄の生き方は、今日の社会にあって相通ずる原理を含んでいるように思う。

●適材適所で人材を生かす
多様な「人材」と「人材」を、どう的確に結びつけ、最大限の力出させていくか。
 それは指導者の器量と、適材適所の配置いかんにかかっている。
この点においても信玄は類まれな人物であった。
 信玄は、同じような性格の侍を好んだり、似たような態度、行動のものばかりを大事に召し使うことを嫌った。
 こうして信玄のもとには、山本勘助をなどの武田二十四将をはじめ、
実に多彩な人材がしゅうけつしている。

●過ちなき人物の見方
沈着と愚鈍は、大変な違い。
何の思慮もなく口出しする人のことを信玄は“口たたき”と呼び、さばけた人と見誤ってはいけないと戒めている。
 そういう“口たたき”に限って、立派な武士に対して、憎く思えば悪口を言いふらし、反対に自分に物をくれて機嫌を取る人を快く思い、自分と仲が良ければ悪い人間でもほめるものだ、と信玄は指摘している。
 信念のない人は、自分の知りもしないこと作りごとを言い、意外と強情なものである。

●賢将は「五分」の勝利を上とす
五分の勝利は励みを生じ、七分は怠りをもたらす。十分の勝利はおごりを生む。
上杉謙信が、信玄にかなわなかったのは、この一点にあるといわれている。



組織を拡大したトップへの警告があります。
順風満帆の時には聞く耳を持たないと思いますが、
 組織を運営する指導者は支配者でもなければ権力者でもない・・・
組織の人達は自分の言う事を何でも聞いてくれると思ったら大間違いである
どれ程多くのリーダーがこの過ちから、自滅していったか事か・・・


人類は組織化‥とは言うが、先ず最小単位の家族がどうかですね
ウエストミンスター寺院に
ある聖職者の墓碑に刻まれた言葉があります
「若き日には、世界や国を変えたいと大きな夢を抱き
晩年には、せめて家族を変えたいと努力した、が、
結局何も変えられなかった」・・・と言うのが現実ですね
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この回答へのお礼

新選組・武田信玄のことは、小説等で読んで、なるほどなあ、と思ったものでした。

やはり、リーダーの存在というものの重要性は普遍的なものでしょう。武田信玄とか上杉鷹山などの賢人の考え方は、日本の文化の中に溶け込んで、明治・大正・昭和と受け継がれてきたものの、ここにきて消滅しようとしていると思います。

>「若き日には、世界や国を変えたいと大きな夢を抱き晩年には、せめて家族を変えたいと努力した、が、結局何も変えられなかった」・・・と言うのが現実ですね

残念乍ら、それは事実です。そして、更に変えることは至難になっていますね。自分のことしか考えない人格が、自分を装飾し嘘をつき、正当化される時代になったからです。

お礼日時:2022/11/20 21:31

1.組織って何でしょうか?あなたの定義は?


 ↑
リバタリアンです。
怪獣みたいなものです。
ある種の生命体です。
国家でいえば、
首脳が頭で、人民は手足。

人間は単独では非力ですが、
組織化すると、神も驚く力を持ちます。
ヘーゲルも、これぞ神、としたぐらいです。



2.組織には目的があり、理念があり、意志がありますが、それは、トップの人間の考え方・意志とは必ずしも一致しません。ということは、組織に意志があると言えると思いますか?
 ↑
一般にはトップの考え方意思が
組織の意思、でしょう。
そうでなかったら、組織とはいえません。
頭脳の命令通りに動かない手足では
生命体ではありません。



3.企業は勿論のこと、家族も国家も組織だと思いますが、
人類は組織化していません。
人類は組織化するべきだと思いますか?
 ↑
組織化すれば、戦争などは無くなるでしょうが、
多様性が失われます。
複数の組織があって、そこに競争原理が
働くようにしないと、人類は堕落すると
思います。



そのためには何が必要でしょうか?
 ↑
1,基本的な価値観の一致。
 キリスト教の布教により、ローマ帝国
 のような大集団を組織化できました。

2,国連を発展させる。
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この回答へのお礼

1.生命体であると思いますね。

2.議会制の国では、議会がありますし、民意というものもあり、野党などの存在も無視できないから、影響を受けます。

3.偏狭なナショナリズムがなくなり、かえって多様性は増すのではないでしょうか?
競争原理は必要だと思いますので、自由でなければなりません。

>基本的な価値観の一致

人間主義でよいのでは?

お礼日時:2022/11/20 21:41

No2の回答の続き。



一。定義。

複数の要員で構成される機能や作用の発現単位。



かな。
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この回答へのお礼

ふむ。

お礼日時:2022/11/20 21:42

複数のサブシステムを含むポイント可能なノード。



、という定義もできるかな。
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この回答へのお礼

うむ。

お礼日時:2022/11/20 21:42

1.ある機能を実現するための役割分担とそれらの秩序だった集体の事だと思います。



2.組織には果たすべき機能があり、機能には目的がある。つまり組織はその目的に対してあくまで二次的な存在と言う事になると思います。

3.家族は組織とまでは言えないと思います。集団ですが、組織的に、つまり果たすべき機能と、その機能が達成する目的が明らかではなく、その目的のために家族が存在しているとは言い難いからです。家族は自然発生的であり、家族の目的を問うならば、自然存在に目的はあるのか?という問いにもなると思います。敢えて言うならば子育てのために家族がありますが、家族を子育てのための組織と定義すると、、、うーむ。それでもいけるのかな。いけるのかもしれませんね。自然の目的を生命の発展的継承と捉えるなら、家族も秩序だった組織ですし、そうあるべきかもしれません。もちろん、柔軟性も求められると思いますが。

人類が組織化していない、お互いにいがみ合っている現実がありますが、人体の様に統合の取れた組織体内でさえ、いがみ合いは存在します。白血球が誤って自己の細胞を敵と誤認して攻撃する病気などがそうです。

ところで、人類社会と人体を並列して語るのは、マクロとミクロの違いがありそのままでは難しいです。

なのでここでは確り切り分けて、人類社会は何故しっかりと、完全に組織化していないのか?と考えたいと思います。

それは一つに、人は個人の自由を求めているから。と言うのがあると思います。個人の自由は大変大事な考えであり、信念であり、人権でもあり、現代を生きる上での人生の根本要素の一つであります。日本ではあまり実現されていませんが、今後の課題です。
人類社会と言う組織は何も固形である必要はなく、流動的であったり、立体的であったり、メッシュ状であったり、十分な柔軟性と可変性と多面性とを持ち、多目的を許容するものであってほしいと私は思っています。

一つの目的に、人類社会が邁進することは絶滅につながるリスクが高いです。
多様な目的をもって多方向への発展を試みる現在の人類社会の態勢は、自然法則の理に適っている。

莫大な富で人類を牛耳ろうとしている者たちの試みもそのうちの一つであり、その目的達成が失敗したり、その目的が宇宙や人類の希望、意志、発展したい方向に適合しない場合は、彼らもまた自然淘汰されるか、別の存在として分離され、異なった種として別方向へ進みます。
他方、個人の自由を目指すだけで、そこに倫理や道徳を排した完全な放逸をも認めてしまうなら、おそらく全く纏まりに欠けると言う理由で、人類の大きな発展に寄与するのは難しいでしょう。
また、社会主義の様に統一的に理想郷と言う目的を掲げてそれに邁進しようとするならば、個人の自由を束縛して社会の活力をかえって失うでしょう。
日本人の様に、感情で結びついた社会は、幾つかの季節を彩って、また別の大きな人類進化の流れに融合していくかもしれません。

現代の人類社会が完全に組織化されていないのは、幾つも目的や志向性を持ち、いつでも新たな目的を持ち得るよう、しかも自由度を担保しているからです。

私はそのように考えました。
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この回答へのお礼

自然界の生物たちは、種の保存と言うよりも、種の個体数の増加と自身の個体としての存続を第一目的として生き、行動していると思えます。人間も生物ですので、同様にその「原理」が深層意識の中にあるのであろうと思います。

その原理は、文明の生まれるはるか以前からあったから、現在80億のホモサピエンスが地球上に生存しているということになりましょう。

その「原理」はもっと普遍的な原理の一断面かも知れません(おそらくそうでしょう)が、その一面が実在することは間違いないですね。

家族も集団も自然発生的にできたものでしょう。その自然発生の原動力の一つがそれであり、それ以外のことも考えられるので、そうですね、柔軟性をもって考えるべきですね。
それ以外のことを発見することが、文明の画期的な進歩をもたらすのかも知れないと思います。

>一つの目的に、人類社会が邁進することは絶滅につながるリスクが高いです。
多様な目的をもって多方向への発展を試みる現在の人類社会の態勢は、自然法則の理に適っている。

言えますね。ただ、人類が新たな目的観をもって進んでいるというよりも、既存の権威が崩壊し、混沌の中で、ほとんどが、ただ欲望に向かっていると私は思います。

何故私がそう思うかの一つの理由が、多くの人の主張する考え方の「理」が通っていなくて、矛盾することばかりだと思うからです。小鉄さんのように真摯なものが感じられないのです。

お礼日時:2022/11/20 22:18

追記


資本主義において、組織の至上目的として利益(=金)の追求を設定することが何故間違いなのかと言うと、人間の人生の目的が金ではありえないからです。人間が欲しているのは、金によって得られるモノやサービスであり、しかも本当に欲しいものはこころであって、モノやサービスを通して託された、かけがえのないこころだからです。

(金だけあって、交換できるモノやサービスが無ければ、金には意味がなくなる。そこが金の弱点であり最大の利点ということになるでしょう。それ自体は意味を持たないこと。いや、意味をはく奪された抽象存在、只の機能、"約束"であるからこそ、交換価値を持つことが出来たと言う事です。しかし、約束が破棄される条件はある。どうしても無理な時はそれを破棄して良い。また、その約束が人類的道義に反する時、それを破棄して良い。またそれが、地上や上空を破壊して顧みない時、それを破棄してよい。それが、当事者間だけでなく第三者を無条件に巻き込み被害を与える時、それは破棄されてよい。etc...

約束は、人を安心させるためにある。希望を持たせるためにある。成長を促すためにある。目的が達成されたならば、破棄されることでその最終目的が達成される性質のものです。例えば、幼少期にした結婚の約束が、大人になって守られないとしても、彼を大人にするまでに、一定の効力を以て見守るようなものです。諸々の約束も、目的があって為される。お金も、目的があって存在する。物やサービスの正当な価値交換のために存在するならば、それ以上の機能をそれに与えるべきではないし、人を拘束するために用いてはならない。)

この過ちを正さない限り、資本主義で人類はしあわせになることはないし、発展することもないでしょう。
ただ、金額を増やす為だけの機械のような変な文明が隆盛し、それはいつか人類に見捨てられて巨大な遺構になると思います。あ、俺たちってこんなもの別に欲しかったんじゃないって、思う時が来るでしょう。
その時また、社会秩序は書き換えられるし、人類の物語にも余白、新たなページが開かれて、自由が生まれる。
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この回答へのお礼

また日蓮の教えですが、蔵の財、身の財、心の財というのがあります。

蔵の財<身の財<心の財です。

現在お金で買えるものはモノ・サービスなどで、消費すればおしまいなものです。
身の財は一生ものです。お金にもなります。
心の財は三世永遠ものです(仏法では)。

人間が本当に欲しいものは心の満足であるとは同感です。実は皆そうだと思いますが、それが信じられないのでモノやお金にいっているだけなのでしょう。

愛情の交換、尊敬し合う事、約束が守られること(メロスのように)、自分の義や仁が尊ばれることなどは、心に満足感を与えるものですね。
こうしたものはカネが絡むと途端に汚れて無意味なものになります。

「心こそ大切なれ」

マルクスは唯物論です。現代文明は極めて唯物色が濃くなっています。だから、これでは人間は幸せにはなれませんね。

お礼日時:2022/11/20 22:49

矛盾があるようなので一言。



家族が組織というのなら、人類だって組織でしょう。

どちらも生まれながらにして繋がっているのだから。

ーーー
2で、

>組織には・・・意志があり

と書いてある一方、3で、

>家族も国家も組織だと思います

と言ってますが、
家族に「意志」ってありますかね?

「家族の意志」って言葉はあるけど。

ーーー
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この回答へのお礼

人類は、一部組織化しているところはありますが、目的が対立している部分は現在は寧ろ増えていますので、組織化しているとは言えません。

家族や国家には最終的に意志は存在します。まとまらないことはありますがね。その意思というものが、「集団の意志」として実在するものかどうか、という問題提起です。

お礼日時:2022/11/20 22:57

当たり前の事を追記します。

釈迦に説法でしたらご勘弁。

冒頭でいきなり

>組織=(organization)

と書いてますが、意味が分かってないのかと思わせます。例えば下記。
https://www.ldoceonline.com/jp/dictionary/organi …

最初に言葉の意味を明確にしようという意図で、出だしのあの言葉が始まっているのでしょうが、いきなり逆に躓きを露呈してると思いました。

ーーー

話の起点がボヤけてて、話の筋道の材料も先入観や紋切り型の認識で、最後は受け売り感すら見える結論を述べていて、話の飛躍がヒドイな、と感じました。最初の回答へのお例文も読んで。

ーーー

普通は、こういう意見は書かない人が多いでしょうが、役に立たないとお感じになるならスルーすれば良いので正直に書きました。

最後に一言、

突き詰めて考えるならもっと言葉の多義性や使用域の違いも考慮して、その言葉のコアイメージをまず明らかにしたほうが良いと思いました。
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