A 回答 (81件中1~10件)
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No.82
- 回答日時:
やっとわかった!
何故あなたの今回の質問に違和感を覚えるのか、それは、
あなたが訊いているのは、
「世の中をよくするにはどうしたらいいか」
ではなくて、
「世の中を『わたくしニャンポコ好みのよい世の中』にするにはどうしたらいいか」
なんですよ。
傲慢だろうが不遜だろうが、周りに害を及ぼさない限りはあなたがどう考えるかは自由てすが、あなたの求める具体的な内容を書かずして自分好みの回答来るわけないよね?
結論としてはやっぱり、まず自分でしょってことですね。回答は。

No.81
- 回答日時:
何が問題かって、一番わかりやすい簡単なトコロは、
何が良いのかを、質問者が独断で決めてるトコなんですよ。
それも、回答を貰ってから後出しで説明してたりする。
だったら最初に質問文に書いとけよ、と。
それはせずに回答者に解釈を委ねて質問してるのだから、気に入らない回答にケチつけたり無視するのは不誠実な対応だと思う。
このQA自体も世の中の一部なんだから、良くなるように質問者自身が対応しないと、言ってることとやってることが違うって話になるわけ。あ、何が「よい」かは相手と対等な関係で合意しないとダメですよ?
自分の主張を正当化するように都合よく二枚舌を使っているから、やはり詰まるところ、まず自分からでしょ、って返されるワケ。

No.80
- 回答日時:
連投になってしまうのは私の力の至らなさゆえ、と素直に認めます。
で、答えとしては、質問してる自分が自分自身の言う「こんな」の側だと、気付くあるいは認める事ではないでしょうか。
まあ私の回答に対する無視というのが全てを物語っていますが。
非常にナチュラルに回答してますけどね。
世の中には一定数、質問者みたいなタイプの人がいるんですね。
根底に「私は正しい」という頑強さや独善さがあるのでしょうね。
「世の中を自分の思うカタチに変えていく」。あなたの思い通りになるといいですね。

No.79
- 回答日時:
>こんな世の中
世の中に貢献した先人の努力や実績に対する敬意の欠片もなくこき下ろしてしまうこの一言が致命的にまずいと思う。
>よくするにはどうしたらいい
小さくてもいいので、まず自分自身が成果を出すことでしょう。
人に変化を求める前にまず自分から。

No.78
- 回答日時:
魂の究極の相は神であり、人の究極の相は仏である、と聴いたことがあります。
私はこの言葉を聴いて、なるほどと思いました。常なる上昇と深淵を求めて神に近づくさまを見せる営みと、まさしく人生を通じて人に近づき、仏の片鱗を見る営みと、両者さながらに見る時に、自分はどちらの道を行くのかという選択がある、その様に私には感じられました。そして愛と言うのは、人と神との間で交わされれば芸(アーツ)となり、人と人の間で交わされるならば意味と幸福となるものであると私には確かに思われたのです。
一つ美しさをとっても、神の美しさと人の美しさはまったく異なる。
神の美しさは汚れを寄せ付けない。人の美しさは、汚れていてもその価値を失わないどころかより鮮明にする。
果たしてどちらが真実なのか?
私はそのように思い、神の道である天道と、人の行くべき仏道との差異を確かに感じたのです。
南無妙法蓮華経はニャンポコさんの信念の根底に在るものですが、それを証左するには自ら南無妙法蓮華経に目覚めていなければその存在を確信することも、証しすることも難しいものだと思います。
私は、南無妙法蓮華経が、地の人々のそばにあって、どの様に人々を護っているのかを知りたいと思います。
その宇宙と生命を貫く法は、偉大なものでしょうか、それとも素朴なものでしょうか、美しいものでしょうか、それともやさしいものでしょうか。如何なる形容も難しいものでしょうか。
南無妙法蓮華経が永久普遍のものであるならば、どうしてそれが時代によって薄まったり、濃くなったりする性質のものであるでしょうか。時代の繁栄と荒廃とにかかわらず、それは人類に通底していなければならず、その通底していることを示さねばならず、また地涌の菩薩達によりそれはいかなる時も護持されることを確信するならば、時代の危機感の中にあって、鷹揚としているのが南無妙法蓮華経の功徳の一つであると私には思われます。
自らが菩薩道を行じて法の道を広めるならば、それこそ経を護持する人に相応しい行いと言う事になるでしょう。彼らは経を読んだことが無くても、其の心に経を刻んでいる人々だと思います。
ニャンポコさんは南無妙法蓮華経を信奉している。
南無妙法蓮華経の実在について確信はあるのでしょうか?
私は、人の心に刻まれているはずであるそれ(仏性=人の人たる所以=まこと)について確信がない。
確信はないが、信じることによってその彫を深くすることが出来ると思っています。
>魂の究極の相は神であり、人の究極の相は仏である
ここでいう「神」とは、人を寄せ付けない荘厳なる存在、というイメージを想像します。法華経に「宝塔」というものが出てきますが、そんな感じです。
一方「仏」とは、人間であり、キリスト教で言えば人間キリスト、というイメージ、仏教でいえば、人間釈尊、人間日蓮、というイメージ。
>自分はどちらの道を行くのかという選択がある
私はこう思うのですが、「神」の道とは「聖なる道」であり、「聖職者の道」であると。
キリスト教では聖職者は神の代理人的な存在であると言います。日本の仏教においても僧侶というのはそのような存在であるという意識は強いと思います。
芸術家などにしても、そういう感じがする場合が多い。つまり、「神の目線」だと思います。
その「神の目線」が、自分を庶民から隔離させ特別な存在にしてしまった場合、その道は邪になると思います。
>果たしてどちらが真実なのか?
ここで言う「神」は、法、教え、哲学自体のことで、ここで言う「仏」とは解釈、実践ということではないかと思います。
即ち、両方が真実でなくてはならないものであると。
時間の都合で一旦ここで切ります。
No.76
- 回答日時:
こんな世の中を良くする。
そうではなく自分の周りの世の中を良くすることなら簡単だと思いますけどあなたが考え方を変えればいいんです。
日々良いことをしていれば良い世の中になりますよ。
自分が何をしても変えることができないものは見る必要はありません。
例えばロシアのウクライナ侵攻とかあなたが何をしても止めることができませんよね?
コロナウィルスの流行これも変えることができませんよね?
アメリカの大統領あなたが決めることもできないし日本の首相を誰にしようかあなた1人で帰ることができません。
そんなことを考える必要もないんです。
こんな世の中、そう思っているからこんな世の中になってしまうんです。
あなたは自分の周り自分の人生だけ良ければいいのです。
こういうことを言う人を近頃よく見かけます。
誰かが言い出したことが「こりゃいいや」と一部に広まったのでしょう。後で読み返してみてください。滅茶苦茶な論理です。
認知科学の苫米地英人氏がこういうことを言っていました。
その人が何にもやる気がないん場合、やる気のあるモチベ―ションの高い人がいると、居心地が悪くなるので、そういう人を引きずりおろそうとする、と。
正に、そういうことなのでしょうね。

No.75
- 回答日時:
>だから、広い意味で哲学をすることが重要であるとつくづく思います。
そうですね。空想では無い、地を行く思索を伴う生き方が必要だと思いました。私は空想的なところがあるので、特に注意したいと思います。
にゃんポコさんは信奉するところがあるにも関わらず、その他のものを信奉する人達に対して排他的でなく、等しく物事に洞察を働かせているように感じます。
素晴らしいことだと思います。大変心強いと思います。
話も広がることで、視野狭窄にならずに済みますし、求めている答えも汎一般に理解できるものとなりやすいと思いますので、難しいですがそれに取り組む方が意義があると思います。
私は常々、仏教はじめ諸宗教は、人間のセーフティネットとして働いているのでは無いかと考えています。
人として難しい生き方をせねばならない人生において、宗教は自己修養にも救いにもなって来た。
科学は探求範囲を物的世界観に限定する事で、精確さと一般性と具体性を手に入れる事に成功しています。
宗教の探求範囲は精神世界も入っているので、その非限定性から考えが多様、拡散しやすいにも関わらず、"人"に関する思索ということで、まとまりを見せているように思います。神や仏といった人の上位に位置する存在を語る時にも常に、宗教の目的は人であったといって良いのでは無いでしょうか。この目的をあらためて認識し直すことで、宗教に具体性や一般性を回復することが可能だと思います。次に宗教の精確さについては、宗教界隈で使われる言語の意味の擦り合わせが行われる必要があり、これは大変困難なことだと思います。科学はこれを理で持って整理しているわけですが、宗教の目的である人間には情も多く絡みます。理だけでは説明できないし、人間理解に至らない。
しかしながら、人々が求めているものが正しくその理だけではままならない人間感情の理解である以上、これには正面から取り組まなければならない。人間理解、人間感情の共感の範囲が働く集団規模が、二人(最小単位)から全世界(最大範囲)に至るまでの間に、どれ程のつまづきと障壁があるか分からない。しかも、現代は人間のことだけ考えていては良いわけではなく、自然や文明についても考えの内に収めていなければ、正しい人間の道は見出せない。
なのに、現代の我々は、昔から説かれてきたことさえ身につけることができていない。例えば節度ある暮らし、貪りを離れることとは反対に、消費文明は隆盛を極めて世界を破壊している。
一方では足りず、他方では余る不均衡、縦に積み上げられた富は何のためなのか?
どうすれば良いのか?暴走する欲望の起源は、大昔の飢餓体験のトラウマに端を発していると私は思うけれど、そこら辺の、人類の挙動の動機やその原理についての理解の精確さを上げてゆく必要があるかなと思います。
生きて何になるのか?生きる意味を多くの人が見失う中で、当然の求めである愛は、一人につき一人分しかない大切なものなので、バーゲンセールやサブスクで手に入れられるものでも無い。
どうしても一人一人の目覚めが必要であり、宗教はそれを実現するために、自己を引いて、隠れて力を行使すべきだと思う。つまり宗教を語ることなく、その恩恵(智慧)だけを広める。そうすることで、相対する他宗教との対立も、宗教に対する偏見も、回避できる。しかも結果だけは享受できる。
どのような形でその恩恵を現すのか?
それは具体性の話になりますが。
一つは哲学の形を取るというのもそうでしょう。
文学や芸術の形をとっても良い。
経営理念に反映しても良い。
生活の術のスタイルに用いても良い。
現実にそれを行使する応用性が問われているのかなと思います。
そうですね、私が排他的な点は、根本に何を据えるかという一点なのだと思います。
例えば、キリスト教と相対した場合、慈愛を重要視しているところなど、人生訓として納得できる点が聖書を読めば多々あります。そういうところは認めますが、全知全能の神を根本に据えるという点が同意できないということになります。
インチキなものを除いて、あらゆる哲学・思想についてこのことは言えます。問題は根本が何かです。
科学についてもしかりで、科学技術や科学的思考は役に立ちます。しかし、科学的唯物的哲学が根本になっていた場合の弊害というものがもうすでに顕れていると思います。
つまり、簡単に言えば八百万の神を認めるのは、根本に「南無妙法蓮華経」がある場合だということです。
>仏教はじめ諸宗教は、人間のセーフティネットとして働いているのでは無いかと考えています
「気高さ」ということでさっき考えたんですが、神仏を尊ぶという行為が、人間が、親や家族や友人や先輩や地域や国家を尊ぶ心を涵養したということが私は一番の働きであったのではと思います。
宗教がほぼ否定され、科学的思考がそれにとってかわった現在、他人や国家に対する敬意(愛)が見事になくなっていると思います。
スポーツ等で見られる盛り上がりは、あれは愛国心ではなく、単に楽しもうとしているに過ぎないと思います。
現代においては、精神を含めた「形而上」のものの意味、重要さを人々が認識することから始めて、人間の幸せの内容を考察し、その実現のためにはどうすればいいかということをサイエンスすることでしょうね。
現代は、愛が枯渇しているので、他人なんかどうでもいいし、自分のことさえどうでもよく、「楽だったらいい」ですよね?
そうではなく、夢や希望や愛を取り戻して、現実から目を伏せないで、逃げないで現実をよくしてゆく方向へ向かせるという仕事が、今、目の前にあると思います。
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この後の話は、むしろ「気高さ」に関連してくると考えますので、この質問も長くなりましたので締め切り、勝手ながらそちらの方へ投稿しようと思います。