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【日本史】江戸時代は庶民が着物を買っても支払いはお盆か年末の年2回の支払い日までお金を払わずに買えていたって本当ですか?

次のお歳暮または年末までにお金が用意出来る予定があれば先に物が買えたがお金用意出来なかったら売った側はどうしていたのですか?丸損な気がします。

A 回答 (3件)

当時はコメの売買による収入の割合が多かったですからね。

人口の大半を占める農民は秋の収穫後にしか収入がなく、だから主としてツケで買って支払いは師走ころに集中させるという商慣習が全国的になっていたのです。

とはいえ、相手に信用されていない場合とか、宿代などあまりツケが利かないものもありますので、それなりの現金はみなさん持っているわけです。

また売り手からすると、ツケの代金の回収日が年に1~2回しかないとすると、買い手が逃げ回るなど代金を回収できないリスクを負うことになります。ですから、年末一括払いなどツケ売りの場合は、回収できないリスクも含めて高額に設定するのが当時の商慣習でした。
当時は値段の相場はあっても定価はなく、値引き交渉による売買が一般的でしたが、リスク代を相手に応じて、危ない人には大きく、安全そうな人には安くするといった具合で、信用のない人には相場よりかなり高く値段が設定されることもありました。

そこに目を付けて、現金払いで値引きなしの定価販売を始めたのが、江戸の呉服店(高級衣料品店)の「越後屋」です。ツケは使えずに値引きもしないのですが、ツケのリスク代の上乗せがなく、面倒な値引き交渉なしでも質の良い商品が安く買えたので大ヒットして超有名店となったため、「越後屋」といえば江戸時代を代表するの高級ブランドファッション店の代名詞となったわけです。

ちなみに、「越後屋」は、現在では「三越」と名称を変え、三越伊勢丹ホールディングス傘下の三越伊勢丹が運営する老舗百貨店となっています。
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この回答へのお礼

みんなありがとうございます

お礼日時:2022/11/26 22:27

小売の庶民はおそらくその都度払っていたと思います。


商取引の関係だけではないでしょうか。
年に二度、盆と暮の「二度節季」でしたが、あまりにも期間が長すぎるために年に四回の「四度節季」に変わったところもあるそうです。
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所謂つけ払いというのですね・・


身元が分かっている信用できる人にしか
つけ払いでは売らなかったようです。
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